女も男も、人生の役割が決められていた幕末。激動の時代を巧みに描いた『荒城に白百合ありて』須賀しのぶインタビュー

小説・エッセイ

2019/12/7

 歴史の動乱期を巧みな筆致で描く須賀しのぶが、初めて幕末を舞台にした小説を刊行した。徳川将軍家に忠義を尽くした会津藩と、倒幕派としてその会津を討った薩摩藩。それぞれの藩に身を置きながらも、この世に馴染めぬ者同士として魂で惹かれ合った男女がたどった軌跡とは――。最新作『荒城に白百合ありて』について話を聞いた。

荒城に白百合ありて 書影

著者 須賀しのぶさん

須賀しのぶ
すが・しのぶ●1972年、埼玉県生まれ。上智大学文学部史学科卒業。94年、『惑星童話』でコバルト・ノベル大賞の読者大賞を受賞しデビュー。13年、『芙蓉千里』で第12回センス・オブ・ジェンダー賞大賞、16年『革命前夜』で第18回大藪春彦賞、17年『また、桜の国で』で第4回高校生直木賞をそれぞれ受賞。

 

 それまで常識とされてきた価値観が根本から覆り、社会が大きくうねっていく。非日常から生まれる高揚が、人間性をむき出しにする。戦争や革命といった近現代史における動乱の季節を、須賀しのぶはこれまでも好んで題材にとってきた。
「社会のシステムが崩壊して時代が大きく変化するときって、それぞれの人の素の部分、生き様が必ず浮き彫りになってきますよね。そこに強く惹きつけられるんです」

女も男も、人生の役割が定められていた幕末期

 幕末を舞台にした最新作『荒城に白百合ありて』では、初めて幕末を舞台に選んだ。

「『芙蓉千里』シリーズが終盤に差しかかった頃に、担当編集者と『トリスタンとイゾルデ』のオペラを観に行ったんですよ。そしたら帰り道で突然、幕末の会津を舞台にして『トリスタンとイゾルデ』を書きましょう!って提案されて。10年くらいずっと断り続けてきたんですが(笑)、ようやく形になりました」

 自身は埼玉生まれだが、両親は福島の会津地方出身。会津は幼い頃から何度も訪れてきた馴染み深い土地だ。『芙蓉千里』『紺碧の果てを見よ』にも会津藩に関わりを持つ人物が登場している。

「白虎隊に扮した地元の少年たちが舞って、最後には切腹する白虎隊剣舞の伝統行事も当たり前の光景として観てきたし、幕末から太平洋戦争に至るまで会津藩出身者が苦労してきた話も身近に聞いてきました。だから私自身、長州や薩摩に対しては複雑な思いがあるし、幕末から近代にかけてのものの見方が、やや会津寄りである自覚はあったんですね。とはいえ、小説にするのならやはりフラットな視点から書きたかった。連載を続けていく過程で、自分の中にある枷を外していく作業が結構大変でした」

 黒船の来航によって幕府が開国を迫られた江戸末期。会津藩士の長女として生まれ、江戸の会津上屋敷内で育った青垣鏡子。〝会津の女〟として母から厳しく躾けられてきた鏡子は、いずれは嫁に行き、子を産み、家を守る己の未来にひとかけらの疑いも抱かず少女時代を過ごしていた。

「女も男も、人生の役割があらかじめ決められていた時代。もちろん、そこでちゃんと自分の生き方を見つけられた人ならば良いのだろうけれども、そうではなかった人もたくさんいたはず。疑問を抱きながらも、道から外れてしまうのが怖いと思いながら生きている人は、性別を問わず今もたくさんいますよね。そこを突き詰めていったらどうなるだろう、と思いながら書き始めました」

 閉ざされた世界を飛び出し、自分の信念のために行動する。少女が憧れる、強くて自由な少女。コバルト文庫では、そんな能動的なヒロインを数多く生み出してきた。だが今作の主人公である鏡子は、その対極にあるキャラクターだ。

「鏡子はひたすらに本心を隠している女性なので、最初の頃はすごく書きづらかったですね。同時代を生きた女性の手記もわずかながら残っているので参考に読んではみたのですが、彼女たちって死の間際の手記にすら本心を書いていないんですよ。女性は本心を書けないことが、当たり前の時代だった。そういった生き方もすごいことではあるけれども、もしかしたら何かきっかけがあったら、本心を爆発させる瞬間だってあったかもしれませんよね。地震の夜の鏡子のように」

 安政の大地震で江戸が炎に包まれた夜、鏡子の内に潜んでいた獰猛な欲望が漏れ出すさまを、ただ一人目撃した青年がいた。もう一人の主人公である薩摩藩士の岡元伊織だ。約250年間続いてきた幕府の権力が弱まる中で、攘夷に沸く学友のようにも熱狂できず、新たな世への期待も抱ききれない。如才なく振る舞いながらも世界を醒めた目で見ていた伊織は、鏡子が自分と同じ、この世に馴染めぬ者だと悟る。

「黒船がやって来て崩壊寸前なのに、システムはまだガチガチに固まっている。この時代を生きていくうえで不安が大きかったのは、女性よりもむしろ伊織のような男性だったのかもしれません。それまで与えられてきた役割とは、まったく違う役割を見つけていかなきゃいけないわけだから。社会が大きく揺れ動いているときだからこそ、個人の情動も見えてくる。そこをクローズアップした小説でもあります」

この世に馴染めぬ者同士、だからこそ魂が惹かれ合う

 自分も知らなかった本性のようなものを見られたと悟り、伊織を警戒する鏡子。そんな少女を畏れつつも惹かれていく伊織。秘密で結ばれた、合わせ鏡のような少女と青年。恋と呼ぶには薄暗い感情が、互いの胸の内で醸成されていく。鏡子の父と兄は彼女と伊織を結婚させようとするが、鏡子は激しく拒絶。その後、顔も知らぬ男との縁談をすんなり承諾した彼女は会津へ嫁ぐ。

 一方、後世に語り継がれている実在の人物も登場する。炎のような気性を持つ薙刀の名手・中野竹子。会津婦人の鑑と称えられた神保雪子。

「中野竹子さんや神保雪子さんは〝会津の女かくあるべし〟というロールモデル。子どもの頃はなんて立派な生き方なんだと憧れていました。もちろん今でも彼女たちのことを好きですが、大人になった今はそういう強さや能力を持つ人ばかりではないよね、とも思えるようになってきて」

 大義や忠心、理想のために命を懸けた男女が綺羅星のごとくひしめいていた時代。それこそが幕末の魅力でもある。物語の端々にちりばめられた〝鏡〟という言葉は、彼や彼女の熱狂を映し出すと同時に、そうは生きられなかった鏡子と伊織の虚ろな洞を浮き彫りにする。

「全部の価値観が崩壊して、ガラッと世界が一変する。日本史においてそれほど大きな変化があったのは、幕末と太平洋戦争の後くらいではないでしょうか」

 とはいえ、「情などなくとも野心はもてる」。薩摩を攘夷の熱に沈ませるわけにはいかないと奔走する伊織。「妻」「母」という器があれば、人として生きられるのではないかと試みる鏡子。そんなふたりの背後に、激動の時代の臨界点がひたひたと迫る……。

「これまでは西洋の歴史をよく題材にしてきたのですが、日本人にあまり馴染みのない国を描こうとすると、どうしても歴史的事実が先に来て、そこを詳しく書いてしまう傾向があったんです。こういう事件があったから、この人たちはこう動く、というような歴史に引っ張られる書き方になっていた部分があって。自分でもそこは納得がいってなかったのですが、今回は鏡子と伊織、このふたりがどういう生き方を選ぶのかに主軸を置こうと決めて書けたと思っています。当初はもっと普通の恋愛ものにするつもりだったんですが、どうしてもそうはならなかった。この関係性は恋愛ともいえるかもしれないけれども、結局のところふたりは〝同じ生き物〟なんですよね。そうとしか言いようがない。出会わなくて済めば普通に生きられたはずなのに、出会ってしまった。だからこそ偽れない」

 滅びに向かう物語のクライマックスで、鏡子を想いながら伊織は胸の内でこう呟く。「自分は、あの美しい、異形の女がどうしても欲しいのだ。体はいらぬ。心もいらぬ」と。では彼は鏡子の何を手に入れたいのか? そして鏡子はどこへ向かって走り出すのか? 落城の悲哀と、恋の行方。みなぎる緊張感は、最後の一行にたどり着くその瞬間まで読者の心をとらえて離さない。

「終盤の20ページぐらいはもう完全に一気書きでした。これまで歴史ものを書くときは、男と女、どちらを主人公にするかで書き方がまったく変わっていたんですね。でも今回初めて両方を主人公にしたことで、自分の中にこういう書き方もあったんだという発見があった。男と女、薩摩と会津、対立するように見えるものでも、それぞれの立場ごとに違う切実さがあるし、だからこそどの生き方も私は否定したくない。それにどんなに歴史の流れが強大でも、結局はそこで人として、個人としてどう生きる道を選ぶのか、ということが一番重要。そこはもう性別も時代も関係ないし、最後はどうしたってそこに帰ってくる。『荒城に白百合ありて』を書いたことで、そのことがはっきりとわかりました」

取材・文:阿部花恵 写真:下林彩子

(あらすじ)
幕末の江戸。“天下の雄藩”として知られた会津藩士の娘として育てられた青垣鏡子。昌平坂学問所で学ぶため、江戸へやって来た薩摩藩士の三男・岡元伊織。出会うはずのなかったふたりの運命を変えたのは、江戸の町が燃えた大地震の夜だった。この世に馴染めぬ生き物である女と男は、互いに何を求め合うのか……。