まるで異世界! 東京は『暗渠パラダイス!』――高山さん、吉村さん、「暗渠」ってなんですか?【目黒と品川の境目を行く暗渠散歩】

暮らし

2020/3/14

『暗渠パラダイス!』(高山英男、吉村生/朝日新聞出版)

 暗渠――それは古からの流れ(川や水路)に蓋をした場所だ。水面は見えなくなってしまったが、今もその下には流れがある(川が生きている場合もあるし、排水用などに転用されていることもある)。普段何気なく歩いている道も、実は暗渠であるということはよくある。そんな暗渠を愛し、日本のみならず世界へまで出かけて狩猟・研究するのが『暗渠パラダイス!』(朝日新聞出版)の著者であり、「暗渠マニアックス」として雑誌への寄稿やトークイベント出演などの活動を行う高山英男さんと吉村生さんだ。そんなお二人をガイドにお迎えして、実際に暗渠散歩を敢行した。

 待ち合わせ場所は目黒区と品川区の境目、都道420号鮫洲大山線が走る、美味しいパン屋「碑文谷ベーカリー」のすぐ近くだ。この日辿ったのは、春になると川べりに咲く桜で有名な目黒川の支流のひとつである「羅漢寺川」だ。

「車止め」は“暗渠サイン”

 周囲から一段低くなった場所に、暗渠がある目印「暗渠サイン」の「車止め」がひっそりとある。この辺りは窪地で水が湧いていたそうだ。お二人はこうした低い「谷底」へ来ると、暗渠がないか周りをキョロキョロ探してしまうという。

『暗渠パラダイス!』の序章「暗渠のきほん」によると、暗渠の魅力は、まずは苔むした情緒ある景観や暗渠サインを探すといった「たたずまい」を楽しみ、水の流れと蓋をされた歴史に思いを馳せる「うつろい」を感じ、そして街に潜んだネットワークを探す「つながり」を見つけることだ。暗渠の見分け方は「並んだ蓋」「低く細い道」「不自然な幅」「湿気・苔」「水の音」を手がかりにすると良いそうだ。

 高山さんは『暗渠パラダイス!』について「暗渠を通して気づくものの面白さ、暗渠に何かを掛け合わせることで違うものが見えてくるようなことを書きたかった」と話す。その言葉通り、暗渠の流れをボサノヴァの草分け的存在であるジョアン・ジルベルトにたとえるなど、新たな視点から生まれる面白さを追求、独自の暗渠研究を行っている。

苔むす細い道がつづく

銭湯も“暗渠サイン”(喜久の湯)

 暗渠に分け入ると、苔むす細い道が続く。すると暗渠横に閉店してしまった銭湯があった(銭湯は大量に排水するため、水路や元水路の近くにあることが多い)。

 暗渠は小山台公園にぶつかり、左へ急カーブ。この小さな流れがあったことで区境が決まった、と思うと感慨深い。こうした暗渠の存在を見つける“目”を持つと、街が違って見えてくるのだ。高山さんは「暗渠に気づいてくれる楽しさをわかってもらえるだけで僕は嬉しいし、そこに気がつくと暗渠以外のことにも気づきがあるはず」と笑う。

 ここで北から流れて来ていた六畝(ろくせ)川と合流。モザイク模様が施された歩道(暗渠)がある坂を上って、六畝川の源流へ向かう。歩道には尋常ではない数のマンホールがあり、水音が聞こえてくる。

暗渠散歩をはじめて早々に猫を発見!

 途中で茶トラの猫がのんびり。暗渠には猫がいる確率(お二人は「ニャン渠」と呼んでいる)が高いそうだ。

『暗渠パラダイス!』にも「ニャン渠」に関する考察「猫と暗渠」があるが、本書はこうした「街道と暗渠」といった「掛け合わせ」や「無茶振り」をお題として、いろいろと調べた上で行ったトークショーや雑誌記事などが元になっているという。吉村さんは「自分が普段見ない場所や資料などを見ると、知らないことがザクザク出てきて楽しかった。でも街道は尾根道が多いので、実はあまり好きではないんですが……」と苦笑していた。筋金入りの低地好きなのである。

 ところどころに水が流れていた痕跡である、古い「護岸」が顔を覗かせる。

清水稲荷神社の隣は暗渠

 坂を上り切ると「清水稲荷神社」があった。境内の看板によると、この辺りはもともと「清水町」という名前(水に関係する地名も暗渠サインとなる)だったという。

 このすぐ先が車も人通りも多い目黒通りとは思えないひっそり感。アパートへと続く不自然な幅の道……これも立派な暗渠のサインだ。

東急バス目黒営業所バスターミナル

 目黒通り沿いにある、東急バス目黒営業所バスターミナル。「もともとこの辺りに窪地があり、水が湧いて池になっていたのではないか」と言う高山さん。

 真夏の日照りが続いても涸れなかったというから、いつもここの地面は湿っていたことだろう。こうしたバスプールなど面積の大きな土地は、湿地だったことで開発が後回しになった経緯がある場合が多く、暗渠サインになる。

 オシャレな家具店や飲食店が並ぶ目黒通りを東(目黒駅方面)へ進む。普段は暗渠をハンティングするため、「こうした(標高が)高いところはあまり好んで歩かない」と吉村さんがポツリ。しばらく歩くと「元競馬場」という交差点が。

目黒通り沿いには、目黒競馬場跡の記念碑、馬の銅像がある

 歩道に石碑があり、その文言によると、ここに目黒競馬場が開設されたのは1907(明治40)年、1932(昭和7)年には第1回日本ダービーが開かれたという。1933(昭和8)年、近隣の宅地化が進んだため、現在の東京競馬場(府中市)へ移転したそうだ。

 ここで「川と馬」のエピソードを吉村さんが教えてくれた。「目黒競馬場では、競馬が終わった後、馬が目黒川へ足を冷やしに行っていたそうなんですよ。アイシングですね。この石碑があった辺りから人と馬が出てきて坂を下って行って、10頭から20頭くらいが並んで足を川に浸けていた、と地元の人が郷土史に書いているんです。でも目黒川は開渠だから、私は……(笑)。そこで、もしかしたら1頭くらいは近くの羅漢寺川へ行っていたんじゃないかな、と考えると違う景色が広がって、楽しくなるんですよ。私は川跡自体を知ることから、川の周りにあった暮らしや物語、その場に立つと何が見えてくるのかを知りたくて、『暗渠パラダイス!』を書きました。エピソードを事前に拾っておいて、それを感じながら歩くと楽しいし、掻き立てられるものになるんです」

(左)バブル期(右)関東地震直前
競馬場のトラックがそのままの形で残っている(『東京時層地図』アプリより)

 目黒通りから右折して路地へと入り、目黒区下目黒4丁目と5丁目の間の道を左折。すると右方向へググーッと半円を描く不思議な道が続いていた。なんとこれ、競馬場のトラックがそのままの形で残っているのだ。競馬場が移転して土地が地主に戻った際、トラックをそのまま道として使った名残という。路上では子どもたちがスケートボードに乗って競争をしていた。土地の持つ記憶は、人を衝き動かす“何か”があるのかもしれない。

 コーナーを回り、進路を西へ。目黒競馬場に植樹されていた桜が植えられている「さくらの里街かど公園」の横の道は「元競馬場通り」だ。ここには競馬場を貫くように流れていた入谷川があり、どちらからも凹んだ「谷地形」になっている(現在は暗渠で、水音がマンホールから聞こえてくる)。

ごつごつした「ガンタ積」

 進路を南へ。入谷川の暗渠である坂を下りると、坂下にある林試の森公園に沿うような形で川筋が東へとカーブしていく。元川岸には解体した古いコンクリートの塊などを再利用して積み上げた擁壁「ガンタ積」も見られる。この先は羅漢寺川、入谷川、そして品川区の禿(かむろ)坂から林試の森公園を突っ切って流れてきた支流が合流しているポイントだ。

 下目黒5丁目にある、2段になった特徴的な形の土留が目を引く。暗渠の左側はかなりの崖だが、なぜわざわざこんな奇妙な形にしなくてはいけなかったのだろう?

 暗渠は再び元競馬場通りを越える。ここからは高山さんが「羅漢寺川で一番フォトジェニックな場所」と呼ぶ場所だ。小道には昔、まだ水の流れが見えていた頃に岸と岸を渡していた井桁開渠の痕跡がうっすら見える。

 さらに崖からは勢いよく水が湧き出しているポイントが。涼やかな水音に、都会にいることをしばし忘れる。

「目黒のオシャレ通りの一本裏に、こんな場所がある面白さがあるんですよ」と暗渠歩きの楽しさを語る吉村さん。高山さんは「普段歩いているところ、知っている場所に暗渠の視点が加わると、一皮剥けて見えるんです」と言う。同行した編集者は「異世界に入ったような感覚でワクワクした。建物や花木は見ることがあったが、これからは足元も見て歩きたい」と暗渠歩きの面白さに目覚めていた。

まるで異世界!

 この場所は現在工事中。3月末までには井桁開渠の痕跡も、道端の草もアスファルトで固められてしまうようだ。「普段ここで生活をしている地域の方のことを考えると、致し方ないと思います。でもなるべく昔の姿をとどめながら残してもらえたら、嬉しいんですが」と言う高山さんと吉村さん、間もなく失われてしまう野趣溢れる暗渠の風景を目に焼き付けていた。

調査キットのCOD値からきれいな地下水であることがわかる

 気を取り直し、高山さんは毎回行っているという水質検査を。調査キットで見ると、生物の痕跡はなし。池などから流れてきた水ではなく、純粋な地下水である可能性が高いそうだ。

「目黒不動尊」に到着

 羅漢寺川の暗渠を抜けると、その先には瀧泉寺(目黒不動尊)がある。ここでも湧水があり、水質検査を。先ほどの湧水とほぼ同じ結果だ。同じ並びの崖からの湧水なので、水質も似ているのだろう。

 こうしたデータを集めて暗渠を研究するため、本業である「マーケティング」の手法を駆使する高山さん。「帰納法、演繹法を使い分けたり、事象を見て仮説を作ったり、データを集めて読み取るなど、30年間やってきたマーケティングの技法や手法をここへ詰め込んでるんです」

 瀧泉寺を回り込むようにある(人工的に流れを変えたのでは、と推測する高山さん)暗渠の先にあるのが、川の名前の由来となった五百羅漢寺。「羅漢寺川は“不動川”と呼ばれていた時期もあったようです。寺の規模を考えると、不動川の方がふさわしいような感じなので、不思議なんですよね」と研究に余念のない高山さんです。

 羅漢寺川は車通りの激しい山手通りと、その地下深くにある首都高速道路の中央環状線山手トンネルの間をすり抜け、目黒川へと流れ込む。

 ホテル雅叙園東京がある対岸から見ると、今も水が流れていることが確認できる。

【羅漢寺川川跡地Map】

「暗渠は、昔からあるのに下手をすると忘れ去られてしまうもの。川の記憶には深い意味があるから、忘れられることのないように、きちんと取り上げていきたい。それには記録して、書くしかない」と吉村さん。それに答えるように「残しておかないといけない、という義務感はありますね。誰かが残してくれたものをもとにして、僕らも暗渠を見つけているわけですから。競馬場の跡でスケートボードしていた子たちに教えてあげたいですね(笑)」

「どの街にも暗渠はある」というお二人。普段何気なく歩いているその道も、もしかしたら暗渠かもしれない。耳を澄ませば水音が聞こえ、ないはずの流れが見えてくる……『暗渠パラダイス!』をお供に、ぜひ暗渠散歩を!

<プロフィール>

高山英男……1964年、栃木県生まれ。本業はマーケティング。数多くの情報を集め、俯瞰・分析・理論化を行い、マーケティングの手法を用いながら、鳥のような高い視点から暗渠全体の姿を捉えていく、“自称”中級暗渠ハンター。 ブログ「毎日暗活!暗渠ハンター

吉村生……1977年、山形県生まれ。本業は研究職。郷土史などから情報を集め、カエルのように水辺やその近辺からの視点で、狭い対象を調べ尽くし、暗渠の辿った歴史やその周辺に住む人の生活へ思いを馳せる深堀型暗渠研究家。 ブログ「暗渠さんぽ

(左)吉村生さん(右)高山英男さん

 ちなみに高山さんと吉村さんが着ているのは、東京都練馬区にだけ存在すると言われる、アスファルト上にペイントされた道路標示「水路敷」Tシャツ(ニッチなニーズに応える「マニアパレル」が作成)。どこまでも暗渠愛!

実際の水路敷の様子(練馬区で撮影)

取材・文=成田全(ナリタタモツ)