“head”は頭? 顔? 首?――ベストセラー翻訳者を悩ませる「訳せない英語」

暮らし

2020/3/25

『この英語、訳せない!』(越前敏弥/the japan times出版)

「headは首から上を指します」――中学校の英語の授業でこう教わったとき、カルチャーショックを受けたのをいまでも覚えている。首から上と言われても、具体的にどこを指すのかわからない。頭なのか、顔なのか、首なのか……。必ずしも2つの言語は対になっているわけではないことを知り、外国語習得の難しさを痛感した。

『ダ・ヴィンチ・コード』『世界物語大事典』などの翻訳者・越前敏弥さんも、日々、“訳せない英語”に悩まされている。著書『この英語、訳せない!』(the japan times出版)を読んだら、味わい深い日本語訳の裏に隠された翻訳家の涙ぐましい努力がこれでもかと伝わってきて、「生きるって大変だなあ」と妙な感慨にふけってしまった。

 本書で紹介されている“訳せない英語”の中から、いくつかご紹介しよう。

◆headは、頭? 顔? 首?

 まずは、冒頭に書いた“head”である。ある小説に、“The man’s head was gray and red.”という文があったという。この文を、著者の翻訳クラスでこう訳した生徒がいた。「赤毛に白髪が交じっている」。headを髪と捉えたようだが、その意味ならhairと書いてあるはず。ここでは、gray and redなのは髪と顔を合わせた全体であり、それが灰色と赤から成り立っている、という回りくどい言い方をしているのだそうだ。平たく言えば、「白髪と赤ら顔」という意味。しかしこの回りくどさを生かすために、著者はあえて「頭と顔では、灰色と赤が幅を利かせている」と訳した。「翻訳では、わかりやすくしすぎるのも原著者の意図を損なうことになる」と著者はいう。

◆brotherは、弟? 兄?

 “訳せない英語”の代表格とも言える、brotherとsister。兄なのか、弟なのか、姉なのか、妹なのか……。older(elder)やyoungerがついていれば問題ないが、英語圏では兄弟姉妹の長幼を気にしないことが多いため、ついていることのほうが稀。文中のどこかに年齢順や生年月日などの情報があればそれをもとに判断できるものの、なんの情報もないときは、「こちらのほうが面倒見がよいから姉だろう」などと決めつけざるを得ないこともしばしばあるそう。

 かつて「ハリーポッター」シリーズで、ハリーの母リリーとペチュニアおばさんのどちらが姉でどちらが妹であるかが問題になったことがあるという。シリーズの途中で訳者が作者に問い合わせ、答えをもらったにもかかわらず、その後の作品で作者が逆の情報を文中に書いてしまったため、つじつまを合わせるのに苦労したとか……。そもそも原著者が、どちらが年長でも構わないつもりで書いている場合も少なくなく、「そういうときは訳者にはどうにもできません」と著者はいう。

◆いつも悩ましいsorry問題

「ごめんなさい」と「残念です」の2つの意味を持つsorry。どちらの意味に捉えるか、迷った経験のある人も多いのではないだろうか。テニスの大坂なおみ選手が2018年の全米オープンで初優勝したとき、決勝の相手のセリーナ・ウィリアムズ選手が審判と揉めたことなどを受け、インタビューで“I’m sorry it had to end like this.”と言ったことが話題になった。大坂選手は「ごめんなさい」と謝ったのか、「残念です」と言っただけなのか?

 これはどちらか一方が正訳だと決められるものではなく、つねに両方のニュアンスが含まれている。翻訳者は前後関係や間合い、雰囲気や表情などに注意して総合的に判断するしかないと著者はいう。このケースに関しては、大坂選手自身がこの発言を評して“I felt like I had to apologize.”と言ったそうで、謝罪の含みも少しあったようだ。

 いかがだっただろうか。興味を持った方はぜひ本書を手に取ってほしい。文化の違いによる訳しにくさや、言語構造の違いによる訳しにくさ、翻訳者ならではの様々な苦労を体感できると思う。言語間の意味の違いは、難しくもあり、だからこそ趣深いものでもあることに気づくに違いない。

文=尾崎ムギ子