意識の戻らない夫の愛人は、美青年と、2人の子を持つ女性。奇妙な介護&同居生活のなか、ゆりあにも新しい“赤い糸”の相手が現れて……

マンガ

公開日:2020/6/11

『ゆりあ先生の赤い糸』(入江喜和/講談社)

 運命の赤い糸で結ばれたはずの夫は、若い美青年とホテルで浮気の最中、くも膜下出血で倒れて意識不明――。衝撃的な始まりをみせたマンガ『ゆりあ先生の赤い糸』(入江喜和/講談社)。

 夫・吾良(ごろう)の自宅介護にふみきったゆりあ(50歳)は、子どもはいないが義理の母と同居中、自宅で開いていた刺繍教室はもちろん、パートに出ることもままならず、義理の妹は口だけ出して、肝心なときに頼りにならない。しかたなく夫の浮気相手の稟久(りく・28歳)に協力を求め難を逃れたと思いきや、吾良をパパと呼ぶ子供たちが現れて……。

 と、設定だけ聞けば昼ドラのようにセンセーショナルな展開が続くのだが、のめりこんで読んでしまう理由はその派手さではなく、頑張り続けるゆりあの“カッコ良さ”がじわじわとボディブローのように効いてくるからだ。

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 ゆりあが夫を見捨てないのは、決して愛ゆえではない。もちろんゼロとは言わないけれど、冷静に現実を受け止めたら底なしの怒りと恨みに落ちてしまいそうで、考えることすらできずにいる。それでも自宅介護を引き受けたのは、途中で投げ出すようなことをするのは、自分がいやだからだ。それが常々「カッコよく生きようぜ」と言っていた父の呪いであることは、ゆりあ自身も自覚している。なんの義理もない、どころか慰謝料を請求したっていい人たちの人生を背負い込むのも、お人好しだからというより、彼女に根づいた義侠心や道徳心ゆえだろう。それは、どれほど彼女の幸せにとって邪魔になろうとも、簡単に拭い去れないアイデンティティでもあるから、厄介だ。

 こういう、まじめで誠実であるがゆえに割をくってしまう女性は、とても多いんじゃないかと思う。“やれてしまう”人に、人は甘える。「いやだ」「できない」と簡単に言って、「あの人は強いから」と寄りかかる。稟久と、吾良をパパと呼ぶ子どもたちと、その母親・みちる。彼らは最初から100%ゆりあに寄りかかろうとしていたわけではない。全員で一緒に暮らして吾良の介護をしようと言い出したのはゆりあだし、人手が増えたことでゆりあの生活も楽にはなった。共同生活の煩雑さがくわわることで、いつ目覚めるともしれない不安や、行き場のない吾良への怒りもまぎれているから、ゆりあ一人が損をしているわけでもない。

 だが、我慢に慣れたゆりあが背負うものは、やはり大きい。そもそも、すべて、ゆりあが背負う必要のないものばかりだ。それでも、絶対に「なんで私ばっかり!」とは言わないゆりあの“カッコ良さ”に、ときどき苦しくなってしまうのだ。こんなふうに強くあれたら、と憧れてしまうことそれじたいが、彼女を傷つける行為なのではないか、とも思ってしまう。

 夫のことも同居人たちのことも、放り投げたら彼女はきっと、自分を好きではいられなくなる。だから、彼女にとってギリギリの“逃げ”が、浮気だった。折に触れて助けてくれた便利屋の伴ちゃんは、唯一、ゆりあをゆりあのまま受け入れてくれる存在だ。

 最新刊で、ゆりあの浮気心を知った稟久が「しょせん女か」と嫌悪を示す場面には、正直、「お前が言うな」という気持ちにしかならないのだが、伴ちゃんとの関係が深まるほど現実がややこしくなっていくのも事実。吾良も近いうちに目を醒ましそうな気配だし、はたして奇妙な同居生活はどんな顛末を迎えるのか。まるで予想はできないが、それぞれに事情を抱えた稟久やみちる、それを見捨てられないゆりあに触れるうち、人はみな「自分はこんなふうにしか生きられない」という現実を、がむしゃらに生き抜いていくしかないのだな、と思わされる。誰もが認める正解ではないかもしれないけれど、自分にとっての最適解を探りながら。

 ゆりあの幸せを願いつつ、何をどうすれば幸せなのかは、たぶんゆりあ自身にも見えていない。けれどどんなときでも自分がカッコ悪くならないための選択を探し続ける彼女が「これでいいのだ」と思える未来がくればいいな、と思う。その日がくるまで読者にできることは、ゆりあの生き様と赤い糸の行方を追いかけ続けることだけである。

文=立花もも

(c)入江喜和/講談社