マスク=負けアイテムだと思ってる伊人!? コロナで見えた国民性。ヤマザキマリ×中野信子による『パンデミックの文明論』

社会

公開日:2020/9/14

パンデミックの文明論
『パンデミックの文明論』(ヤマザキマリ中野信子/文藝春秋)

 なぜ日本はロックダウンもせずにコロナを抑え込めているのか…世界のメディアは「不思議の国ニッポン」と首をひねっているという。当の日本人にもわからない「謎」だが、漫画家のヤマザキマリさんと脳科学者の中野信子さんの対談を収録した新刊『パンデミックの文明論』(文藝春秋)によれば、日常のエチケットからして日本と応米諸国ではずいぶん違い、もしかするとそんな小さなところに謎の秘密があるのかもと思えてくる。

 たとえば「マスク」。この猛暑の中、熱中症の危険がありながら外でもきっちりマスクをしている人が多かった日本に対し、欧米人の多くはマスクをすることそのものを拒む。感情を伝える口元が見えないからとも言われるが、特にイタリアでは「マスクというと百年前のスペイン風邪パンデミックを思い浮かべてしまうのかもしれない」とヤマザキさん。予防だからと容易にマスクをつけることは、むしろその恐ろしい状況を受け入れてしまうことになり「マスクをしない」という選択をする人が多いというのだ。一時、トランプ大統領もマスクをしないことを売りにしていたが、それも「病気に負けたと認めたくないというメンタリティの表れ」と中野さんも分析する。

 また「洟(はな)をかむ」という単純な動作にしてもずいぶん違う。欧州では「洟をすする」行為はNGでハンカチや鼻紙でかむのが一般的。ただし同じものをポケットに入れて繰り返し使うといい、ヤマザキさんは洟をすすっていたらイタリア人の夫が自分の使用したハンカチをすすめてきて驚いたことがあるとか。ほかにもトイレの後の手洗い率がイタリアやオランダでは50%台にとどまるなど、日本人とは衛生習慣に大きな違いがあり、こうした差がウィルスを持ち歩く危険度を左右する可能性もあるだろう。

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 さらに「人との距離」も欧米と日本ではずいぶん違う。キスやハグが挨拶になる欧米に対し、日本にはそうした習慣もなく普段から人と人の間に距離がある状態。またイタリアでは高齢者は尊敬の対象であり「ただでさえ人生という大仕事を経て体が不自由になり、一番人に助けてもらわなければならない頃に、施設に閉じ込めるなんてとても酷でできない」と三世代同居も多いとヤマザキさんはいうが、日本では「老若男女が同じ地域に住んでいても、活動の時間帯が違えば興味の対象もまったく違う。何層にも別れた東京があって、異なるレイヤーにそれぞれ別れて暮らしている」と中野さん。そうした社会構造の差も感染症の流行を左右しそうだ。

 さらに「自然は共生する相手なのか、戦う相手なのか、この違いが洋の東西を隔てている」(中野)「古代ローマ人の都市計画での考え方は(中略)自然を人間の知恵と力で制服することにあります。それを紀元前からやってきた」(ヤマザキ)と言うように、日本と欧米とでは歴史的に自然との向き合い方にも大きな違いがあると二人は指摘。欧米社会では今回ロックダウンも辞さずにコロナに立ち向かった背景には、「古代ギリシャ・ローマの時代から疫病は敵であり、戦う相手」(ヤマザキさん)という意識が根付いていたからでもあったのだ。

 本書はこうした歴史的背景や文化人類学的な視点の上に、脳科学や行動科学の知見を織り交ぜながら、「コロナの社会で何が起きているのか」を鋭く分析。異色の2人だけに話題も「同調圧力」や「マイノリティの排除」などコロナがあぶりだした世相のキーワードから、「ペストによって起きたルネッサンス」「お風呂大好きローマ人のセロトニン外交と日本の共通点」などかなり幅広いのも興味深い。

 対談を終え「コロナのお陰で立ち止まって考えたことで、今までと違ったいろんな風景が見えてきた」(中野)、「歴史を振り返ってみても、感染症は人類に思索の機会を導き入れる時空の節目」(ヤマザキ)と2人は語るが、その軽快なテンポと幅広い話題に好奇心を刺激され、こちらも近視眼的になることなく「コロナ後の社会」をじっくり考えていけそうだ。

文=荒井理恵