倒れた夫の傍らには28歳の恋人(男)が…『ゆりあ先生の赤い糸』9巻でついに目覚めた夫によって物語が大きく動き出す…!

マンガ

公開日:2021/9/13

ゆりあ先生の赤い糸
『ゆりあ先生の赤い糸』(入江喜和/講談社)

 世の中はきれいごとだけではまわらないけど、きれいごとに支えられたプライドが人を強く立たせてくれることもあるのだと、『ゆりあ先生の赤い糸』(入江喜和/講談社)を読むたび、背筋が伸びる。

 30歳で結婚して20年間、2つ年上の夫と穏やかな幸せを紡いできたゆりあ。ところがある日、夫の吾良(ごろう)が突然くも膜下出血で倒れ、28歳の恋人が現場にいあわせたことを知らされる。

 恋人の名は、稟久(りく)。一目で目を奪われる、美青年である。夫は同性愛者だったのか? 自分はずっと裏切られていたのか? 意識のない吾良を問いただすこともできないまま、ゆりあは、同居している義母の世話をしながら自宅介護にふみきるのだが、そこへさらに、吾良をパパと呼ぶ子どもふたりを抱えたみちるという愛らしい女性も現れて……という衝撃的な展開を見せる本作。だがこのたび講談社漫画賞・総合部門を受賞したのは、そのドラマティックな構成が評価されてのことではない。

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 すべてを放り出して逃げ出したところで誰も責める人はいないのに、逃げ出さないどころか、吾良も義母だけでなく、家族と折り合いが悪い稟久もDV夫から逃げるみちるも、まとめて引き受けて一緒に暮らし始めてしまうゆりあの生きざまが、読者の心を打ってやまないからだろう。受賞後、全巻重版したのも、ひとたび読みはじめてしまえば目をそらせない物語の力の、証左といえる。

ゆりあ先生の赤い糸
(C)入江喜和/講談社

ゆりあ先生の赤い糸
(C)入江喜和/講談社

 ゆりあだって迷わないわけじゃない。吾良に復讐したい気持ちだって、気を抜けばすぐに湧いてでる。それでも彼女はいつも、稟久が嫌悪感を示すほどに正しくて強い。唯一、弱くて間違っているとしたら、家の修理に訪れた便利屋・伴ちゃん(優弥)と恋に落ちてしまったこと。

ゆりあ先生の赤い糸
(C)入江喜和/講談社

 妻に出ていかれ、ひとりで息子を育てる、ゆりあよりもうんと若い彼との関係は、少しずつゆりあに歩み寄っていた稟久の心を一気に閉ざす。だが、いくら共同介護でゆりあ自身も助かっているとはいえ、血の繋がらない、行き場を失った人たちの面倒を見ながら、それでも笑顔を失わずに前を向き続けるゆりあを、どうにか踏ん張らせてくれているのが伴ちゃんとの時間なのだ。稟久が文句を言うのはお角違い。不機嫌かつ失礼な彼の態度に読んでいてイライラしてしまうこともあるのだけれど、最新9巻を読んでふと、稟久はゆりあにとってあわせ鏡のような存在なのではないか、と思った。

 他人の迷惑なんて知ったこっちゃない。自分には吾良さえいればいい。経済的なことも、将来のことも何も考えず、ただそばにいて介護して、ふたりで時を重ねていくことさえできれば。そんな稟久の願いはとても子どもじみているけれど、そうすることができたらどんなにいいか、というゆりあの夢幻を稟久に映して描いているのではないか。だけど――9巻でついに吾良が目を覚まし、その夢幻は消えてしまった。現実が動き出し、かりそめの“家族”が終わりに向かい始め、ゆりあと稟久の間にも決定的な亀裂が入ってしまう。

ゆりあ先生の赤い糸
(C)入江喜和/講談社

ゆりあ先生の赤い糸
(C)入江喜和/講談社

 果たしてゆりあは、この先、誰を選ぶのだろう。彼女に結ばれた赤い糸の先にいるのは、吾良なのか伴ちゃんなのか、なんて単純な問いでは、おそらくない。稟久のこともみちるのことも、簡単には手放せなくなった彼女が、自分のために、みんなのためにくだす決断は……。涙を流していたとしても、意地でも口角をあげて背筋を伸ばすだろう彼女の姿を見るまでは、この物語を手放すことは、読者の私たちにもできないのである。

文=立花もも

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