ときには“悪人”の弁護もする――。『九条の大罪』の主人公は、本当に「悪徳」弁護士なのか

マンガ

公開日:2022/1/18

九条の大罪
『九条の大罪』(真鍋昌平/小学館)

「理想的な法律家」とは、いったいどのような人だろうか。貧しい人の依頼だけを受ける人、被害者に寄り添って裁判で闘う人――。

 ただ、私たちの考える「理想」は、もしかすると先入観に過ぎず、ふとしたことで崩れ落ちる脆いものなのかもしれない。

『九条の大罪』(真鍋昌平/小学館)は、「理想的な法律家」のイメージからかけ離れた「悪徳」弁護士・九条が主人公だ。

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 真鍋昌平さんの作品といえば、法の外で生きる主人公たちが有名だ。『闇金ウシジマくん』の闇金融の社長や、『スマグラー』の運送屋が例として挙げられる。彼らは法律ぎりぎりのグレーゾーン、時には非合法に分類される行為に手を染め、裏社会で生きていた。

 一方で真鍋さんは、『闇金ウシジマくん』の連載のかたわら、短編漫画も発表していた。2019年に『アガペー』(小学館)というタイトルで短編集として刊行された作品群は、社会という枠組みからはみ出しそうになりながらも、懸命に生きる人々を描いていた。法の外から、法の中へ。視座を変えると、世の中の異なる側面が見えてくる。真鍋さんは短編漫画によってそれを証明した。

 そして、現在連載中の『九条の大罪』は主人公が弁護士だ。自然と法の中から社会を見るという新たな構図になる。

 主人公の九条はどうして悪徳と呼ばれているのだろうか。

 彼は思想信条がないのが弁護士だという持論がある。客観的に見て悪人としか思えない人の弁護もするし、いざとなればお世話になった先輩弁護士と対立する。九条は、「ああなったらおしまいだよな」と他の弁護士に陰でささやかれても、自らの持論を崩すことはしない。

 彼の根幹をなしているのは、依頼者のことを考え、依頼人のために動くということだ。「弁護士なら、そんなことは当然」と思うかもしれない。だが弁護士も人間だ。依頼人は自分ではない他人なので、真の意味で「他の人のために動く」ということは、非常に難しい。想像力を働かせなければならない。

 また彼は、法律の範囲で自分が依頼人のために行動できても、依頼人の人生までは責任が持てないことを自覚している。

 九条の考え方を表したエピソードを例として挙げたい。

 最新刊では、九条と対照をなす存在として人権派弁護士・亀岡が登場する。亀岡は自らが決めつけた「善」を成し遂げるために仕事をする。彼女はそれが社会的弱者を救うことになると信じ込んでいるが、時としてそれは、個人の選択の自由を奪う。

 依頼人のために動く九条と、自らが正しいと思ったことのために動く亀岡は対立する。九条は亀岡に言う。

たとえ間違った人生を選んだとしても、それを間違いと決めるのはあなたや外野じゃない

 弁護士として、九条は物事を「善」や「悪」で決めつけない。彼の中に絶対的な「強者」も「弱者」もいない。

 彼は亀岡を突き動かしているのが承認欲求だと見抜く。亀岡は、その時々で相手のためだと判断し行動することはできても、自分の決めつけた「弱者」にとって、その行動が本当に幸せなことなのかどうか想像する力がない。

 九条は、誰よりも依頼人に近いまなざしを持てる。思想信条をまじえず、依頼人のことを、ひとりの人間として見ているからだ。

「世の中のために良いことをしている」と思いこむと気持ちがいい。だからこそ、その気持ちよさに過度にのめりこんでしまうと客観性が持てなくなる。弁護士ではない人にとっても同じことだ。

 九条がそのような想像力と客観性を持てるようになった理由は、まだ明らかになっていない。今後ヒントになりそうなのが、九条の過去の家庭生活だ。

 現在、九条はビルの屋上にテントを張り、ひとりで生活している。離婚経験があり娘の親権は元妻が持っているようだ。彼は稼いだお金を私利私欲のために使わず、すべて元妻と娘に渡している。

 今後、九条のこれまでの人生が明らかになれば、「人間としての九条」がより深く浮かび上がるだろう。次巻の発売が待ち遠しい。

文=若林理央

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