棚橋弘至があきらめない仕事術&生き方を伝授!「100年に一人の逸材」について/『カウント2.9から立ち上がれ 逆境からの「復活力」』②

スポーツ・科学

公開日:2019/8/12

「認知度」で仕事の規模は変わる。──まずは、名前を知ってもらうこと

 まだ僕がプロレスファンだった頃、プロレスラーが大会中継以外の番組に出演していると、とても嬉しかった。それは今でも変わらない。真壁刀義(まかべとうぎ)さんや本間朋晃(ほんまともあき)さん、獣神(じゅうしん)サンダー・ライガーさんが映ると、ニコニコ顔で観ている。

 ライガーさんがバラエティ番組で、芸人のアキラ100%さんの持ちネタにトライしていたのを観たことがある。裸でどんなに動いても股間はお盆で隠し通すという、あの芸だ。

 マスク以外は一糸まとわぬ姿のライガーさんが、お盆片手に孤軍奮闘するのを目にしたとき、「この人には一生足を向けて寝られない」と畏敬の念を抱いた。

 ライガーさんは大ベテランながらも、常に練習でのたゆまぬ向上心、試合での探究心を見せてくれる。そして、お盆芸での羞恥心……は、ないのかもしれないが(笑)。とにかく、その振り切り具合には感服の一言だった。

 僕も常々、大会中継以外にもテレビに出たいと思ってきた。

 その理由は三つある。

 一つは「有名になりたかった」からだ。これは新日本プロレスに元気がなかった時代に「俺がなんとかする!」と決意したとき、最初に考えたことだ。それしか方法がないと思っていた。

 試合のプロモーションで各地を回ったが、扱ってくれる媒体はかなり限られている。地方ラジオ局の番組出演やタウン誌の取材など、軽いフットワークであちこち出向いた。

 もちろん、地道な活動がとても大事なことだとわかっているが、他にも何か大きな仕掛けができないかという気持ちは強かった。「もっと自分が有名になれば! そうすればいろんなところに呼んでもらえるはずだ」と。

 2006~2010年頃、僕はメインで勝ったときには必ずマイクをつかんで、こう宣言していたものだ。

「クソ有名になります!」──。

 テレビに出たいと思ったもう一つの理由は、「プロレスの会場を満員にしたかったから」だ。あたりまえのことだが「知らない人を会場に観にいこう」とは絶対にならない。

 昔『ワールドプロレスリング』の中継が毎週金曜夜8時に放送されていたときは、多くの人たちがアントニオ猪木さん、長州力(ちょうしゅうりき)さん、藤波辰爾(ふじなみたつみ)さんを知っていて「有名なプロレスラーたちが近くの体育館に来るから観にいこう!」という黄金法則ができ上がっていた。

 しかし、プロレス番組の放送時間帯が深夜に移動してから、この法則は成り立たなくなった。それならば時代の変化に柔軟に対応するため、違うアプローチが必要になる。

「テレビに出る」→「知名度が上がる」→「会場へ」……と簡単にはならないが、知ってもらうことが第一歩なのは不変だ。今はSNSも進化しているし、YouTubeもあるので、テレビが絶対ということはないかもしれない。それでも、とくに地方の会場では今も地上波の力は強いと感じる。

 僕がテレビに出演すると、岐阜の母が嬉しそうに連絡をくれる。周りの知り合いから「弘至くん、テレビに出とったね」と言われるそうだ。大学に行かせてもらったのに突然「プロレスラーになりたい!」と言い出し、何かと心配を掛けてしまったので、少しは親孝行できているのかなと思う瞬間だ。

 これは僕の経験なのだが、人はテレビを通して知っている有名人を直接見ると「うわっ!」と驚くものだ。某美容室に行ったとき、長身の俳優さんが入ってきてミーハーな僕はすぐに気づき、とても高揚した。なぜ高揚感が生まれたのか? それはドラマや映画で何回も何回もその人を見ているからだ。

「そうか! 顔を何回も見てもらうことは、ここに繋がるのか!」──。

 それ以来、僕はブログ、Instagram、Twitterなどに自分の写真を意識して多く載せるようにしている。自分以外に若手選手の写真を多く載せるのも、彼らの知名度を少しでもアップさせるためだ。

 とにかく、まずは知ってもらうこと。どれぐらいの人が知っているかで、そのジャンルの規模は決まる。

 あともう一つ、テレビに出たい理由を挙げるならば、プロレスラーを夢見る子どもたちに〝未来〟を示したいからだ。

 試合以外にもテレビに出ることができて有名になれる。「まだ、プロレスにも先があるんだぜ! 他のプロスポーツ選手にも負けないんだぜ!」──。

 そう思ってもらえれば、プロレスラーになることがゴールではなく、一つのスタートにもなる。プロレスラーになりたい子どもたちが増えれば、ジャンル自体が盛り上がる。これはどの仕事、どの業種にも当てはまることだと思う。

 先ほども書いたが、いまはSNSなど、個人で発信する手段がたくさんある。まずは多くの人に知ってもらうこと。そこから広がる可能性は無限大だ。

<明日は「もし棚橋がサラリーマンだったら…(2)」をお届けします!>

棚橋弘至
新日本プロレス所属プロレスラー。1976年、岐阜県大垣市生まれ。立命館大学法学部時代はアマチュアレスリング、ウェイトトレーニングに励み、1999年、新日本プロレスに入門。同年10月10日、真壁伸也(現・刀義)戦でデビュー。その後、団体最高峰のベルト、IWGPヘビー級王座に何度も君臨。第56代IWGPヘビー級王者時代には、当時の“歴代最多防衛記録”である“V11”を達成した