棚橋弘至があきらめない仕事術&生き方を伝授!「新日入門テスト」「カウント2.9の魔法」/『逆境からの「復活力」』④

ビジネス

公開日:2019/8/14

ダメだと思った瞬間……そこからが本当の勝負だ。──カウント2.9の魔法

「プロレスラーみたいですね」──。

 そう言われたのは数年前。札幌市内の服屋さんで試着をしていたときだった。

 ギリギリなサイズ感のシャツに腕をそーっと通していると、店員のお兄さんがそう話しかけてきた。

 僕は一つもイラつくことなく「プロレスラーです!」と屈託のない笑顔で答えたと思う。前章でも書いたが、知ってもらうことの難しさを経験してきたからだ。

 お兄さんが続けて「新日本ですか? 全日本ですか?」と訪ねてきたので、「新日本プロレスの棚橋と言います。明日、札幌で試合があるんですよ!」と返した。

 興味を示してくれた方への宣伝は欠かさない。そうやって地道なプロモーションを続けてきた。

 それから時を経た16年2月の札幌大会前日、獣神サンダー・ライガーさんとイベント会場へと向かうタクシーの車中で、こんな嬉しいことがあった。

 まず、タクシーの運転手さんが「お兄さん、プロレスラーみたいですね」と話しかけてきた。ここまでは数年前と同じ流れ。しかし、この後に「新日本プロレスの棚橋と言います」と答えたところ「あ、あの一番人気のある棚橋さん!」と言われたのだ。

 タクシーを降りた直後、素顔のライガーさんが「たなっちょ(ライガーさんはこう呼ぶ)が運転手さんと話しているとき、オレはさっと存在感を消したよ」と笑みを見せてくれた。尊敬する大先輩とこんな会話ができるのが、とにかく嬉しかった。

 昨今はありがたいことに、こうして知名度が上がってきたことを感じる機会が、徐々に増えてきた。それはやはりプロレスラーの地上波への露出が増えてきたからだろう。

 真壁刀義さん、本間朋晃さん、ライガーさんなどはとくにテレビの仕事が多い。僕自身、プロレスファンだった頃、プロレスラーが大会中継以外でテレビに出ているのを観るのがとても誇らしかった。

 だからこそ、前述のとおり僕は「テレビに出たい」「有名になりたい」と常々ギラギラしながら生活している。それが良かったのか、思いが通じたのか、意外なところから出演依頼が届いた。NHKの『助けて!きわめびと』という番組からだった。

 失礼ながら番組のコンセプトを知らなかったので調べてみたら「何かを極めた人が困っている人に具体的なアドバイスをする」というものだった。「そうか、ついに俺も“きわめびと”まできたか……」と感慨深くなった。

 番組のサブタイトルは「自信がないなら プロレスから学べ」(2017年1月放送)。

 なかなか自分に自信が持てない若者に、プロレスの極意を伝えて背中を押してあげてほしいというのがこの企画の趣旨だった。

 登場した若者の一人が、声優志望の女の子の遥さん。彼女は「才能がないから」「もう若くないから」など言い訳が多かった。人は逃げ道を作ると、自分のがんばりが止まってしまうものだ。

 そこで僕は“きわめびと”として二つの極意を助言した。

 まずは「マイクアピール」──。プロレスではおなじみの行為であり、これは自ら信念や目標を宣言して場内を盛り上げると同時に、自らの退路を断つということでもある。

 僕は2007年8月、『G1CLIMAX(ジーワンクライマックス)』(新日本プロレス最強を決める総当たりリーグ戦)で初優勝した際、「必ず俺たちの世代で、もう一度プロレスを爆発させます!」とアピールした。その決意が、いまの新日本プロレスの人気復活への一つの原動力になったと思っている。

 自分の経験を踏まえ、遥さんにも夢に向かって強い気持ちで前進してほしかったのだ。

 そして、もう一つの極意は「カウント2.9の魔法」──。

 勝負を決するカウント3の直前、それは本当に自分が精一杯やったか、試される瞬間だ。ギリギリの状態からいかに立ち上がるか? その瞬間を実感してもらうため、遥さんには腹筋100回のミッションを課した。

 結果、彼女は限界になっても必死に起き上がり、見事にノルマを達成。「もうだめだ!」と思った瞬間から立ち上がる、プロレス特有のカタルシスを伝えられたと思う。

 自信を持った遥さんは「声優としてお仕事がもらえるようがんばります!」とあらためて宣言。明らかに輝いている遥さんの表情を見て、きわめびとは感極まった。

 数年前まで「プロレスラーみたいですね?」と言われていた僕が、“きわめびと”としてNHKに出演を果たした。収録前は「自分で大丈夫かな?」と思っていたが、人の人生に関わるということの重さを喜びに変えることができ、非常に貴重な経験になった。

<第5回に続く>

棚橋弘至
新日本プロレス所属プロレスラー。1976年、岐阜県大垣市生まれ。立命館大学法学部時代はアマチュアレスリング、ウェイトトレーニングに励み、1999年、新日本プロレスに入門。同年10月10日、真壁伸也(現・刀義)戦でデビュー。その後、団体最高峰のベルト、IWGPヘビー級王座に何度も君臨。第56代IWGPヘビー級王者時代には、当時の“歴代最多防衛記録”である“V11”を達成した