五輪金メダリスト・清水宏保さんがたどり着いたセカンドキャリア【前編】/あの人の仕事論①

ビジネス

更新日:2020/7/7

自分らしく働き、時代の第一線を行くトップランナーたち。彼らはどんな風にして今のキャリアを手にしたか。ときには挫折も経験しながら、紆余曲折を経て現在のポジションを獲得した彼らに、“仕事とは何か?”を聞く『Indeed特別編集 あの人の仕事論』(KADOKAWA)から、「あの人」の多様な働き方や生き方、仕事に対する考えを紹介。

『Indeed特別編集 あの人の仕事論』(KADOKAWA)

時間と向き合い タイムリミットを逆算

清水宏保さん
写真:築田純/アフロスポーツ

株式会社two.seven 代表取締役
清水宏保さん(46歳 北海道)

 スピードスケートのオリンピックメダリストがセカンドキャリアに選んだのは介護の世界。心身を限界まで追い込んだ経験のあるアスリートが伝えるのは、人生を俯瞰し逆算する”時間の概念“だ。

清水宏保さん

やめてすぐの仕事は全然楽しくなかった

 長野五輪(1998年)で日本のスピードスケート選手として初の金メダルを男子500mで獲得。1000mでも銅メダルを取り、名実ともにトップアスリートとなった清水宏保さん。五輪初出場は1994年リレハンメル。そこから1998年長野、2002年ソルトレークシティ、2006年トリノと、冬季五輪に4連続出場している。引退を表明したのは、2010年のバンクーバー大会の代表選考会が終わった直後。五輪への出場権を逃し、35歳で選手生活の幕を閉じた。

 引退するアスリートにマスコミが必ず投げる質問、それは、引退後の身の振り方だ。

「どんな取材にも、スケートやスポーツに携わる仕事ではなく、スポーツから全く懸け離れた、一から自分でつくり上げていく道を進みたい、と答えていました」

 だが、「実際に引退してみたら、何をすればいいのかわかりませんでした」と清水さん。引退時の2010年、自身が代表取締役を務める株式会社two.sevenを設立。カフェ付きの小さなペンション、宅配水の事業など、興味を持ったさまざまな仕事に手を出してみた。しかし一向に面白みが湧かない。

「やめてすぐの仕事は、どれも全然楽しくなかった。一からのリスタートをしたくて、実際そうしたのに、スポーツからあまりに懸け離れすぎて面白くないんです。スケートをやっていたときのような楽しさや充実感はなかったですね。そもそもキャリアが全く生かせないから、仕事に対して意見も何も言えない。楽しくないですよ」

あれ?これってオリンピックサイクルじゃない?

 アスリートに現役寿命は付き物。しかも、日本を代表するトップともなれば国民の期待を背負うプレッシャーも半端ではなく、最高値の自分にこだわるのは当然だ。

 では、いつ退くのか。実は、清水さんがセカンドキャリアについて意識し始めたのは、現役中の28歳からだったという。

「引退の2文字が頭に浮かんだのは、ソルトレークシティを目前にしたときでした。僕は2月(27日)生まれだから、五輪期間中は27歳だけど、終わったら28歳になっている。次の五輪までやったら32歳です。アスリートとして確実に衰えていく年齢だとわかっていながら、果たして維持できるのか……。また、32歳といえば、新卒で社会人になった人より、すでに10年出遅れています。追い付くにはどうすればいいのかと、28歳から、真剣にセカンドキャリアを考え始めました」

 アスリートを続けたい気持ちも当然強くある。彼の中で葛藤が始まった。自問自答を重ね、自らの体と向き合い、バンクーバー五輪落選が決定した際、「次はもうない」と、35歳で現役引退を決断した。

「それでね、思い返せば、引退後の仕事が面白くなったのも4年目からなんですよ。あれ?これって五輪と同じじゃん、と(笑)」

 引退から3年目の2013年、清水さんは故郷の北海道(札幌)に整骨院を開業。ここから、次第に仕事が面白くなっていく。

札幌駅から車で約15分の「リボンリハビリセンターみやのもり」。高齢者の通所介護施設としては珍しい、筋力向上に着目したワットバイクなどのマシンも導入。「ここに来ると汗をかく」「体を動かすことで気持ちも充実した」と好評だ

全く違う分野でもキャリアがあれば意見できる

 自分が立ち上げる事業を整骨院にしたのは、投資額が自己資金で賄えたこともあるが、一番肝心なのは、「現場と対等に意見交換ができる」ことだった。

「アスリートは尋常でない数のけがを経験しているため、治療やリハビリを乗り越えた経験値も高い。それに、僕は幼少期から気管支喘息を患っていますから、自分の体と向き合いながら、競技人生を送ってきた軌跡がある。そうした経験により、たとえ施術の資格はなくとも、言葉や内容が理解できる。治療現場と意思疎通ができる、誘導できると考えたんです」

 結局、自分のキャリアが生かせる仕事、つまり、スポーツの延長線上にある仕事が面白いのだ。

 だが、清水さんのセカンドキャリア計画は、“スポーツに貢献したい”という思いだけで終わらない。

数字を追う感覚はスピードスケートに似ていた

 建設会社を経営していた父の背中を見て育ったこともあり、会社勤めではなく、経営・運営側に立つ方がイメージしやすかった。

「経営で数字を追ったり、収益を計算したり、集客数を伸ばしたり。数字と戦うことは、スピードスケートの感覚に似ていました。競技では数字を減らすのが目標で、今は増やすのが使命と、逆向きにはなりましたけれど(笑)」

 2014年には、リハビリ特化型通所介護施設『リボンリハビリセンターみやのもり』を札幌に開設した。翌2015年、『リボン訪問看護ステーション』も併設する。アスリートのセカンドキャリアを素人が想像するに、コーチ、解説者、タレント、子供のスポーツ指導、スポーツジムの開業などはたやすいが、なぜ介護分野だったのか。そこには清水さんの理論的なビジネスプランがある。

後編に続く)