夜にだけ現れるという不思議なパン屋。ぽっかりと空いた心の穴を埋めてくれるのは…『空腹の心にひとくち』【書評】
公開日:2025/6/16

ひっそりと夜に開くパン屋さんを舞台にしたイラストコミック『空腹の心にひとくち』(526/KADOKAWA)。全編にわたってイラストだけで、セリフはひとことも登場しない。それなのに、人々の思い悩みや物語に込められた温かみが、人肌のように伝わってくるのはなぜだろうか。言葉がなくとも疲れた心を満たしてくれる優しさの詰まった、エピソードが綴られている。
仕事で終電を逃したサラリーマンや両親が不仲な大学生、キャラクターがうまく描けなくて苦悩する漫画家。異なる年代、異なる境遇でありながら、心のどこかにぽっかりと穴が空いた人々は、夜な夜な歩く道すがらに明かりの灯った小さなお店を見つける。
扉を開けてみると、そこには懐かしい空気が漂うパン屋さんがあった。ミステリアスな雰囲気を持つ女性店主の微笑みとおいしそうな香りにつられて、彼らはついついショーケースに並ぶパンに手を伸ばす。
静かなイートインスペースで空腹な心が満たされた人々は、優しいパンの味と過去の思い出を回想しながら、少しだけ心にゆとりを取り戻していく。
思えば、一口かじった瞬間、彼らの心にじんわりと広がったのは、小麦の甘みだけでない安心感だったのかもしれない。今も昔も変わらないパンの見た目や香りは、過去の愛おしい風景や記憶の奥底に埋もれていた思い出を、一瞬で現実にも浮かび上がらせてくれるから。
また、クロワッサンやメロンパン、フルーツサンドなど、さまざまなパンが柔らかいタッチでおいしそうに描かれていて、眺めているだけでも幸せな気持ちにさせてくれる。
忙しない日々に心が疲れた人。ままならない人間関係に嫌気がさしている人。そんな人たちにこそ、ぜひこの漫画を手に取ってみてほしい。お店に灯る明かりとふんわりとしたパンの優しさが、あなたを癒してくれるだろう。