【ブレイディみかこ】英国で問題になっている「クラス・シーリング(階級の天井)」――貧しさゆえに能力を発揮できない若者たち。日本の「経験格差」「親ガチャ」とも通じるものが【インタビュー】
更新日:2026/8/21

長くイギリスに住み、日本とイギリスの狭間で揺れ動く社会を見つめ続けているライター、コラムニストのブレイディみかこさん。新刊『それはどこでも起こり得る 壊れゆく世界への抵抗』(文藝春秋)は、イギリスや欧米で使われはじめた「奇妙な言葉」を追いながら社会の深層を探ろうとする意欲的な一冊だ。それらの言葉から浮き上がるのは貧困や差別、右傾化など日本にも無関係ではない実相ばかり。果たしてどんな思いをこめたのか。お話をお聞きした。

いずれ日本にも当てはまる「奇妙な言葉」たち
――どんな観点から本書で取り上げる「言葉」を選んだのでしょう?
ブレイディみかこ(以下、ブレイディ):まだあまり日本では知られていないけど、将来的には日本にも当てはまりそうな言葉だと思ったものですね。ただ書く上では、言葉そのものというより、なぜこの言葉が普通の人の心に刺さっているのかを探りたかったんです。同じようなニュアンスを違う言い回しで言うこともあったりするので、どういう社会状況や政治状況からこれらの言葉が染み出てきているのか、そういう背景というか。英国やヨーロッパの状況を中心に書いていますが、おそらくこうした言葉が生まれる状況は日本にも似ている部分があるだろうし、近い将来に同じような状況になるんじゃないかとも思っています。
私は日本人ですが、イギリスに30年住んでいるので、自分の中に「どこにも属さない感覚」みたいなものがすごくあるんですね。だから選んだ言葉たちは、この感覚が気づかせてくれた面もあると思います。
例えば「自己責任」という言葉は5年くらい前のイギリスでは聞いたこともありませんでしたが、コロナ後にメンタルをやられた若い世代が急増したり、AIの影響も現れて就職難になったことで、「self-responsibility」という言葉で登場するようになりました。日本でも就職氷河期世代の就職難でこの言葉が広がりましたよね。イギリスも全く同じで若い世代が「ロストジェネレーション」と呼ばれ始めている。両国では文化的背景も違えば距離もあるのに、社会が似たような状況になってくると同じような言葉が使われ出しているというのは、なんだか面白いですよね。
――どうして同じような言葉が使われるのだと思いますか?
ブレイディ:やっぱり経済と、そしてテクノロジーの影響が大きいと思います。SNSの登場で誰でも政治的発言ができるし、共有もされやすくなりましたから。ただSNSはアテンションエコノミーですから、恐怖感や憎悪を煽るような強い感情が共有されやすくて、そこから「分断」が生まれてしまう状況なんかも国が違っても同じです。ネットは世界のどこでも使えるものだから、「宗教が違う」とか「文化が違う」とかいうのは、どんどん崩れていくんじゃないでしょうか。

――英語のほうが言葉の意味がはっきりしていて、日本語は曖昧さや含みが多いとか、そういうことはありませんか?
ブレイディ:それは一概には言えないと思っていて。例えば日本語は「権力」と自分自身の「力」を別の言葉で使いわけますが、英語だとどちらも「power」です。その場合、日本語のほうが違いがはっきりしていて英語のほうが曖昧だと思います。
ただ英語の場合は言葉の意味を文脈から理解するところがあって、個人の力の意味が強いと「power of」、それが一人一人集まると「power with」になって、それが権力の「power over」にもなりうる。イギリスでは政権交代がよくあるので、「私はこういうのは違うと思う」というpower ofから、こういう世の中になってほしいという他の人とつながってpower withになり、それが権力のpower overと闘い、そっちが権力を奪い取ることもある。そうすると単語を分ける必要がないじゃんってことになるわけですよね。でも日本は最初から別物になっていますよね。
――確かに日本では、権力と個人の力は地続きではないというか、乖離しています。それが言葉にも表れているわけですね。
ブレイディ:以前、私が『リスペクト』という本を書いた時に取材してくれた方が「自分も一人デモを始めたけれど、『一人でやっても何になるわけじゃないのにバカじゃないのか?』ってすごくバッシングされる」と言っていました。イギリスでは一人でそういう活動をする人は結構いるし、それこそハイドパークなんかにはスピーカーズ・コーナーがあって演説する人もいたりしますが、バッシングする人なんていません。やっぱり日本の場合は、個の「力」が集まって最終的に大きな「力」になるという前例があまりなかったし、そういうことがあまり信じられないから、個の力と権力が乖離しているんでしょうね。自分たち一人一人がパワーを持っていると信じないと、社会はなかなか変わりません。今回の本にも書きましたが、むかしは伊藤野枝みたいに、「あなたは一国の為政者でも私より弱い」と大臣に書き送った人がいたんですけどね。
