【「伊坂幸太郎の20年」特集番外編】『クジラアタマの王様』でタッグを組んだ川口澄子が語る制作裏話

ビジネス

更新日:2020/7/12

インタビュー:川口澄子

昨年7月発売になった伊坂幸太郎さんの『クジラアタマの王様』は、現実的な会社員小説の合間に、異世界RPG調のファンタジーコミックが挟み込まれる前代未聞の作品。伊坂さんが10年以上前から構想し、自ら持ち掛けた唯一のコラボレーション企画でもある。その『クジラアタマの王様』でコミック部分を担当したのが、川口澄子さんだ。もともと大の伊坂幸太郎ファンだったという川口さんに本作の制作裏話を訊いた。

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一ファンとして、ほとんどの作品を読み込んできた伊坂幸太郎さんだからこそ、お受けできた仕事だと思います


かわぐち・すみこ●1973年、兵庫県生まれ。筑波大学芸術専門学群美術専攻洋画コース版画分野卒業。画工。書籍や雑誌、パッケージ等で挿絵や図解、イラストルポを手がける。著書に『お茶のすすめ お気楽「茶道」ガイド』、『七十二候美味禮讚』(三浦俊幸氏と共著)など。装画近刊に『大名倒産』(浅田次郎)。
 

 小説で描かれる“現実”と、セリフのないコミックパートで描かれる“夢”が、交互に展開していく『クジラアタマの王様』。川口澄子さんが伊坂さんのファンだということは担当編集者も知らなかったというが、偶然、しかし来るべくして訪れた依頼だった。

「『残り全部バケーション』とか『ゴールデンスランバー』とか、やっぱりラストに辿りついたときの驚きと爽快感が、伊坂さんの小説を読む醍醐味じゃないですか。担当編集者の砂原さん(NHK出版)もデビュー以来の伊坂ファンなので、読者としてそれを味わえないのはさみしいね、なんて話をしていましたが(笑)、仕事をするからには、これまでと同様、求められたものに120%以上で返していくだけ。伊坂さんの頭のなかにある『クジラアタマの王様』を、ベストな形で読者に届ける。仲介者の砂原さんがいちばん大変だったと思いますが、“どうすればもっとよくなるか”の視点でかわされる伊坂さんとのラリーは、一仕事人として、とても心地のいいものでした」

本作の依頼のきっかけとなった川口さんのイラスト
伊坂さんは、この絵にピンときた

 

伊坂さんの中にあるものを、私を通してダウンロードすべく、
試行錯誤を繰り返しました

 文章化されたものをただ挿絵にするのとはちがう、小説には描かれていない隙間を埋めて、なおかつ伏線にもなるコミックパート。伊坂さんからは文章でだいたいの構想や希望は伝えられるものの、現実とは異なる世界が舞台ゆえに、背景ひとつ定めるにも綿密なすりあわせが必要となった。

「背景のイメージはオーストラリアの荒野、修道院みたいなところはグルジア風、町の中はイタリアっぽい、というのをまず砂原さんと伊坂さんでイメージとして共有し、ピックアップした画像が私に送られてくる。それをヒントに、私も図書館や手持ちの書籍、インターネットなどありとあらゆる資料をもちいて、イメージを広げたラフを起こしていく。お見せして『そうそう!』ってなることもあれば、『ちょっと違うんですよね』となることもあり……とにかく伊坂さんの中にあるものを、私を通してダウンロードすべく、試行錯誤を繰り返していました」


 

とくに難しかった、街並みや建物の描写

「普段、背景を描くことがあまりないので、パースが狂ってしまって。でも砂原さんから、狂っていていいんです、と言われて少し楽になりました。現実でも、風景の細部まで着目している人はほとんどいない。“本当はこうなのに”とか“ちょっとバランスが変かも”という部分があっても、むしろそれが“夢”である説明になるから曖昧で大丈夫です、と。たしかに、マンガとしての緻密さが求められているなら、それが得意な方に依頼されているはずなんですよね。私がそれまで砂原さんとご一緒したお仕事は、“図解”が多くて。複雑だったり難しかったりする事象を、核は決して外さずにわかりやすく紐解いていく。その能力をおそらく信頼していただいたから、伊坂さんの脳内を具現化するイタコのような役割を託されたんだと思うことにしました」

建物を描いたカットのラフ

同シーンの最終バージョン

 

迫力を出したいところではコマを大きくしたり、
どうしても必要なところには効果線を入れたりしました

 確かに背景が緻密に描きこまれているわけではない。だが、シンプルな線で表現される、躍動感と迫力。川口さんの描くコミックパートには、現実世界でなくても、キャラクターが確かに息づいていると感じさせるリアリティがある。

「それは最後の最後まで、砂原さんと相談しながら試行錯誤して描いた結果ですね。最初、コマ割りはすべて均等にして、効果線も入れず、淡々とニュートラルに見せていこうというのが伊坂さんのイメージだったんです。昔の、のらくろマンガみたいに、コマの大きさも登場人物も全部同じサイズで進めようと。でも実際に描いてみたら、シリアスさが失われてどこかコミカルになってしまった。いわゆる日本のマンガのような表現にするのは伊坂さんのイメージとも違っていたので、最低限ですが、迫力を出したいところではコマを大きくしたり、どうしても必要なところには効果線を入れたりしました。躍動感でいうと、野球と剣道をやっていた経験が生きたのだと思います。岸が矢を投げたり、ヒジリが大刀を振るったりする場面では、こんなふうに動くんじゃないかなと予想して、居合の師範・日本武徳院の黒澤雄太さんの動画をチェックしながら描くのが楽しかった。あとは、普段から動物や人間の絵を描くのは好きなので、ハシビロコウを描いているときも楽しかったですね」

ラフ段階の均等のコマ割り

コマの大きさに変化をつけた最終バージョン

川口さん自身の野球や剣道の経験が生きたアクションシーン

異世界の象徴的な存在・ハシビロコウ
「クジラアタマの王様」とはハシビロコウのラテン語の呼び名

 

伊坂さんから受けた「カードスリーブ」の発注

 結果、川口さんのコミックパートなしでは成立しない、唯一無二の作品となったわけだが、伊坂さんがどれほど喜んだかは、その後、別の仕事を依頼されたことからもうかがえる。

「コミックパートを描いている間、そのイラストを気に入ってくださった伊坂さんはハマっていたカードゲーム『デュエル・マスターズ』のカードスリーブのデザインを私に頼みたいと、砂原さんにおっしゃっていたそうなんです。刊行後、砂原さんを介して正式にご依頼いただきました。オーダーは“『クジラアタマの王様』の夢世界みたいな雰囲気で、かっこいいドラゴンと剣士のような人”。ただ、私はカードゲームもデュエル・マスターズもよく知らないので、伊坂さんのイメージを具現化するにはやっぱりそれなりの調整が必要となる。というわけで、本来なら関係ないはずの砂原さんに再び仲介していただきながら、制作することになりました。砂原さんのご提案で、構図の異なる3パターンを伊坂さんにお見せしてみたら、剣士の手前にドラゴンが立ちはだかっているものがいちばんかっこういいと。最初は背景なしだったんですが、これまた砂原さんが、荒野とか石畳や廃墟といった戦いの痕跡が見えると世界観が増して面白いんじゃないですか、とおっしゃって……。『クジラアタマの王様』はなるべく線を少なくそぎ落とした形でつくりあげていきましたが、一枚だけで世界を表現するカードの場合は描き込んだほうがいいと私も思ったので、細かいところまで凝りました」

 そうして完成したのが、青を基調に光り輝く剣士が剣をもってドラゴンに立ち向かう幻想的なイラスト。その仕上がりに、伊坂さんももちろん大興奮。

「『クジラアタマの王様』のときと同じかそれ以上にテンションの高い「大喜びの返信」が届いたので、転送しますね、と砂原さんがメールを送ってくださったんです。そうしたら、子供みたいに全力ではしゃいでくださっているのが、文面から伝わってきて。たぶん、仕事とは関係のない趣味のことだから、手放しで喜ばれたんじゃないかなと思います。それがなんだか、プロとしてだけじゃなく、伊坂さんの一読者として、本当に嬉しかった。できあがったカードスリーブを私にも送ってくださったときは、付箋に伊坂さん直筆で『超かっこういい!』 と書かれていて。宝物としてとってあります」

川口さんが手掛けたカードスリーブのデザイン

 

伊坂作品との出会いは、友人の薦めで読んだ『ラッシュライフ』

 本誌でも語っていただいたことだが、川口さんが伊坂さんの作品と出会うきっかけとなったのは、大学時代からの友人に「とにかく読んで!」と『ラッシュライフ』を薦められたこと。以来、彼女とはともに伊坂幸太郎フリークとして作品の感想を共有し続けてきたが、『クジラアタマの王様』制作中はそれを伝えることができなかったのがもどかしかったという。

「顔合わせを兼ねた打合せで初めて会いしたとき、友人の名前を添えて『ラッシュライフ』にサインしていただいたんです。あのとき『ラッシュライフ』に出会えたことがここにつながったよ、と刊行後、『クジラアタマの王様』と『ラッシュライフ』のサイン本を友人に送ったら、『鼻血出そう!』ってLINEがきました(笑)。ちなみに、私がサインしていただいたのは『チルドレン』と『サブマリン』。伊坂さんの小説は、構成が巧みだとか、展開が独特だとかいうだけでなく、登場する人たちがみんな筋を通していてブレないところが魅力的。サインしていただいた2冊も、正しくあるというのがどういうことかが描かれていて、とても好きなんですよね」

 それほど思い入れが深く、隅々まで小説を読みこんできた川口さんだからこそ、伊坂さんと革新的な作品が実現できた。同じことは二度とできない、と川口さんは言う。

「これまでずっと、オーダーに合わせて画風を使い分けてきましたし、私の絵はこうだから、みたいな感覚はないほうなんですけれど……ここまで自分を消すことができたのは初めて。制作中はとにかく必死だったし、私が描いたものではあるけれど、コミックパートも含めてすべて伊坂さんの発明だと思っているんです。クレジットから私の名前を消したほうがいいんじゃないかとご提案したくらい。誰が描いたかわからないほうが、よりおもしろくなるとも思ったので。けっきょく、名前は出していただくことになりましたが、それくらい私はこのお仕事で、何かを成したいとか自分の評価につなげたいという気持ちはなかったんです。伊坂さん、砂原さんと三位一体で作り上げたコミックパートなので、他の作家さんに同じような寄り添い方はできないでしょうし 、万が一『クジラアタマの王様』みたいなことをしませんかとお声がけいただいても、絶対にお引き受けすることはないでしょう。そもそも伊坂さんに失礼ですし。それくらい、私にとって唯一無二の作品。お声がけいただけて本当によかった、と心から思います」

 

取材・文:立花もも