アンチ・批判コメントを受けたときの気持ちの正体は何? SNSで否定的なコメントを受け取ってしまったら…

暮らし

更新日:2021/6/29

その「きもち」は誰のもの?

 冒頭で私がアンチコメントを受けたときの気持ちを書きました。

すべてを放り出したくなるような
存在を消去したくなるような
心臓をえぐられるような
自分のすべてを否定されたような気持ち
これまで積み上げてきたものがすべて崩されるような感覚
自分がやってきたもの何もかも人格ごと否定されたよう
たったひとつのコメントなのにこの世のすべてが敵になったような孤独感や恐怖感
そしてこんな心ないトゲだらけの言葉を投げつけられるような
自分は無価値で大切にされることのないどうでもいい人間なんだ

 とても傷つきましたし落ち込みました。でも普段通りの生活をしていると、その気持ちは少しずつ消えていったのです。なぜ消えたのかというと「自分のきもち」ではなかったから。ではこれは誰の気持ちだったのかというと「アンチのきもち」です。

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 人は基本的に聞いたことのない言葉やセリフは使うことができません。アンチコメントは多くの場合、悪意のあるニュアンス、明確に相手を攻撃するニュアンス、そして相手を否定するニュアンスを含んでいますが、これはアンチがどこかでその言い回しを学んだということになります。とはいえ、どこかで目にしたくらいでは自分の中には残りません。とすると、アンチ本人が「誰かから言われた言葉」であると考えられます。(誰かが誰かに言っているのをアンチが見て共鳴したという可能性もあります)

 例えが古いかもしれませんが、かつて「不幸の手紙」や「チェーンメール」というものがありました。受け取るとすごくショックでドキドキして「不幸になったらどうしよう」と思ったものです。これって誰かから「不幸」をバトンで渡されているようですよね。人の怨念が詰め込まれてどんどん膨らむ風船を渡されたような感覚です。

 アンチコメントも同じで、多分最初は「アンチ」も「アンチコメントのようなこと」を誰かから言われているのです。その「嫌なきもち」をコメントに込めて、バトンとしてまた誰かに渡しているに過ぎません。嫌なものが詰まった風船を必死に誰かに渡しているだけ。

 先ほどの私の傷ついた感覚は、「アンチのきもち」に「共鳴した」だけなのです。

自分の中にある「アンチのきもち」が消えない理由

 アンチコメントを受けた方の傷つきは、一時的に「アンチのきもち」に共鳴しているだけなので、時間が経てば少しずつ薄れていきます。緊張している人の隣にいると緊張が移りますが、その人から離れるとリラックスできるのと同じ原理。

 もしその感情がいつまで経っても消えない場合。それはどこかで「自分のコンプレックス」と重ね合わせてしまったり、「自分が悪い」と考えてしまったりして、感情に自分を寄せていってしまった可能性があります。

 具体的に言えば「自分に悪いところがあったのでは」と反省をはじめてしまったり、自分の落ち度を探しはじめてしまったりしているかもしれません。そうすると、自分が最初に感じていたのは「他人の感情の単なる共鳴」だったとしても、「自分にもそう感じるべきところはある」と理由づけすると、「自分のきもち」として変換されてしまうので、いつのまにか他人の感情が自分のものになってしまうのです。

 でもそこに共鳴する必要はまったくありません。「わーこの人こんな気持ちで毎日生きてるんだ。大変ね」と「アンチのきもち」のまま自分の中からお引き取りいただいて構いません。

アンチコメントをもし受け取ってしまったら…

 まず傷つくのは当然です。そこを「自分が弱いからだ」などと思う必要はありません。
アンチが傷ついていて、あなたの共感能力が高いのですから。むしろ自然現象です。

 膨らんだ風船を渡されて、自分で止めてしまったり誰かに渡してしまったりするとそのゲームに参加したことになってしまいます。でもそんな訳のわからないゲームには参加せず、そっと風船を置いて去ってもいいのです。「アンチのきもち」は「アンチ」のものなので、持ってきてはいけません。そっとその場に置いてきてください。

 ここまで読んだって気持ちはすぐに晴れないかもしれません。こんなこと書いてる本人も毎回モヤモヤしてますから。

 でも「自分のきもち」にしなければ、必ず消えていきます。まずは「思い当たる節」を探すのをやめましょう。あなたの中にはないから。無理やり悪いところ探し出さなくていいから。もし、よっぽど心当たりがあるのなら、そのときだけ反省してください(笑)。

文=白目みさえ

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