鈴木保奈美「水着姿で写真を撮られるのは当たり前の時代を知っているから、傷つく人がいない未来のためにできることを考えたい」エッセイを通して知った書くことの効能【インタビュー】
公開日:2026/10/2

娘をせっせと車で送迎したり、目薬をさすのに苦戦したり、ひとりきりの夕食でカップラーメンをすすったり。『わたし、そんなにとんがってましたかね。獅子座、A型、丙午はめぐる』(中央公論新社)は、鈴木保奈美さんが等身大の日常を綴った人気エッセイ集第2弾。書くこと、読むこと、日々を楽しく過ごすことについて、話を伺った。
日常の中で、ふと気になることを綴った約90篇

──2020年のエッセイ集『獅子座、A型、丙午。』(中央公論新社)に続き、第2弾が刊行されました。約90篇のエッセイが収録されていますが、1冊にまとまったものを読んだ感想は?
鈴木保奈美さん(以下、鈴木):前作よりもさらにボリュームがあって、読み応えがありますよね。およそ5年分ですが、我ながらよく頑張って書いたなと思います(笑)。しかも、担当編集者がテーマごとに4章に分けてくださったので、読みやすくて。
──日常のささやかな失敗から次の世代に伝えたいメッセージまで、内容は多岐にわたります。毎回どのようにしてテーマを決めていたのでしょうか。
鈴木:あまり「こうしよう」と決めすぎないようにしていました。日常で起きたこと、友達と話していて引っかかったこと、仕事先で気づいたこと、ニュースで目にしたことなど、その時々で気になることを書くことが多かったですね。月刊誌の『婦人公論』で連載していたので、鮮度の高いうちに「先月こんなことがありましてね」とお伝えする。連載も長く続き、だいぶ慣れてきたので、しゃかりきになることなく毎月楽しんで書いていました。
──収録されたエッセイの中で、鈴木さんが特に印象に残っているものは?
鈴木:ママ友たちと子どものタトゥーについて語り合った「ある夜の議論」ですね。エッセイを読んだ周りの友人たちの間でも、話題になりました。

──ママ友が20代の息子さんから「オレがタトゥー入れるって言ったら、ママどう思う?」と聞かれたことをきっかけに、鈴木さんたちの間で議論が巻き起こったというエッセイですね。ママ友の答えは、「自分の身体をどうしようと自由。わたしは好きではないけど」。そこから「それは結局、彼の自由を否定しているのではないか」とタトゥーの是非ではなく親子間の指示・強制の問題へ話題が発展していったそうです。
鈴木:仲のいい友人同士ですけど、中には違う視点から切り込んでくる人もいて。そのことに対して、誰もシャッターを閉じることなく「あ、そういう考え方もあるのか」と建設的な話ができる。そういう仲間がいるのは、本当にありがたいことだと思います。このエッセイの発表後、子どもたちも同じ話題で話し合ったそう。それも含めて面白かったですね。
──友達とのエピソードでは、「梅仕事」も素敵でした。自家製の梅干しづくりに駆り出され、手作業をしながらとりとめのない話をする。その空気感やちょっとした秘密の会話ごと梅と一緒に漬け込まれ、熟成されていくような感じがしました。
鈴木:ありがとうございます。私も「手仕事をする女性って、昔からこういうコミュニティを築いてきたんだろうな」と思いを馳せることができました。日本だけでなく、キムチを仕込む韓国のオモニたちもきっと同じ。そんな想像をめぐらすことも楽しかったです。
──エッセイでは、母親としての日常も語られます。お嬢さんたちも、1冊目に比べると成長されましたね。
鈴木:そうですね。娘を育てるというより、自分が育ててもらったという実感が大きいですね。諦めや我慢もたくさん経験しましたし、許せないことも「もうしょうがない」と受け入れてきました。
もちろんイライラすることはありますよ。ワーッとなるけれど、だからと言って物を壊すほど大胆でもなくて。でも「もうビール飲んで寝てやる!」みたいなことはたくさんありました(笑)。
──子育て以外にも、ピアノの椅子を足に落として怪我をするなど大変な思いをされたことも書かれていました。落ち込むことはあっても、なんとかポジティブに転換する姿勢も素敵ですが、気持ちを前向きに保つ秘訣はありますか?
鈴木:やっぱり何があっても明日は来るわけで。翌日に仕事があるおかげで「いや、いつまでも落ち込んではいられない。ちゃんと顔を洗って、明日はきれいにメイクしてもらってテレビに映らなければ」と気持ちを切り替えられています。もちろん、私を支えてくれる家族や友人の存在も大きいですね。
明日も朝起きて生きなきゃいけない。どうせ生きていかなきゃならないんだったら、元気出してやっていきましょう、という感じでしょうか。とはいえ、その前に一度落ち込みますけど。
水着になるのは当たり前の時代を経て、今思うこと

──次世代の若い人々への思いを語ったエッセイも印象的でした。「レオタードの呪文」では、デビュー当時の鈴木さんがレオタード姿で週刊誌のグラビアを飾った時のことが語られています。当時は「そういうものだ」と受け入れてきましたが、今の鈴木さんは若い女性の無防備な姿が無頓着に扱われることに危うさを感じています。このエッセイに込めた思いを聞かせてください。
鈴木:私が過ごしてきたのは、性差別やセクシャルハラスメントなどに対する意識が高まり始めた過渡期でした。仕事を始めたばかりの20歳くらいの頃は、水着姿で写真を撮られるのは当たり前。むしろ、お仕事をさせてもらえてありがたいし、それで人気が出ればうれしいと単純に思っていたんですね。それが異性からの搾取であるという発想は当時はほとんど持たれていなかったと思いますし、「ちょっと待って」と立ち止まって考えることもありませんでした。
ですが、今は時代が違います。過渡期を過ごした私たちは、両方を経験しているし、両方のことがわかる。どちらがいい/悪いとは言えませんが、こうした問題意識を知ってしまったら、もう元の時代には戻れません。できる限り傷つく人がいない未来を目指したいですし、今できることを考えていかなければならないと思います。これまで生きてきた人間の責任なんじゃないかな、と。
──大人として、次の世代に何を残せるのか考えることがあります。鈴木さんはどうすべきだと思いますか?
鈴木:「こうすべき」という正解はないと思うんです。だから私は、私にできることをしようと思っています。
この20年……いえ、30年、40年かな(笑)、いろんな先輩方から助けてもらい、教えてもらい、優しくしてもらい、守ってもらいました。たくさんのものをいただいてきたので、今度は私が若い世代に返す番です。
私のいる場所で、私ができることは何かと考えると、例えば「撮影現場の女子トイレがもう少しあったらいいよね」など、みんなが働きやすいよう意見を言うことでしょうか。人によって環境はそれぞれ違うと思いますが、今の場所で私が言えることはできるだけ発言していこうと思っています。
本の世界に飛び込んで、知らないことを教えてもらう。その豊かな体験が読書の醍醐味

──鈴木さんは、BSテレ東で本の情報番組『あの本、読みました?』の司会を務めています。読書家としても知られ、このエッセイ集でも本について語ったものがいくつもあります。お好きな作品の傾向は?
鈴木:今は『あの本、読みました?』の準備として、普段自分では選ばないような本を読む機会も増えて。それはそれで非常に面白いんですよね。最近番組に出演してくださった探検家でノンフィクション作家の角幡唯介さんの著書も面白かった。もともと冒険ルポルタージュやネイチャーものが好きなんです。昔、『野生の王国』というテレビ番組があってよく観ていましたね。
──他のお仕事もある中、読書の時間を捻出するのは大変ではありませんか?
鈴木:舞台のセリフを覚えなければならない時期は、どうしても24時間舞台のほうに意識が向いてしまいます。そういう時は、あらかじめ「来月はあまり読めないかもしれません」と番組スタッフにお話しして調整していただいています。
でも、普段自分からは選ばないような本を読むと、「あ、私、こういうのも好きなんだな」という意外な発見もあって。それもうれしいことですね。
──普段本を読むのは、どういうタイミングですか? 就寝前など決まった時間に読んでいるのでしょうか。
鈴木:寝る前とお風呂の中で読むことが多いですね。「こういう気持ちの時はこの本」という処方箋のような読書は、私はあまり好きではなくて。本の世界に飛び込んで、知らないことを教えてもらう。その豊かな体験を味わいたいんですね。
ただ、舞台やドラマの撮影がある時は、小説はあまり読まないんです。特に、現代ものの作品に出演する時に現代ものの小説を読むと、頭がごちゃごちゃになってしまうので。そういう時はエッセイや動物もののノンフィクションなど、ジャンルの違うものを読みますね。旅行ガイドも好きです。旅行の予定がなくても、旅に思いをめぐらせながらガイドブックを読んでいます。
──このエッセイ集と同じ週に、旅のエッセイ『中途半端な旅人は語る』(小学館)も上梓されました。こちらはどんな本でしょうか。
鈴木:旅行ガイドというより、私が旅をして考えたことを書きました。友達との旅行中、なんとなく気持ちがすれ違ってしまい、「人と時間を過ごすってどういうことだろう」と思いを巡らせたり。自分にとってどういう人間関係が心地いいのか、若い時と今とでどんな違いがあるのかと考えたり。
他にも、その土地ならではの面白い食べ物、食べ方のことも。食べ物は、その土地の気候や文化に根差しています。「この土地だからこのチーズがおいしいんだ」といった発見もあって面白いんです。旅行先に合わせて、その土地の本を読んでいくとより楽しい。そんなことも書きました。
書くことを通して、自分も他人も受け入れられるようになった

──エッセイ第2弾の刊行をもって、『婦人公論』の連載は幕を閉じました。書くことによって、鈴木さんの中で何か変化は起きましたか?
鈴木:日常の中で何気なく引っかかったこと、腹立たしかったこと、うれしかったこと、情けなかったことなど、ちょっとしたことを膨らませてエッセイの形にしていました。ただ、1篇1300文字近くあるので「腹立たしかった」だけでは終われません。残りの1000字を埋めるために、「なぜ腹立たしかったんだろう」「自分は何が嫌だったんだろう」と書きながら考え、「あ、そうか。ここが嫌だったんだ」「私はここが許せなかったんだ」と気づいていく。それが「自分ってこういう人間なんだ」という発見につながりました。
好きなこと、嫌いなこと、気にならないこと、許せないこと。そのトータルが私の個性です。そして、私と同じように、他の人にもそれぞれの感じ方がある。許せること、許せないことが人それぞれ違って、それこそが個性になっているのだと改めて感じました。人は違いがあるから面白いんですよね。
そう思うと、どんな人も受け入れられるようになるんです。「この人、なんでこんなことを言うんだろう」とカチンときても、もう一歩奥へと探っていく余裕が生まれるんですね。言葉をかけられた瞬間はカチンと来るかもしれないけれど、少し時間を置くと「あの人がこういうことを言ったのには、こんな前提があったのかもしれない」と考えることができる。それは、エッセイを書いてきた効用だなと思います。
──約9年間の連載を振り返って、今思うことはありますか?
鈴木:半分は世の中の不公平や欺瞞にブツクサ文句を言って、もう半分は情けなくトホホな人間だと晒しています。「自分ってこういう人間なんだな」と改めてわかりましたし、「こんな人がいてもいいんじゃないか」と自分の嫌なところも受け入れられるようになりました。皆さんも、この本を読んで「この人に比べれば、私のほうがちゃんとしている」と自信を持っていただけたら幸いです(笑)。
取材・文=野本由起 写真=金澤正平
衣装=ラルフ ローレン コレクション
