安室奈美恵の母が遺した『約束―わが娘・安室奈美恵へ』――25年間ブレない強さと原点を探る!

エンタメ

2017/12/31

安室奈美恵さんに憧れてファッションなどの真似をする“アムラー現象”が巻き起こった

 2017年9月20日、日本中に激震が走った。

「わたくし安室奈美恵は、2018年9月16日をもって引退することを決意致しましたので、この場を借りてファンの皆様にご報告させていただきます。」

 それは、日本音楽界の第一線で活躍してきた安室奈美恵さんの突然の引退宣言だった。この発表のわずか3日前には、故郷である沖縄でデビュー25周年記念の凱旋コンサートを成功させ、メモリアルイヤーの幕開けとなったばかりだった。

 90年代に一世を風靡した小室ファミリーの一員として、“アムラー現象”を巻き起こし、瞬く間に日本中の女の子を虜にした安室さん。

 そんな安室さんのコンサートはMCがないことで有名だが、今では当たり前となったSNSで自ら発信することもない。アーティストとして、彼女が語るものは“ステージそのもの”。ステージこそが全てなのである。歌とダンスで全てを具現化し、2時間以上にわたりノンストップで歌い、踊る姿は最早アーティストではなく、アスリートの域である。

 また、彼女の魅力は決してステージ上だけではない。誰もが憧れる圧倒的なスタイルに美しさ、そしてアーティスト「安室奈美恵」としてのブレない芯の強さである。常に自分のスタイルを追い求め進化し続けてきた。いったい彼女の魅力の根源は何なのか。そのストイックさと芯の強さの原点を垣間見られる一冊の本が『約束―わが娘・安室奈美恵へ』(平良恵美子/扶桑社)だ。

『約束―わが娘・安室奈美恵へ』(平良恵美子/扶桑社)
幼少期からレコード大賞を受賞するまでの貴重なエピソードが語られている

■Just Chase the Chance

 今でこそ、トップアーティストの名にふさわしい安室さんだが、幼少期は誰かが家に来ても後ろに隠れて、もじもじする子だったそうだ。

学校でもごくふつうのおとなしい子で、ほとんど目立たない。友達はいるけど、けっして目立つことをしない。言ってみれば、地味な子だった

 そんな彼女が沖縄のアクターズスクールにスカウトされたのは有名な話である。友達に誘われて見学に行ったところ、マキノ正幸校長に誘われ、校長自らバス停まで追いかけてきたのだ。そして特待生として入学し、アクターズスクールまでの往復3時間の道のりを週3日通い続けた。そしてここから、安室さんの意志の強さが見え始めるのだ。

中学校に入学すると、アクターズスクールにのめり込み、寝ても覚めてもアクターズのことしか頭にない日々。(中略)母子喧嘩も増えました。喧嘩した翌日なんか、私が「今日はアクターズを休んで、少しは家にいなさい」と注意しても、洗濯したり買い物に行ったりしている間に、パッとバッグを持って出て行ってしまうんです。帰ってくるとなにくわぬ顔をしてCDを聴いている。逆に言えば、ほんとうに意志の強い子だったんです。

■夢なんて過去にはない 未来にもない 現在(いま)追うものだから

 ジャネット・ジャクソンに憧れ、いつか歌手として成功することを夢見て、アクターズスクールに夢中になるあまり、とうとう中学校の出席日数が卒業単位ぎりぎりになり学校からも呼び出されてしまうほどだったという。

「このままじゃ、卒業できませんよ」
そんな厳しい言葉が投げつけられたときです。
奈美恵がはっきりとした声で、こう言いました。
「卒業できなくてもかまいません。中学の卒業証書があっても将来ごはんが食べられるわけではありません。私は歌でお金を稼ぎ、りっぱにやっていきます。そして、お母さんを楽にさせてあげたいんです」

 引っ込み思案だった少女がタンカを切るように放った一言。彼女自身が今一番大事なのは何なのかを分かっていたからこその言葉だろう。わずか中学生にして、芯の強さをすでに身につけていたのだ。

■I’ve gotta find a way, so let me go

 ついにスーパーモンキーズとしてのデビューが決まり、東京に旅立つという晴れの日のことだった。娘を思う母親の気持ちとすでに決意を固めた娘の意志がとうとう衝突を起こしてしまう。

「行っちゃだめ!絶対にだめ!」
「行く!絶対に行く!」
バッグの引っ張り合いになりました。奈美恵の目には涙があふれていました。でも、、、、、、最後には、私が折れました。
奈美恵が涙をぽろぽろ流しながら言った「絶対に成功するから」という言葉を聞いたとたん、バッグをつかむ手から力が抜けてしまったんです。

「絶対に成功する」その思いを心に秘めて、故郷の沖縄から飛び立ったのだ。

■いつの日か I’ll be there

 しかし、上京しても暫くは鳴かず飛ばずだった。今となっては意外なように思われるかもしれないが、当時は女優としても活動していた。しかし、それも新聞のテレビ欄に名前の出ることのないような脇役での出演だったのだ。ようやくレギュラーとして決まったのが『ポンキッキーズ』という朝の番組。鈴木蘭々と「シスターラビッツ」を結成し、ウサギの着ぐるみを着て踊っていたのだ。

 そんな下積み時代を送っていた安室さんだが、決して時間の余裕があったわけではない。3年やってダメだったら沖縄に戻るとの約束があったからだ。その期限は近づく一方で、休暇も兼ねて沖縄にちょこちょこ帰るようになった安室さん。しかし故郷の地で休みつつも、会話は少なかったという。

奈美恵はきっと、私に心配をかけたくないから、沖縄に帰ってきても私とはあまりおしゃべりをしなかったんだと思います。
すべてが心配な母親と、母親には一切心配をかけたくないと思う娘。あの頃のわたしたちは、そんな関係だったんです。

■ここまで どんな 道を歩いて あなたにやっと たどり着いたかを

 そんな中、「TRY ME〜私を信じて〜」がヒット。そこから一気にトップへと駆け上がった。そして1996年には「Don’t wanna cry」でレコード大賞を受賞し、涙をこぼした。

いろいろなことが走馬灯のように頭の中をよぎりました。ミルクを飲まない赤ちゃんの頃、元気にはしゃぎ回っていた子供の頃、貧乏のどん底にあっていじけていた頃、アクターズに通っていた頃、そしてなにより、中学卒業と同時にボストンバッグひとつで家を飛び出していった後ろ姿……。
「3年で帰って来ることになる」と私は思っていました。でも、奈美恵自身は「3年後を見ていろ」という思いだったはず。それが実現し、結晶したのがレコード大賞だったわけです。
子供の頃から、奈美恵はめったに涙を流さない芯の強い子でした。まして、人前で泣くなんて絶対にありえない子。それが、レコード大賞受賞のときには人目をはばからず泣いたんです。

 沖縄で歌とダンスに夢中になった一人の少女が、まさに夢を叶えた瞬間こそがこのレコード大賞だったのだろう。

 本の中にはこうも綴られている。

私も含めて周囲が「絶対に無理だよ」と言っていたことをひとつひとつ実現していった

安室奈美恵の強さ”は幼い時から持ち合わせた一種の才能なのかもしれない。しかし、そこには彼女が25年間歩んできた軌跡が確かに見て取れるのだ。

■この場所から未来へ

 引退発表後に発売されたオールタイムベストアルバム『Finally』は売り上げ180万枚を突破し、10代、20代、30代、40代でのミリオン達成という前代未聞の金字塔を打ち立て、2月からは自身最多の5大ドームツアー17公演にアジア公演5公演のファイナルツアーが決定しており、計80万人を動員予定。さらに14年ぶりにNHKの紅白歌合戦にも出場することが決定しており、再び日本中に安室旋風を巻き起こしている。

 25年の集大成ともいうべき最後のツアーのセットリストはファンによる投票によって決定される。チケットはすでにプレミアチケットと化しており、最後のステージを目に焼き付けたいファンで溢れている。彼女は最後のステージでいったい何を私たちに伝えてくれるのだろうか。引退までの残り1年から目が離せない。

そして、安室奈美恵の最大のヒット曲である“Can you celebrate?”
平成の歌姫の引退に、彼女と共に歩んできた人々はこう答えるだろう。
“I WILL celebrate”

文=新橋更紗
写真=濱崎正太郎