「いい人」にならず、本音で老いと孤独を楽しむ! 『私の後始末』準備してますか?

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公開日:2019/2/1

『私の後始末』
(曽野綾子/ポプラ社)

『人生の値打ち』(曽野綾子/ポプラ社)、『夫の後始末』(曽野綾子/講談社)など、多くのベストセラーを生み出してきた曽野綾子さん。このままならない世の中に、小さな、けれど確かな光をともしてくれる彼女の言葉が、一冊の書籍にまとめられた。『私の後始末』(曽野綾子/ポプラ社)だ。

人間は幸福によっても満たされるが、苦しみによると、もっと大きく成長する。ことに自分の責任のない、いわばいわれのない不運に出会う時ほど、人間が大きく伸びる時はない。老年に起きるさまざまの不幸は、まさにこの手の試練である。(「老年のさまざまな苦しみは、人間最後の完成に向けた試練」)

 本書は、誰にでもやってくる「老い」、そして「孤独」や「死」をどのように受け入れ、楽しめばよいか――つまり、自身の“後始末”をどのように考えるかのヒントとなる曽野さんの発言が詰まっている。

「本音こそ人生の歓び」と題された第1章では、自分の抱く感情にどう向き合えば心軽くいられるか、第2章では、「こんなはずではなかった」という状況をどのように生き延びていけばいいのかが提案される。続く第3章は、世間と自分とのあいだには適切な距離があることを、第4章は、謙虚さという歓びの種があることを、さらに第5章は、みずから考え動くことの尊さを、第6章は、抗わず自然体でいることで見えてくるものがあるということを、軽妙洒脱な文章が教えてくれる。

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死ぬとき一生で楽しかったと思えるのは、「偉大なこと」ではない

 曽野さんの発言は、どれも簡潔でわかりやすく、最短距離でわたしたちの胸に届く。その言葉の的確さ、そして軽やかさは、「研ぎ澄まされた」というよりも、「自然に晒され、本来あるべきものだけが残った」と言い表すほうがしっくりくる。それはおそらく曽野さんが、ベストセラー作家として、家族を看取る者として、「人が生きる」ということの真髄に触れ続けてきたからだろう。

 わたしたちは日々、老いていく。不条理な世の中を、自分の思い通りに変えることなどできない。だが、失ったもの、叶わないことを嘆くばかりでなく、ほんの少し受け止め方を変えることができたなら、人生の見方は変わるはずだ。

 そうは言っても、贅沢には憧れるし、隣の芝は青いしという人に、やさしく、純粋な気持ちを思い出させてくれる曽野さんの言葉をひとつ示して、この記事を締めくくろう。

私が死ぬとき一生で楽しかったと思うのは、恐らく、偉大なことではなく、ささやかなことに対してであろう。一晩中苦しんで眠れなかった翌朝に朝露を見たこと、悲しかった時に夕陽に照らされたこと、自信を失いながら風に吹かれたこと、手をとってもらったこと、ある人から一生に一度も裏切られなかったこと、笑って別れたこと、一言も言わなかったこと、浅ましいケンカをしたこと、疲れて眠ったこと、尊敬を覚えたこと、などであろう。自分の小説のことなどはでて来ないだろうという気がする。(「一生で楽しかった思い出はささやかなこと」)

文=三田ゆき