「わたしに障害があるのは、あなたのせいです…」脊髄性筋萎縮症の女性が語る“障害者じゃなくなる日”とは?

暮らし

公開日:2019/12/14

『わたしが障害者じゃなくなる日 〜難病で動けなくてもふつうに生きられる世の中のつくりかた』(海老原宏美/旬報社)

“わたしに障害があるのは、あなたのせいなのです。そう言ったら、おどろきますか?”

 こんなフレーズにドキッとする。『わたしが障害者じゃなくなる日 〜難病で動けなくてもふつうに生きられる世の中のつくりかた』(海老原宏美/旬報社)は、障害に対する価値観を変えてくれる1冊だ。
 
 知らない人から「障害があるのは、あなたのせい」といわれたら、多くの人は「なぜ私のせいなの?」と疑問を抱くだろう。だが、本書を通じて著者の海老原宏美さんの想いに触れれば、きっとその言葉の真意に胸が熱くなるはずだ。

“わたしが病気であることと、「障害がある」ことは、別のこと。わたしの生きづらさをつくりだしているのは、この世の中、この社会なのです。わたしのような障害者でも、楽しくて、もっと生きやすい世の中って、つくれないのかな。それはきっと、障害のない人だって生きやすい世の中なんじゃないかな。わたしは、そんな社会をつくりたいと思っています。”

 海老原さんは体の筋肉が段々衰えていく「脊髄性筋萎縮症」と闘っている。人工呼吸器を付け、車椅子に乗っているが、文章に表される彼女の心は希望に満ちている。

 障害があると生きづらさを感じることは多い。筆者は先天性心疾患という病気であるため、言葉にしづらい歯がゆさを感じてきた。だが、同時によく考える。どうして社会の仕組みや思い込みに合わせて、自分のやりたいことを我慢しなければいけないのだろうと。

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 そう思い続けてきたからこそ、海老原さんが提案する“新しい障害の考えかた”に痺れた。

【古い障害の考えかた】
階段しかない建物に入れないのは、あなたが車いすに乗っているせいです。
【新しい障害の考えかた】
車いすの人が入れないのは、階段しかないこの建物のせいです。

「障害」があるのは人ではなく、その人を取り囲んでいる物やルールだと考える海老原さん。彼女は、今まで「障害があるから仕方ないだろう」と見過ごされてきた社会の不平等さについて鋭く指摘する。

 心身が健康であっても日常生活の中で不便さを感じることはある。たとえば、よちよち歩きの子どもや日本に来たばかりの外国人、また妊婦さんが感じる不便さには「社会に問題がある、変えていこう」という声がようやくあがるようになったが、障害者が感じている不平等さについては、まだ十分に目が向けられていないように思う。だがそれは何か違うのではないだろうか。

“わたしは、がんばる必要はないのです。どんな障害があってもくらしやすくなるように、あきらめなくてすむように、社会ががんばらなきゃいけないのです。”

 海老原さんの力強い言葉は、どんな福祉論よりも説得力があり、かつ温かい。

■障害者が障害者でなくなる日を夢見て…

 海老原さんは障害がある子どもが通う特別支援学校ではなく、地元の小中高に通学してきた。大学へ進学した際には自ら作った「介助ボランティア募集」のチラシを校内の掲示板に貼り、介助者の手を借りながら、健常者との違いをあまり感じず、一人暮らしや旅行なども楽しんだという。

 だが、就職活動中に企業からたびたびかけられた言葉に、自分が重度の障害者であることを自覚したそうだ。「就職」に大きな壁を感じた海老原さんは、「日韓トライ2001」への参加を決意する。これはワールドカップ開催に先駆けて、日韓の障害者が韓国のプサンからソウルまでの512kmを歩き、バリアフリーの調査をしながら障害者の存在や活動をアピールするというイベント。健常者と障害者を合わせた30人の仲間たちと野宿をしながら絆を深めていく中で、心のバリアが取り除かれていくのを感じたそうだ。

 こうした体験をしたため、健常者と同じように就職をして組織の中で与えられた役目をこなすのではなく、車椅子で積極的に外へ出ていき、自分たちの存在や生活についてよく知ってもらうことが自分にできる大きな仕事だと考えるようになった。

 障害を個性だとポジティブに受け止めるのは難しいことだ。だが、当事者が負い目を感じる必要はない。彼女の言葉から伝わるのは、「障害は乗り越えるべきものではなく、共にあるもの」という感覚。平等にとらえるみんなの声が多く集まれば、障害者が障害者でなくなる日がきっとやってくるのだ。

文=古川諭香