栄光と衰退――『2000年の桜庭和志』から読み解く、プロレスの本質

スポーツ

2020/3/14

『2000年の桜庭和志』(柳澤健/文藝春秋)

「健康診断帰りのオッサンみたいな顔でリングに上がってくる」――鈴木みのるは自著『プロレスで〈自由〉になる方法』(毎日新聞出版)の中で、2012年の桜庭和志をこう評した。総合格闘技が衰退する中、桜庭が新日本プロレスのリングに復帰した頃のことだ。PRIDE時代、あれほど楽しそうに試合をしていた彼が、なぜこんなにもつまらない試合を? 桜庭の本当の凄さを知る鈴木は、もどかしく感じていたのだ。

『2000年の桜庭和志』(柳澤健/文藝春秋)は、桜庭の“本当の凄さ”を初めて明らかにした本だ。

 小学生の頃、初代タイガーマスクこと佐山サトルに憧れ、桜庭はプロレスラーを志した。高校、大学ではレスリング部に所属し、アマチュアレスリングに打ち込んだ。念願かなってUWFインターナショナルに入門。ベースであるレスリングに、カール・ゴッチ由来の関節技、ムエタイの打撃(当時のUインターにはムエタイのファイターが在籍していた)を習得。さらに柔術にも触れたことで、スタンドでもグラウンドでも戦えるオールラウンダーとなった。

 1997年12月、桜庭和志は横浜アリーナで開催されたUFC JAPANのヘビー級トーナメントに出場して、なんと優勝してしまう。リング上で行われたインタビューの際に「プロレスラーは本当は強いんです!」と発言したことはあまりにも有名だ。

『2000年の桜庭和志』の中で、桜庭はこの名言に触れてこう言った。

「あれはアナウンサーに『プロレスラーは弱いと言われていますが』と言われたから、それを引っ繰り返しただけです」

 プロレスラーと格闘家は、まったく異なる戦いをしている。プロレスラーは観客と戦っている。観客を楽しませ、興奮させ、再び会場に足を運ばせる力を持つレスラーが高い評価を受け、メインイベンターとなる。一方、格闘家は、対戦相手と戦う。強い相手を次々に倒せば高い評価が得られて、メインイベンターとなる。

 格闘家がいきなりプロレスのリングに上がって、観客が楽しく、興奮できる試合をすることは難しい。同様に、プロレスラーが総合格闘技のリングに上がって連勝街道をひた走ることは不可能だ。1990年代後半まで、日本人は総合格闘技を知らなかったといっていい。ファンもプロレスラーも、そしてアナウンサーも。だからこそ、まったく異なるものをごっちゃにしていたのだ。

「僕の目指すプロレスと世間で言うプロレスの違いは、戦う相手が誰か、ということになると思います。プロレスはお客さんと戦うでしょ。どっちが勝つ、負けるというより、お客さんの反応の方が大事なんです。(中略)そういう客対レスラーという側面から見ればすごく真剣勝負だと思う。で、僕のやっているのは、倒すか倒されるかという意味での真剣勝負なんです」(桜庭和志)

 日本総合格闘技の草創期のレジェンドである桜庭和志の凄さは、勝利を至上目的とする総合格闘技のリングで、「観客を意識した試合」をしたことだ。

 桜庭は、総合格闘技である「PRIDE」のリングでローリングソバットやフットスタンプ、モンゴリアンチョップなどのプロレス技を使い、海外の猛者たちを次々に倒した。有名なホイス・グレイシーとの試合では、なんと107分にも及ぶ死闘を繰り広げた。

『2000年の桜庭和志』では総合格闘技史上、最も有名な桜庭vsホイス戦を50ページ近くにわたって詳細に記述している。エキサイティングな試合の模様だけでなく、東京ドームの観客たちの熱気までもが伝わってくるようだ。著者の筆力に圧倒される。

 グレイシー・ハンターでありIQレスラー。2000年の桜庭和志は輝いていた。

 だが、人は年齢を重ね、技術は進化を続ける。ファイターの強さは永遠に続かない。PRIDEを去り、HERO’SからDREAMへと移った桜庭は、2012年、新日本プロレスでプロレスに復帰する。かつてPRIDEで見せてくれた楽しさや意外性、そして強さをプロレスのリングで発揮することは難しくなっていたようだ。鈴木みのるのような「プロレスラーとして頂点に上りつめる!」という強い意志が桜庭にあったようには見えない。

 2015年12月29日、桜庭和志はさいたまスーパーアリーナで開催された「RIZIN」のメインイベントに出場した。相手は日本最強のグラップラー・青木真也だ。32歳の青木は46歳の桜庭をボコボコに殴り続け、悲痛な叫びが会場を包んだ。タオルが投入され、桜庭は負けた。試合直後、青木は桜庭から「これが仕事だよ」と声を掛けられ、号泣したという。

 もう桜庭は終わりだろう……。口にはしなくとも、そう感じていたファンは少なくなかった。だがそうではなかった。2018年春、桜庭和志はグラップリングの大会「QUINTET」を立ち上げたのだ。

 細かいルールを定めた。「打撃がないから怪我の心配も少ない。団体戦だからリスクを恐れず、強い人や凄い人にどんどんぶつかっていける。知的で戦略に富んだ戦いが楽しめる」とファイターたちは喜んでいるという。

 QUINTET始動に当たり、わたしは桜庭和志にインタビューをした。事前にマネージャーから「人見知りだから喋らないかもしれません」と言われていたのだが、桜庭は意気揚々とQUINTETの魅力を語り、素人のわたしにグラップリングの基礎を丁寧に教えてくれた。そして「またプロレスをやりたいですか?」と聞くと、少し戸惑って、しかし真っ直ぐに「やりたいですよ、プロレス」と答えた。

 桜庭はいま、プロレスリング・ノアのリングにも上がっている。昨年9月、エディオンアリーナ大阪大会に初参戦。入場から割れんばかりの歓声が沸いた。試合が始まると桜庭はPRIDE時代の殺気を放ち、観客は彼の一挙手一投足に息を飲んだ。小川良成という実力者を相手に数々のプロレス技を繰り出し、まさかのドロップキックまで披露した。2012年の桜庭和志とは違う。そこには「IQレスラー」の名にふさわしい男の姿があった。

 2000年の桜庭和志はもういないかもしれない。しかしいま、2020年の桜庭和志は確実に輝いている。もしかしたら、これまで以上に。

 著者である柳澤健は、本書をこう位置づけている。「『1984年のUWF』の続編にして『1976年のアントニオ猪木』の最終章」――。この3部作は星座のように繋がっており、どれもが煌々と光り輝いている。ぜひ3冊を手に取って、その魅力を堪能してほしい。

 桜庭和志という人物を知ることで、プロレスとはなにか? 格闘技とはなにか? 強さとはなにか? その答えが見えてくるだろう。

文=尾崎ムギ子