江戸時代のおでんはどんな存在だった?/日本の食べものクイズ<雑学大王 日本史編>

暮らし

公開日:2021/7/15

【答え】ぜいたくなもの

【解説】
江戸時代には、炭を使った小鍋料理が登場した。蛤(はまぐり)、牡蠣(かき)など、新鮮な海の幸を入れた鍋を楽しんでいた。おでんが登場するのも江戸時代だ。おでんというのは、田楽(でんがく)の御所言葉である。田楽といえば本来は豆腐だったが、江戸時代後期になると、串刺しの蒟蒻(こんにゃく)を煮込んだおでんや、現在のようないろいろな具の入ったおでんもつくられた。一汁一菜が基本だった江戸の町民にとって、たくさんの具材を入れたおでんは、ぜいたく品だっただろう。肉を使った鍋もある。鶏(とり)や猪(いのしし)などがおなじみで、『鬼平犯科帳』に登場する「五鉄」の軍鶏(しゃも)鍋も、当時を代表するもの。鬼平の物語中、五鉄は本所深川周辺探索の拠点になっていて、その名物が軍鶏鍋である。作り方は、まず醤油、酒、砂糖か味醂(みりん)を鍋に入れて割り下を準備する。この場合、少々濃い味にするほうが軍鶏に合っている。割り下が煮立ったら、笹がき牛蒡(ごぼう)と軍鶏の臓物を入れて、熱いところを食べる。葱(ねぎ)や芹(せり)などを入れてもいい。軍鶏は、江戸時代に渡来した鶏。シャム(タイの旧称)からわたったので、こう呼ばれるようになった。江戸時代にはアジア各地から動物が輸入され、大名家などでペットとして愛玩するのが流行ったが、食用にもされて、広く民衆にも親しまれるようになっていった。

雑学総研

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