後悔が残った父の最期。「自分のために」と葬儀で行ったこととは【著者インタビュー】
公開日:2026/3/7

大好きな母と、母と自分を苦しめてきた父がほぼ同時期にがんと宣告された枇杷かな子さん。そこから約2年間の間ダブル介護に取り組んだ日々を綴ったのが『今日もまだお母さんに会いたい』(KADOKAWA)だ。
枇杷さんの前作『余命300日の毒親』は自身の父との記憶をベースにしたセミフィクション。本作にはそのモデルになった父と、母の闘病生活を支えた日々が描かれる。母を虐げ続ける父を介護する葛藤、迫り来る大好きな母との別れへの不安、そしてそれぞれの看取りと母を亡くしてからの感情……。本心を隠すことなく描かれるその物語には、自分自身の両親との別れを重ねずにはいられない。枇杷さんに当時の心境から経験者としてのアドバイスまで、さまざまなお話を伺った。
――お父さまが亡くなられた時、お父さまからの「ありがとう」の言葉を素直に受け取れなかったことを後悔するシーンがありました。後悔しつつも「私しんどかったもんな」と思えたのが素晴らしいなと思いました。
枇杷かな子さん(以下、枇杷):今でも、父からの「ありがとう」の言葉に対し、「いいよ」くらい言ってあげればよかったなと思っています。それでも自分の苦労や困難をなかったことにしたくなかったんですよね。私自身何度も「死にたい」と思うくらい父とはいろいろなことがあったので。そんな自分を労わってあげたい気持ちがありました。
――湯灌(ゆかん)という、故人の体を洗い清める儀式を追加料金でするかどうか迷われた時に、「自分のためにもやる」と決めたところも印象的でした。
枇杷:そこは正直やっぱり後悔があったからですね。湯灌は私にとってはかなり高額だなと感じてしまい…。でもそれをやったら後悔が少し軽くなるかなと思ったんです。父のためというよりは、後悔している自分を救うためにやろうと。
――ということは後悔なくお見送りできましたか?
枇杷:いや、それでも後悔はめちゃくちゃあります。そもそももっと準備しておくべきでした。まだ生きている時に亡くなったあとの準備をするのは嫌だなと思って何もせずにいたのですが、亡くなった後って3時間くらいしか病院にいられないんです。その間に安置所と葬儀会社を見つけないといけない。父が亡くなったのが早朝だったのもあり寝不足状態から急いでいろんな段取りを決めなければいけなくなって。もう葬儀会社は一番初めに広告に出てきたところに「ここでいいや!」と決めました。
取材・文=原智香
