ヨルシカ「初めてちゃんと喧嘩した」「妖怪のような存在」結成から今までを振り返る【書簡型小説『二人称』発売記念 ロングインタビュー】

ダ・ヴィンチ 今月号のコンテンツから

公開日:2026/3/24

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年4月号からの転載です。

 書簡型小説『二人称』。32通の封筒を開け、原稿用紙に書かれた約170枚の手紙を読み進めていく物語。「本の形から逸脱した文学作品があってもいいのではないか」。『幻燈』以来、約3年ぶりとなる新作はn-buna(ナブナ)のそんな思いから生まれた。手紙に書かれた詩が楽曲化されたデジタルアルバム『二人称』では「私だけでは到達できない歌声に連れていってもらえた」と語るsuis(スイ)。結成から9年。『二人称』から振り返る、ヨルシカの軌跡のなかにあったもの――。

 ひとりでいる時間の愉しさを最初に教えてくれたのは本だった。自分の翳りと似たものを言葉のなかから無意識に掬いとり、物語に乗りながらいつの間にか昇華させていく。ヨルシカの音楽を聴いていると、本や文学との原体験につながるものを感じる。実際の封筒と手紙を一枚ずつ開き、読み進めていく、これまで出会ったことのない形の小説。ヨルシカが上梓した書簡型小説『二人称』はまた新たな原体験だ。

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「幼い頃から、本ってなぜこの形なんだろうとよく思っていたんです。手紙でのやりとりが書かれたいわゆる書簡小説を読むなか、“実際に手紙の形にしたらいいのに”と思っていたのですが、なぜそれをしないのかという理由が今回、よくわかりました。32通分の封筒に約170枚もの手紙を入れる手作業をはじめ、予想を遥かに超える手間とコストがかかる。だから誰もしてこなかったのだなと。けれど僕たちのような出版の世界からするとアウトサイダーの人間なら他の分野での実績を提示しつつ、実現できるのではないだろうかと。どこかで誰かがしなければと、雪に足跡を付ける気持ちでこの作品を刊行しました」とn-bunaは語る。

『だから僕は音楽を辞めた』では手紙と写真、『エルマ』では日記帳、『盗作』では小説、『幻燈』では画集が作品コンセプト=物語として提示され、楽曲と同時にリリースされた。けれど今作は「書簡型小説」とその内容を音楽化したデジタルアルバムの配信には一週間ほどのタイムラグがあった。

「小説も音楽も単体として完結させたかったんです。小説が映画化されるように、小説のなかの少年が書く詩が音楽になった、という形で受け取ってもらいたいです。手紙のやりとり自体は一人称なのに、タイトルに『二人称』と付けたのも、作中の詩が音楽になり、それを聴くという別軸が生まれるところ、さらに小説を読む人の視点が二人称視点になる構造を持たせたいなと。けれど物語を読み進めていくうち、真の意味でその視点を持つ人の存在にも気付いてもらえるのではないかと思います」

「チラシを拝見しました。もしよろしければ、僕の作品を添削していただけないでしょうか」。一通の手紙から始まった、詩を書く少年と文学に詳しい「先生」の奇妙な文通。「君はこれから、途方もなく広い砂の海からたった一粒の琥珀を見つけなければいけない」という先生の言葉に導かれ、少年は言葉と世界を知っていく。

「フィクションとして面白いものをというところから、この設定を考えついたのですが、詩を書き、そこに返事がくる流れは、必然的に自分との対話、つまり自己問答になるなと。だから少年は、詩と音楽を作り始めた頃の僕、という立ち位置を作ろうと思いました。そして先生は大人になった今の自分の視点を持つ人に。少年には子どもの頃の僕が投影されているし、先生が綴る言葉にはその頃の自分がもらいたかった言葉を託しています」

 在原業平の唐紅の歌から想起した「魔性」という詩、萩原朔太郎の『月に吠える』を彷彿とさせるフレーズで始まる「火星人」、「千鳥」は宮沢賢治の詩から――。少年が書く詩には自身が触れてきた文学作品のなかの言葉がちりばめられている。先生の返信はそこから他の作品や作家自身の話へとつながっていき、「僕」の文学的知識を広げ、刺激していく。

「この物語は、引用癖のある少年が、引用というものを手段のひとつでしかないと知るまでの話。そこにも自分の投影が入っています。作中に出てくる文学作品は、僕が10代の頃に読んだ古典的名作ばかり。ここからそれらの作品に関心を持ち、読んでもらうことは、僕という人間が通った道を知るうえでは参考になるかもしれません。作中に出てくる正岡子規は、俳句より『墨汁一滴』などの随筆が面白くて。そういうことも、ここから掘っていく形で広げてもらえたら。文学から引用をするたび、いつも思うんです。これがリスナー、殊に若い世代の子が文学に触れるきっかけとしてうまく機能してくれたら、うれしいなと。そしてそれは、ヨルシカのひとつの使命だとも思っています」

 詩のなかに存在する引用も、n-buna が書いた小説も、レコーディング前には一切、触れないと語るsuisは、n-bunaのその思いをまた別の形で昇華していた。

『二人称』にあるいくつもの《動機》

「『二人称』を読み、n-bunaくんが提示する正解のもと、音楽を楽しむことがひとつの形としてありつつ、私はn-bunaくんの物語としてではなく、それを聴いた人の人生の物語になるようにしたいなと思っているんです。n-bunaくんの世界を見ることなく歌うことによって、それが誰かの人生にもなる余地を音楽に残すことが、私の役割になるのかなと考えています」

 ボーカリストとして、n-bunaの創作にある正解や曲にかけた思いは一切、汲まないという。

「詩と音楽から受け取ったものをそのまま、自分の解釈でアウトプットしたものが歌になっています。だから彼の正解と私の歌にはきっとギャップがあると思う。文学作品から引用した部分に関しても、それが誰の言葉であれ、そのフレーズから受け取るものは、私自身も、聴いてくださる方も、ひとりひとりが生きてきた感性で受け取るもの。それぞれが自分自身の人生に落とし込んだ解釈ができたら嬉しいです」

“僕たちが使う言葉自体が、そもそも借用の集合体ではないのですか?”。作中にある、この言葉がn-bunaの思想にはあるという。

「日常のなかで使っている言葉にしても、新しい言葉なんてひとつもない。借用と引用の集合体。自分自身が言葉のコラージュの集合体であることは長年意識してきましたが、それって誰もがそうだと思うんです。言葉に限らず皆、いろんな要素のコラージュでできている。僕はそこに割と自覚的であると思っているんです。今作ではそれが、テーマのひとつにしたかったものとつながっている」

 移ろいゆく季節のなか、少年と先生の手紙は行き交う。だがある日、「僕」は手紙のやりとりに潜むかすかな違和感に気付き、密かな文通は思わぬ真実へとつながっていく。そこに流れるもの、そして“世界は途方もない速度で進んでいて、季節と一緒に社会と環境が熟していく音が聞こえます”という少年の言葉からも、これまで普遍性というものを色濃く感じていたヨルシカの作品に、時代性や社会性といった要素が浮かびあがってくる。

「僕自身、大きな何かに縛られることが好きではなくて。だから法律が嫌いなんです。社会秩序のために絶対、必要なことはわかっているけれど、国が個人を罰している瞬間を見ることは耐えがたい。情報社会になってからは、これまで国が与えてきた刑罰を、SNSを駆使し、個人が個人に与えている。それは皆、意識していると思うんです。いろんな人の声が聞ける成熟した民主社会にはなったかもしれない。けれど行き着く先は、絶対的な厳罰化ではないかと思います。たとえばアメリカのように、刑期が2~300年とか、民衆を納得させるための刑罰の重さをどんどん加える社会のような。今の日本の法制度は適切だと思うのですが、SNSとインターネットで、誰かに、誰もが罰を加えられる時代になってきて、その適切さが崩れている感覚がある。そうした時代の感覚のなか、直接的な被害者ではない人が、罪を犯した人をどう許せばいいのかということを考えたかった。何を、誰が、どう許せばいいのか。そういう話を作りたかった」

 アルバムには「修羅」「アポリア」「晴る」をはじめ、ドラマやアニメの主題歌になった、すでに耳に馴染んだ楽曲が新曲とともに並んでいる。ここにもn-bunaがこの作品を作った《動機》がある。

「3年前、『幻燈』を作り終わったとき、ここからはタイアップも含め、ヨルシカが発表していく楽曲は、すべて次のアルバムの内容に則ったものにしていこうと決めたんです。タイアップ用のシングルカットを集めた最近のメジャーな音楽アルバムは、その必然性が薄まっている気がして。そうしたアルバム文化は美しくない、意識的に批判したいと思ったんです。だからタイアップの話を受けながらも、そのなかにこのアルバムの要素=文学の引用をこっそり仕込んでいこうと考えました。最終的に全曲がアルバムとしての流れを作る。タイアップを受けながらもその形を示すことができたらいいなと思っています」

「あれは本当に魔法のような瞬間だった」とn-bunaが語る「啄木鳥」という楽曲は、ヨルシカの《初めての顔》を見るような曲。スタジオで録ったそのまま、しかもファーストテイク。一方で先生に人生相談を持ちかける様子が、小説世界とも重なる、初期の頃の代表曲「ヒッチコック」も収録されている。

「『ヒッチコック』を発表したのは2018年。そのときからこの歌の内容、少年と先生のやりとりのあるアルバムを作ることを決めていたんです。この曲をここに収めたのはそんな意味もあります」

 それもまたひとつの引用なのかもしれない。ヨルシカがこれまで辿ってきた月日のなかにある、点と点がつながって見えるような重要な意味を持つ《引用》。

初期、そして『盗作』から変容してきたヨルシカの《今》

 17年の結成以来、ヨルシカが楽曲、アルバムを発表するたび、SNSはリスナーの《解釈》で埋め尽くされてきた。

「詩と音楽を提出すると、僕自身の心情だと理解されるのが面白くて。でもそうなるということは、ちゃんとリアリティが作られているということなのかなと。そうなるのはきっとsuisさんの歌声がシーンに迫ったものであるから、聴く人には《本当》に聴こえているのではないでしょうか」

「誰かの自分ごとになればいい」とsuisは言う。

「それが音楽の良い形なのではないかと思います。私自身も誰かの音楽を聴いたとき、その人の音楽として受け取ることってあまりなくて。ヨルシカの歌を聴いた人には“自分の歌だ”と思ってほしいです」

『盗作』をリリースした5年前、suisは自身のことを「ヨルシカの楽器」だと語っていた。

「n-bunaくんがもともとやっていたボーカロイドから人間のボーカリストに変わった立場としては、自分は“シンガーという楽器である”と思っていました。けれど、この5年の間に、楽器というより、奏者ではないかという考えに変わってきたんです。それは多分、ライブを重ねてきたなかで、喉の使い方をはじめ、幅広く応えられるようになったことが大きい。そのなかで、自分はただの楽器ではなく、それを弾ける人であると思っていいのかなと考えるようになりました」

 物語を作るのも、楽曲を作るのもn-buna。自分の担うものはボーカルだけ。「そのなかで――」というところで考えるようになったことも自身の変化だったという。

「ヨルシカというものに対し、歌以外の何を担えるかなということをずっと考えていて。以前いらしたスタッフさんに、“suisさんは最後にボトルにラベルを貼る人だね”と言っていただいたことがあって。“suisさんが歌うから、これはヨルシカになるんだよ”と。それを言われたときは、どういうことなんだろうと思っていたのですが、だんだんその意味がわかってきたんです。今はその役割を自分は担っている、と明確に思うことができるようになりました」

「私はヨルシカのことを“ヨルシカさん”と言っているんです」とsuisは言う。

「歌うときも、“ヨルシカさん、これで大丈夫ですか?”みたいなことを心のなかで呟いています。自分自身がヨルシカというより、どこか妖怪のような存在としてヨルシカを捉えている気がします」

「僕も自分がヨルシカだという認識はあまりないんです」とn-bunaも言う。

「世間の肥大してしまった“ヨルシカさん”のイメージをふたりで作っているということなんでしょうね。ヨルシカを結成して9年、そのなかで自分を楽器だと思っていたsuisさんの意識が奏者に変わったということが、ヨルシカのこれまでを語るうえで、僕は核の部分だなと思う。以前からもっと自我を出してほしいなと思っていたのですが、近年はその殻を破り、自分を出してきてくれて。この間、初めてちゃんと喧嘩して(笑)。それってすごく大事なことだなと思って。僕にとって、suisさんは一線を引いた存在だったのですが、ヨルシカを長くやってきて、互いに伝えたいことをちゃんと伝えられる関係に、ちゃんと変わってこられたんだなと」

「5年に1回くらいはちゃんと怒ろうと思って」というsuisの言葉にふたりは声をあげて笑う。

「ヨルシカを始めて1、2年の頃の僕は、いいものを作ってさえいればそれでいいという音楽マッチョの考え方をしていたから。非礼をすることはなかったけど、自分が絶対的な舵取りをしているという自負があった。“この答えが正解”と決め、最終形に向かって突き進むという作り方をしていた。けれど最近は一本の軸を提示しつつも他の要素やアイデアをもらいながら、プロジェクト的に進めていくほうが面白いと思うようになってきたんです。絶対的な軸と舵取りは、誰かひとりの脳みそのなかにあったほうがいいと思うから、それは僕が持っているけど、肉付けの部分はすごく柔軟になってきましたね」

「隣で見ていても、すごくいい形になってきているなって思うんです」とsuisが続ける。

「広がりという意味で、新しいほうへ行っているなと。初期の頃の、n-bunaくんが作った世界をそのまま、というのも、ヨルシカにとっては必要な形だったと思うし、何より私はヨルシカ結成の前からn-bunaくんの作品のファンだったので。それを踏まえつつ、人間が一緒にやっていく音楽というものがちゃんと音に出るんだということは、n-bunaくんが作ったデモテープが、演奏者の方をはじめとする皆の声を聞きながら、完成形になっていく過程から感じられる。人の心が混じっていった作品っていいなって思います」

『二人称』は、ヨルシカがつなぎ、変容させてきたものを提示する、ヨルシカの《今》だ。

「今作では、幾何学的な変拍子の幾何学的な楽曲とかポリリズム、ブラックミュージック的なファンクソウルや邦楽としてのポップス、洋楽としてのサウンドメイキングをごちゃ混ぜにしながらコラージュ的なものとしてアルバムの軸を作っています。これまで遠慮して出さなかった曲調も。僕のルーツ的な部分を普段より濃く出してみました。初期と比べると曲調は多分、正反対になっているけれど、それは僕自身の日記的な部分での変化でもあるし、恐れを持たずにポップスに向き合えるようになったことの、ひとつの形なのかなと」(n-buna)
「あと、笑顔で歌える曲が増えた。エルマとエイミーの物語が演目だった『月光』のライブは笑える瞬間がなくて。『盗作』もダークな感じで、自分を深く落ち込ませながら歌っていましたが、ただただ明るいわけではないけど、『二人称』は、これまでとは違う表情の歌声を聴いてもらえると思うんです。今までとは違う音楽のノリ方でヨルシカを楽しんでもらえるのではないかなって」(suis)

取材・文:河村道子

よるしか●コンポーザーのn-buna(ナブナ)が、シンガーsuis(スイ)を迎えて結成したバンド。 2017年4月より活動を開始。同年ミニアルバム『夏草が邪魔をする』、18年、ミニアルバム『負け犬にアンコールはいらない』、19年、アルバム『だから僕は音楽を辞めた』『エルマ』、20年、アルバム『盗作』、21年、EP『創作』、23年、音楽画集『幻燈』をリリース。

音楽画集『幻燈』
音楽画集『幻燈』

音楽画集 『幻燈』
オリジナルの画集にスマホやタブレットのカメラをかざすことで楽曲が再生されるアルバム。著作権の直接的な未来だと感じたNFT、ブロックチェーンの技術を、アナログ的に比喩した。

以前は自身のことを「ヨルシカの楽器」だと思っていたsuisが、「自分で表現している自覚が芽生えた」と語るライブ活動。『ヨルシカ LIVE TOUR 2026 「一人称」』は3月21日からスタート。

書簡型小説 『二人称』
(n-buna/講談社) 8470円(税込)

一通の手紙から始まった、詩を書く少年と文学に詳しい「先生」の奇妙な文通。先生の言葉に導かれ、少年は言葉と世界を知っていく。だがある日、手紙のやりとりに潜むかすかな違和感に気付き……。「先生はどういう人なんですか?」実際の封筒と手紙を一枚ずつ開く体験を通してヨルシカが描く「書簡型小説」。

ヨルシカの歩み

2012年
n-bunaがボカロPとしての活動を開始

2017年
ヨルシカの結成を発表
同年1作目のミニアルバム『夏草が邪魔をする』を発売

2019年
初のフルアルバム
『だから僕は音楽を辞めた』を発表、同年2作目のフルアルバム『エルマ』も発表
ライブツアー「月光」を開催

2020年
第34回日本ゴールドディスク大賞でベスト5ニュー・アーティスト[邦楽]を受賞
同年3作目のフルアルバム『盗作』を発売

2021年
ライブツアー「盗作」を開催

2022年
ライブツアー「月光 再演」を開催

2023年
ライブ「前世」を開催
音楽画集『幻燈』を発売
ライブツアー「月と猫のダンス」を開催

2024年
ライブ「月と猫のダンス」を開催
ライブツアー「前世」を開催

2025年
ライブツアー「盗作 再演」を開催

2026年
フルアルバム『二人称』を発売
ライブツアー「一人称」を開催

ダ・ヴィンチ 2026年4月号