父の隠し子との突然の同居。海辺の街、銭湯、不器用な二人が紡ぐみずみずしいボーイミーツボーイの物語『おかえり水平線』【書評】
PR 公開日:2026/4/3

近年、学生を主人公とする物語は、これまで以上に多様な広がりを見せている。部活や恋愛にひた走る物語も素敵だが、それだけではない。たとえば『スキップとローファー』(講談社刊)や『正反対な君と僕』(集英社刊)のように、学校という限られた小さな世界で交わされる人と人との営みや対話、その尊さや輝きを丁寧に描く作品が大きな注目を集めている。
こうした作品は、他者との対話や相互理解といった普遍的なテーマを内包しているからこそ、すでに学生時代を過ぎた大人の読者にも静かに響く。また、時を経てふとした瞬間に過去の自分が救われることもある。世代を問わず手に取れる優しさを湛えた物語でもあると思う。
『おかえり水平線』(渡部大羊/集英社)もまた、そんな系譜に連なりながら、独自の色合いで輝く新鋭の一作である。
主人公は、海辺の街で祖父と銭湯を営む高校生の遼馬。物語は、彼のもとに父の隠し子を名乗る少年・玲臣が突然現れるところから始まる。ある日突然、異母兄弟となった二人だが、本作では銭湯での同居生活を軸にしながら、高校生活ならではの日常と青春がみずみずしく描かれていく。

そうした物語のなかでとりわけ印象的なのが、遼馬を中心に広がる会話の営みである。……もっとも、本人は自分が中心にいるなどとは微塵も思っていないだろう。ただ結果的に、遼馬と彼の大切な銭湯に関わることで、複雑な出自を抱える玲臣はもちろん、大人や周囲の不条理に振り回され、人知れず影を抱えるクラスメイトたちも、少しずつ深く息をつけるようになっていくのだ。
そもそも遼馬というキャラクターの、なんと不思議で魅力的なことか。ぱっと見は朴訥としていて、何を考えているのかわからない。でも物語を重ねていくうちに、彼の輪郭が少しずつ見えてくる。たとえば玲臣は、遼馬がクラスに馴染めていないことを気にかけるが、実際のところ遼馬は馴染めていないわけではない。ただ、自分の望む距離で人と関わっているだけなのだ。
かといって、誰かに踏み込んで問い詰めるわけでもない。気の利いた言葉を差し出すわけでもない。それでも、彼のそばにいる人々は少しずつほぐれていく。まるで、言葉にしなくてもそれでいいのだと静かに伝えるように。寄り添うでもなく、突き放すでもなく、ただ目の前の人をそのまま受け止める。

いわば遼馬は、自分も他者も、それぞれがそのままで“在る”存在なのだと静かに受け止めている人物だ。その姿は、銭湯の窓から見える水平線の波のようでもある。
どこまでもぶれず、絶えず、そこにある。そんな彼と関わっていくうちに、気づけばとっ散らかっていた心や自意識が自分の内側へ帰ってきたような気持ちになる。
――大人になった今でも、理不尽なことや悲しい出来事は尽きない。けれど学生時代の苦しさは、どこか質が違っていた気がする。なぜあの頃は、あれほど世界の終わりのように感じられたのだろう。きっとそれは、世界の狭さだけではない。自分の抱えている痛みや不条理を、その存在をちゃんと認められなかったから。うまく認識できないままの傷は、かえって深く痛むものだ。
本作はそんな瞬間を優しく掬い取る物語でもある。そして、たとえ完全にはわかり合えなくても、「あなた」と「わたし」は違う存在として確かにここに在るのだと、そっと肯定してくれる。そんなことを私は過去の自分を重ねながら読んでいた。
始まりの季節。新しい出会いが生まれ、その分悩んだり、思い詰めたりもするこの時期に、心に爽やかな潮風が吹き抜けるような一冊だ。ぜひ手に取ってみてほしい。
文=ちゃんめい
