“頑張る”ことって、そんなに偉大じゃなくていい/栞をはさむように休めばいい
公開日:2026/4/16
「目に見える成果を出さなきゃ」
「今の状況を変えるために、もっといろいろ頑張らなきゃ」
もう十分よく頑張っているはずなのに、「まだなにもできていない」「頑張れていない」と自分自身を低く評価してしまう方は多いのではないでしょうか。
今回はエッセイ『栞をはさむように休めばいい』(詩旅 紡)から、自分の頑張りを自分で認められず、つい頑張りすぎてしまうあなたに向けた一節をご紹介します。
著者は、新卒で入社した会社で適応障害を発症。その後、「休んだら、もう二度と立ち上がれなくなる気がする」と頑張りすぎる自分自身に悩みながらも、現在の「書く仕事」にたどり着きました。本書は、これまでの著者の経験を踏まえ、頑張りすぎてしまう自分自身とどう折り合いをつけて前に進むかを綴ったエッセイです。
※本作品は、『栞をはさむように休めばいい』(詩旅 紡)から一部抜粋・編集しました。

頑張る≠革命
昼下がりの喫茶店。磨き込まれた木のテーブルの上に、アイスコーヒーが置かれる。氷がグラスの内側でからんと音を立て、ストローの先がわずかに揺れる。窓は少しだけ開けられ、外から春の空気が流れ込む。
人を待つこの時間は嫌いではない。心が澄んでいき、ほんの少しだけ安らぎが訪れたかと思えば、反対に、過去の記憶や未来への不安がざわつく瞬間もある。その両方を抱えながら、私は椅子の背にもたれていた。
「ごめん! おまたせ!」
声とともに、鮮やかな空気が流れ込んできた。軽やかなシャツを羽織り、春そのもののような姿で現れた姉。忙しいはずなのに、いつも私の話に耳を傾けてくれる。
私は定期的に姉と一緒にごはんを食べている。私がうつ病になっても、ずっと連絡を取り合うことができた。
「最近はどうなの調子」
届いたオムライスを頰張りながら、姉はいつものように聞いてくれる。冷静で温厚な姉。私と血がつながっているとは思えない。私は引っ込み思案で、空気の乱れに過剰に反応してしまう。
当時の私には職という職がなく、書くことを仕事にしたくて活動していたが、ほとんど先が見えていなかった。
焦っていた。焦っても仕方がないけれど、力んでしまう。収入より支出が多い日々が続き、どこかで思い切りギアを入れなければならないと思っていた。人はよく「頑張らなくていい」「逃げていい」「いつかきっと大丈夫になる」などと言ったりもするが、そんな言葉を受け取れる余裕を私は持ち合わせていなかった。
前職は適応障害で退職。せっかくまた正社員になれたのに続かなかった。その理由が、無理をし続けてしまったからだということは自分でもわかっていた。それでも、私はここで一歩力強く踏み出せなければ変われないと思っていた。
だからこそ生まれた葛藤があり、それを私は姉に正直に伝えた。
「頑張ったら、またうつになるかもしれない。そんなうつがある……」
変かな、と俯く私に「変じゃないよ」とすぐさま返ってくる。目の前のオムライスはぺろりとすでに姿を消しており、私のナポリタンは少々乾き始めている。アイスコーヒーを一気に飲み干した姉は、私にひとつ質問をくれた。
「あんたにとって、“頑張る”ってなに?」
私は言葉に詰まってしまった。
頑張るとは、何か。そんな簡単そうな質問に頭を抱えた。胸の辺りがぐるぐるとかき回り、ほんの少し気持ちが悪い。それでも、私なりに言葉にした。
「何か成果が出ないと、私は自分に対して“頑張った”って言ってあげられない……」
それを聞いて、姉は穏やかに言葉を紡いだ。
「頑張ることって、そんなに偉大じゃなくていいよ。できること、手に取れることからコツコツやっていけばいいの。仕事じゃなくたって、掃除とか、睡眠だっていいの。それがほとんど、頑張るってことだから。必ず、つながっていくから」
そう言って、姉は驚くことにもうひとつオムライスを注文し、一瞬で平らげていた。どうして姉はこんなに強いのだろう。逆にどうして私は、こんなに弱いのだろうと、そんなことをまた考えてしまった。感情が反射的に水滴を帯びてしまう。そんな私をまた掬い上げるかのように姉は言った。
「頑張るってさ、別に革命起こさなくてもいいんだよ。それくらいの力みをあんたから感じる」
私はハッとした。胸の中に、突き抜けるような風が吹く。
精神がすり減ると、極端な考えしか浮かばなくなってくる。頑張るか、頑張らないか。続けるか、やめるか。その思考を姉はほぐしてくれた。
たとえば朝、カーテンを開ける。机の上の一枚の紙に、今日のやることをひとつだけ書く。部屋の隅に落ちているゴミを拾う。そんな小さなことを積み重ねていく。それは派手ではないけれど、心を摩耗させずに前へ進むための静かな力になっていく。
大事なのは「全力を出し続ける」ことでも「全部を休む」ことでもない。力強く、大きな一歩を踏み出そうとするのでもなく、その間にある小さな一歩を今日も踏み出すこと。そうやって歩いた道は、振り返ったとき、思っていたよりも遠くまで続いているのかもしれない。
「手に取れることからコツコツやっていけばいいの」
姉の言葉を、胸の奥にしまい込む。確かな煌めきを抱いた。
店を出ると、夕暮れの光が街を薄く染めている。駅まで一緒に歩きながら、私は考えていた。
頑張ること、頑張らないこと、その調律を合わせるのは至難の業だ。自分がこれから、何を成せるのかはわからない。何も成さなくていいのかもしれない。それでも時折、成したい自分を許していきたいとも思う。そのために、小さなことから手をつけ、生活を潤し、人生の土台を固めていくのかもしれない。帰ったらまず、掃除機でもかけよう。
「じゃあ、また今度」
改札を抜け、そのまま進もうとした姉は、ふと足を止めた。振り返った姉の表情は、静かで真剣で、それでいてあたたかかった。そこで少し笑い、口を開く。
「ちゃんとごはん食べるんだよ」
私は頷いた。目の奥から溢れるものが、景色をぼんやりと溶かしていく。駅の雑踏。姉の姿が見えなくなっても、私はしばらく手を振っていた。
<第3回に続く>