生贄の巫女と、巫女を憎む侍が「瘴気」に沈む世界をゆく。二人が旅の果てで目にする真実とは? 妖しくも美しい怪談系時代劇【書評】
公開日:2026/8/15

森の奥で紫の翅を羽ばたかせる妖しい蝶の群れ。人が死に絶えた村をゆらゆらとさまよう亡霊。無数の目玉を黒々と光らせる、名も知れぬ異形――。次々と姿を現す怪異に、身の毛がよだつ。それでも、一時も目を離せない。この先には、いったい何が息を潜めているのか。恐ろしく、それでいて抗いがたいほど美しい世界に、瞬く間に呑み込まれてしまった。
そんな作品が、『
舞台は、人や生き物の妄執から生まれる「瘴気」が大地を覆い、異形の「瘴魔」が人々を脅かす世界。巫女組織・
美しくも恐ろしい、和の怪異
ページをめくれば、薄墨のように澱む瘴気が、こちらまで漂ってくるかのようだ。本作に満ちる瘴気は、ただ人を害する禍々しいものではない。その内には、人や人ならぬものの恨みや悲しみ、行き場を失った思いが滞っている。蓮二が刀で瘴魔を斬り伏せても、それだけでは怪異の根にあるものまで断ち切れない。沙耶は、そこに残された思いをその身に引き受け、浄めようとする。幻想的な情景の底には、深い悲しみや執着が沈んでいる。その気配が文章の端々に残るからこそ、ページをめくるほど、この世界へ深く引き込まれてしまうのだ。
怪異を越えるたび、変わりゆく生贄の巫女と監視役の侍の関係
この禍々しい世界で、沙耶はなんと健気なのだろう。人柱として死ぬ運命を、ごく当たり前に「尊い役目」として受け入れている。おまけに、その道中を浄めることも己の務めだと考え、自らの身を顧みない。瘴気に蝕まれ、意識を失うほど追い詰められても、浄歌を唱えることをやめない。そこまでして自分を犠牲にする必要があるのか。どうにか生き延びる道はないのか。読んでいるこちらまで、もどかしさを覚えずにはいられない。
自らを犠牲にする沙耶に呆れ、苛立ちながらも、放っておけないのが蓮二だ。そもそも蓮二は、沙耶を利用して白ノ宮への復讐を果たそうとしている男。当然、二人は初めから心を通わせた相棒同士ではない。それでも蓮二は、道中の会話や沈黙、幾度もの危機を経て、沙耶という一人の人間を知っていく。巫女への憎しみ、沙耶に重なる亡き妹の記憶、それでも彼女を見捨てきれない思い――。相反する感情が蓮二の中でせめぎ合い、二人の距離は旅の中で少しずつ形を変えていく。その不器用で緊張感に満ちた関係から目が離せない。
生贄の旅、その終着点で待つもの
だからこそ、二人が終着点・日暮ノ峡へたどり着く終盤は胸に迫る。
「おい、沙耶ァ。答えろ! ――おまえは、それでいいのか、って俺は聞いてんだ」
沙耶が人柱となることは、最初から決められていた結末だったはずだ。ところが彼女が生贄として歩み出した、そのとき、あることに気づいた蓮二が叫ぶ。
「待て! 沙耶、なにかおかしい。……おかしいんだッ!」
道中で目にしてきた痕跡や違和感が一本につながり、人柱の役目や忌神をめぐる伝承に亀裂が走る。
「馬鹿みてえに、何事にも顔を突っ込むのが、おまえってもんだろうが」
ぶっきらぼうな蓮二の、誰よりも沙耶を理解した言葉に、思わず、心揺さぶられる。二人が旅の果てで目にする真実とは――。旅の謎と二人の感情が一気に収束するクライマックスには、それまでの静かな語りを突き破るような熱がある。
この作品は、はじめからすべてが明快に示される物語ではない。だが、擬古的な言い回しや余白のある描写に身を委ね、暗い森を沙耶たちとともに歩くように味わえば、その先で明かされる真実に思わず息をのむ。たとえば、京極夏彦作品のような、怪異の背後にある人間の業を読み解く物語が好きな人へ。たとえば、恒川光太郎作品のような、幻想と恐怖が溶け合う異界に惹かれる人へ。あなたも、この怪談系時代劇をぜひじっくりとひもといてほしい。
文=アサトーミナミ
