「#限界教師」の悲痛な叫び。やりがい搾取と部活の呪縛に切り込む、額賀澪の切実なヒューマンドラマ『先生が終わらない』【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2026/8/27

先生が終わらない
先生が終わらない(額賀澪/集英社)

 聖職、という言葉がある。本来は僧侶や牧師など神仏に仕える者のことだが、日常的には教育者に対して使われる。教師は子どもを導く存在として神聖視され、ときに、その行いは単なる仕事のひとつにすぎないことを忘れられてしまう。額賀澪さんの最新作『先生が終わらない』(集英社)は、そんな先生たちの仕事がプライベートを侵食していくさまを描くお仕事小説なのだろう……そんな想像は、すぐ裏切られることになる。いや、間違ってはいないのだけど、現実はもっと過酷だということが、ひとりの教師が校内で唐突に崩れ落ち、命を落としてしまう冒頭の数ページによって、思い知らされてしまうのだ。

 亡くなった教師は福田芳野。36歳の音楽教師だ。やがて、「#限界教師」というハッシュタグをつけて仕事の過酷さを訴えていた彼女のアカウントが見つかったことで、その実態は問題視され、都知事が動く事態となる。彼女が働いていた公立中学は、新たな校長が派遣されて「定時帰り」「部活動禁止」「完全週休二日制」を掲げた働き方改革を行うモデル校として認定されるのだ。

 そんなことができるはずもない、と教師経験がなくても思うだろう。とくに「部活動禁止」なんてありえない。子どもから青春の機会を奪うのか? 部活に打ち込むことによって未来が切り拓かれる子もいるのに? けれど一方、部活動を禁止しなくては、残りの二つが実現できないこともわかる。〈子供たちが青春を謳歌して、その裏で教師が過労で死ぬのが正しいのでしょうか〉。新校長、宇佐崎の言葉は作中の教師だけでなく、読者である私たちにも突き刺さる。

 たかが、部活なのである。学校に――とくに公立中学にできることなど、限度がある。正当な対価もなく、教師だけが高潔な精神の持ち主であることを強いられ、ボランティアさせられ続けることがあってはならない。それでも、三割が私立中学に進学するその地域で「下七割」と揶揄される生徒たちが、一矢報いるには部活で成果をあげるしかないと必死になる気持ちも、子どもたちの可能性を切り拓くためになんでもしてあげたいと思う親心に寄り添ってほしい気持ちも、わかる。公立中学だからこそ、勉強のできない子どもたちが部活に希望の光を見出すことがあるのも。

 でも――だからといって、それは教師が負うべきことなのか? そもそも子どもたちの自信というのは、部活で結果を出すことでしか得られないのか? 宇佐崎の改革によって浮き彫りになる理想と現実の齟齬、そして部活もまた教師と同じように神聖視されすぎていることの歪みが、本作ではどんどん暴かれていく。描かれるその過程は物語としておもしろいと同時に、切実な迫力に満ちている。なぜなら、理想をかなえるために、誰かに負担を押しつけ「うまくまわっている」ことにする、その欺瞞は私たちの誰もが加担している社会の加害性でもあるからだ。

 誰かが一方的に割を食うことがないように、誰もが死なずに明日を生きられるように。私たちが何をするべきなのか、本作を読み終えたあとも、考えずにはいられない。

文=立花もも

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