鏡リュウジ「当たる・当たらないは問題ではない」占いの大家が語る「占い的思考」のススメ【書評】
PR 公開日:2026/9/15

「占い」は当たるのか、当たらないのか。
その“答え”を教えてくれる本があったら?
『占い師の正体 人はなぜ占いに惹かれるのか』(中央公論新社)は、およそ40年のキャリアを持つ占い師(占星術研究家/翻訳家でもある)鏡リュウジさんが、人々が抱く占いへの疑問を「正面」から問い、その「本質」を綴った「社会的な占い論」である。
少しでも占いに興味がある方なら、お名前を一度は目にしたことがあるであろう、占いの大家である鏡リュウジさんは、いつの時代も同じことを言われるという。
「こんな時代だから」占いが「流行」するんでしょ。
平成から令和に至るまで、景気が良い時も悪い時も、占いは同じ評価をなされてきたというわけだが、鏡リュウジさんは「この言葉の裏には、占いは少しばかり異常なものだ、という無意識的な前提があるのではないでしょうか」と語る。
しかし実際、占いには需要がある。現代において1兆円産業と言われるほどのマーケットを持っているのもまた事実なのだ。
占いは、自分の中でモヤモヤしているものをはっきりさせるプロセス
そんな不思議な存在である「占い」について、鏡リュウジさん自身の半生と社会的な世相の移り変わりを追いつつ、情報量満載で読むことができる本作。
占いには「無意識的・象徴的な当たり方」があるという。
臨床心理学者の東畑開人さんとの対談でタロットカードを引いた際、「教皇」のカードが出たそうだ。このカードは宗教的、あるいは思想的な指導者や権威者を表すという。
長くなってしまうので、この時の詳しい鑑定内容は割愛するが、このエピソードから「つまり占いとはどういうものなのか」の“一つの見方”が語られているのでご紹介したい。
占いの場では、ひとつの象徴にいくつもの意味が折り重なっていく。自分の中でバラバラに存在していたものが、「占い師」という他者を通じて外に出される(中略)。
自分はその象徴(教皇)のもとにいる存在だと思っていたのに、やがて自分自身がその象徴(教皇)的立場を担う側になる、といったように、別々だと思っていた事象が、実はつながっていたと気づく。
だから占いとは、当たる/当たらないといったピンポイントの問題ではなく、自分の中の曖昧なものやモヤモヤしているものを、はっきりさせていくプロセスだといえるのです。
「当たる」「当たらない」が占いにとって重要なのではなく、そこから得る「気づき」が大切なのだと、そう言い換えることもできるのではないだろうか。
解釈によって複数の意味が生まれる“占い的思考”の重要性
とは言え、この答えに「なんだか煙に巻かれた気がする……」と思われた方もいるかもしれない。イエスかノーか、はっきりした答えを期待していた方にとっては、少し肩透かしだろう。
しかしこれこそが「占い」というものなのだ。
昨今では「世界を0か1かに切り分けて理解しようとするデジタルな思考法が広がっているように見えます」と、著者は語る。
占いは、それとは対照的な存在であり、解釈によって複数の意味が生まれ、曖昧な判断が許容される。社会にとっても人間関係にとっても、そういった占い的思考から生まれる「バッファー(緩衝)」が重要なのだという。
「どういうことだろう?」と、いまいち腑に落ちなかった方にこそ、ぜひ本書をお読みになっていただきたいと思う。おそらく著者が最も読者に伝えたいことなのではないだろうか。
本書は、時に客観的に(データや事実で)、時に主観的に(著者の経験やその時の解釈として)、「占いとは何なのか?」という問いを、個人的なメリットから社会的な存在意義まで、ミクロからマクロまで語られている。
占いが好きな方も、そうじゃない方にも、それぞれ異なった――でも、大切な「気づき」を与えてくれる一冊となっているのではないだろうか。
文=雨野裾
