【競馬の不正が横行】本命馬に薬物投与、騎手買収、脚を不自由に。人間の欲望とロマンが凝縮された『競馬の世界史』【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2026/9/19

競馬の世界史 欲望と文明のビッグレース
『競馬の世界史 欲望と文明のビッグレース』(本村凌二/講談社)

 競馬には、人間の欲望とロマンが凝縮されている。不正が生まれるたびに公平を守るルールが整えられ、世代を超えて受け継がれる血統は数々のドラマを生んできた。『競馬の世界史 欲望と文明のビッグレース』(本村凌二/講談社)は、馬が家畜となってから6000年に及ぶ人間と馬の歩みを、歴史学者であり長年の競馬ファンでもある著者がひもとく一冊だ。

サラブレッドという「最高の芸術品」の陰にあった不正

 とりわけ印象に残るのは、競馬が持つ二つの側面である。何世代にもわたる品種改良によって誕生したサラブレッドは、人間が生み出した「最高の芸術品」とも称される。一方、賭博としての競馬は人間の欲望を刺激し、八百長や不正を招いてきた。

 さかのぼること、18世紀前半。イギリスでは、レースの条件が統一されておらず、告知された規則も勝手に解釈されていた。賭けをめぐる争いや訴訟が相次ぐ中、存在感を強めたのが、ニューマーケットを拠点とするジョッキークラブだ。18世紀半ばには負担重量に関する規則を公表し、ルールを定め、違反を裁く役割を担っていった。

 競走のあり方も変わった。それまで主流だったのは、同じ馬が何度も走る過酷な長距離ヒート競走だった。しかし、18世紀後半になると、能力が未知数の若い馬たちに「一回きりのレースを走らせたら、結果はどうなるのか」という発想が生まれ、セントレジャーステークスやオークス、ダービーなどのクラシックレースに派生していった。

 19世紀に入ると賭け金はさらにふくらみ、馬への不正な薬物投与や騎手の買収も横行した。本書には、本命馬へ薬物を盛ったり、脚を不自由にさせたりする事件が、当時は珍しくなかったとの証言も登場する。こうした不正と向き合いながら競馬のルールは磨かれ、1855年には、ジョッキークラブの運営にたずさわったヘンリー・ジョン・ラウスが、成長段階の異なる馬を公平に競わせるための馬齢重量制を考案した。

日本競馬史にも受け継がれる“血統”は競馬のロマン

 血統の歴史も競馬の歩みをたどるには欠かせない。サラブレッドの父系をさかのぼると、バイアリーターク、ダーレーアラビアン、ゴドルフィンアラビアンという三大始祖に行き着く。なかでもダーレーアラビアン系のエクリプスが勢力を伸ばし、その先にはネアルコやノーザンダンサーら、世界の競馬に影響を与え、今も語り継がれる名馬たちが名を連ねる。

 幕末の渦中だった1862年、日本の近代競馬は、横浜の居留地で外国人が開催した競馬からはじまったとされる。その後、1866年には根岸競馬場が完成。1932年には第1回東京優駿大競走、現在の日本ダービーが開催された。

 しかし、その歩みは平坦ではない。1941年にセントライトが日本初の三冠馬となったものの、戦争の激化により、1943年には競馬の開催が停止した。終戦翌年には早くも復活し、1954年には日本中央競馬会が発足。1964年にはシンザンが三冠を達成し、日本中をわかせた。

 1981年に創設されたジャパンカップでは、海外馬との実力差を見せつけられた。しかし、3年後にはカツラギエースが日本馬として初優勝を果たす。こうして世界との差を縮めてきた日本競馬では、1990年代にサンデーサイレンス“旋風”が巻き起こり、2005年にはその産駒であるディープインパクトが無敗で三冠を達成した。

 著者は「シナリオも演出もないのに、そこには目をみはるほどのドラマがある」という。競走馬の血統、騎手や調教師の思惑、馬主の欲望、ルールを築いた人々の信念が重なり、競馬は時に小説以上の物語を生む。本書を読み終えたあとには、今なお続く競馬場でのレースがそれまでとはちがって見えるはずだ。

文=カネコシュウヘイ

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