無謀であるとわかっていながら戦わなければならないジレンマ――「戦死は名誉じゃない。」戦争を美化するドラマや映画の”印象操作”にだまされないために…【後編】

社会

2016/12/8


――まだまだこれからという時に空に散ってしまった。儚いですね。

神立:みなさん戦死した仲間のことを話す時は必ず涙を流します。50年経っても60年経ってもそれは変わりません。みなさんやっぱり亡くなった戦友に対して「すまない」という思いが強くあるんですよ。この本にも出てくる志賀淑雄さんは(表紙カバー写真の左から二番目)海軍一の美男子と言われて、戦後も米軍のパーティなんかに行くと彼が中に入るだけでスーッと花道ができたほど華がある方なんですが、戦争を語りはじめると終始謙虚でした。「すべての失敗は自分の責任で、私は表に出る資格のない人間だ」と。それでも僕の取材を受けてくれたのは、「人間、ことが起こってから50年も経てば『当事者』から『生き証人』になる。戦死した彼らのことをどうか正確に伝えてほしい」という理由からでした。

海軍一のイケメンと言われた志賀淑雄さん。南京基地・第十三航空隊分隊士時代

 志賀さんはこうも言いました。「特定の個人を『エース』とか『撃墜王』とか言って英雄視するのはやめてほしい。エースというのは日本の言葉ではないのに新聞や本が商売のために広く使うようになって、なかったことをさもあったことのように歪曲して伝える風潮は迷惑だから、そういうものとは違うものをあなたには期待しています」と。ですから僕は、戦争体験者が語った事実を、慎重に裏付けをとりながら正確に伝えることに徹しているのです。

「真珠湾攻撃の前の晩寝るまで、『引返セ』の命令があると思っていました」

――本書では、戦地に送り込まれた人たちの複雑な心境がかなりリアルに綴られています。真珠湾攻撃に参加した大淵珪三中尉の「攻撃の前の晩寝るまで、『引返セ』の命令があると思っていました」「戦争が終わったときは、なんでこんな戦争をはじめたんだと思いました」という言葉。「腕前のいい敵のパイロットにとどめの銃撃を加える気にならなかった」という三上一禧さんの言葉。「国のために死ぬのが名誉のように言われていた時代だったけど、私は必ずしもそうは思わなかった。戦死は名誉じゃない。長く生きて奉公することが国に尽くすこと」という日高盛康さんの言葉。どの人も、この戦争は無謀であると頭ではわかっていながら戦わなければならないジレンマに苦しんでいます。

神立:三上さんは零戦のデビュー戦に参加して中国の戦闘機を撃墜した人物ですが、生還した中国軍の元パイロットと戦後に再会して友情を育みました。

――三上さんの「個人的に何の恨みもない者が殺し合う。こんな愚かなことはありません」という言葉も重みがあります。

神立:零戦搭乗員というと敵機をバタバタ撃ち落とすことに命を懸けた空の悪魔とか鬼とか、米軍ではそういう言い方をしていたらしくて、僕も含めた多くの日本人はそれに近いイメージしか持っていなかったと思うんですね。でも実際に話を聞いてみると本当に人それぞれで、敵国のパイロットと戦後再会して生涯友情が続いている人もいれば、戦友を大勢失って今さらさらアメリカと仲良くできるかと握手さえ拒んでいた人もいます。事情はいろいろありますが、どの人にも共通しているのは戦地で一度は命を捨てたこと。彼らには何か言葉にできない魅力のようなものを僕は感じますし、電車に乗っていても戦争を経験していると思われる年配のおじいちゃん、おばあちゃんを見る眼が変わりました。男性だけでなく彼らを必死で支えてきた奥さんや恋人たちにも、また別の物語がありますから。

「特攻隊は美化も肯定もしないが、徒死とか犬死とか言ってほしくない。」

――零戦も搭乗員も数が足りなくなり、窮地に立たされた日本海軍は第一航空艦隊長官の大西瀧治郎中将の命令によって特攻隊を送り出すことになります。特攻隊員の死は徒死で特攻は愚挙だとする向きもありますが、神立さんは元零戦特攻隊員への取材をもとに『特攻の真意』を書いてその真意を明らかにしていますね。


神立:大西瀧治郎は、日本の主力艦隊がフィリピンのレイテ湾に突入する際、それをサポートする目的でアメリカの航空母艦の飛行甲板を1週間使えなくするため、はじめて特攻隊員を出撃させました。それまで日本軍の戦果はほとんどあがらなくなり切羽詰まった状況のなか、その攻撃が成功したことで、特攻隊の出撃は米軍に対する強力なアピールになったわけです。これだけ日本人は捨て身で戦っているのだから、本土に上陸したら大変なことになるぞという徹底抗戦を叫ぶことで、一日も早い和平を求めようとしたのです。そして、連合軍が日本本土上陸を躊躇し、先方から講和を求める形のポツダム宣言を発したところまでは、大西瀧治郎のシナリオ通りだったわけですね。ところが日本政府がこれを受諾しなかったために原爆が落とされてしまった。

 ですから僕は一概に特攻がばかばかしい作戦だとは言いたくないんですね。美化も肯定もしませんけど、徒死とか犬死とか言ってほしくない。なぜなら実際に特攻隊員として出撃して奇跡的に敵がいなくて生還した人や、特攻機が突撃するのを見届けたあと戦後ずっと慰霊行脚している人たちのことを知っているからです。大戦中期のガダルカナル戦以後、日本の戦死者以上の犠牲をアメリカ軍に与えた作戦は特攻以外にありませんでしたから。

 もちろんそれ自体、批判されてもやむを得ない戦法であることは間違いないのですが、いったん戦争がはじまってしまって戦果をあげることだけを考えたら、決して無駄ではなかったと思う。どうせ勝てない戦争だからと途中であきらめて、みんなが「降参しましょう。そうしましょう」となっていたら、日本はどうなっていたかわかりません。戦後、分割統治もされずに71年平和でいられるのは、ギリギリまで戦う構えを崩さず、降参しなかったからだという見方もできると思うのです。


「こんな国にするために俺たちは戦ったのか!」

――自衛隊に「駆け付け警護」の任務が付与され、安保法案や憲法改正草案なども注視されている状況を、神立さんはどう見ていますか。

神立:こういう仕事をしていると私は右寄りだと思われがちですが、右翼の人たちからは「アイツは左だ」と言われ、左寄りの人たちには「右だ」と言われて本当に困るんです(笑)。ただひとつ思うのは、安保法制や憲法改正を許さないと言っている人たちの心配はごもっともなんですけど、そういう人たちが昭和の戦争の真実をどれほど知っているかといったら、ほとんど知らないと思うんですね。逆も然りで、朝日新聞や報道ステーションを叩きまくるネット右翼の人たちが、朝日新聞を読んでいるかといったらほとんど読んでないと思います。やっぱり相手を知らなければ批判もできないので、こういうときこそ本当の戦争の歴史を知ってほしいと思いますね。

 戦争に対して間違ったイメージを持っている人が多いように感じます。ドラマや映画などのメディアが戦争を美化したり、逆にことさら陰惨に描いてきた印象操作の影響も大きいでしょうね。当時のことを知らない人たちが勝手につくりあげた世界を簡単に信じてほしくないというのが正直な気持ちです。

 零戦搭乗員も特攻隊員も、右も左も関係なく、目の前に戦争があって、戦う以外の選択肢などなかったのです。その心情は同じように生死の岐路を共にした者でなければわからない。そうやって命がけで生き抜いて終戦を迎えた途端、戦時中は英雄視した彼らを戦犯扱いしたり白い目で見たり、世の中は手のひらを返したように変わりました。そのなかを彼らは市井のひとりとしてどう生きてきたのか。

 音楽評論家の湯川れい子さんの実兄で、元海軍大尉の湯野川守正さんに、僕がたまたま会長をやることになった「NPO法人零戦の会」慰霊祭の懇親会で乾杯の挨拶をお願いしたことがありました。そのときはテレビの取材も入っていたのですが、開口一番こうおっしゃったのです。「こんな国にするために俺たちは戦ったのか!」と。その部分は番組ではカットされましたけど、みんなドキッとしたような表情をしていました。

 この本に登場していない零戦搭乗員はまだ何十人もいます。インターネット小説マガジン「エイジ」でも連載していますが、今まで取材してきた膨大な資料をもとにあと5冊、10冊は書くつもりです。彼らの貴重な証言をこれからも正確に伝えていくことが僕の役目だと思っています。

取材・文=樺山美夏


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