再解釈&発想の飛躍が、『クジラ』の映像と音楽を磨き上げる――イシグロキョウヘイ監督インタビュー(後編)

アニメ・マンガ

2017/12/23

『クジラの子らは砂上に歌う』(C)梅田阿比(月刊ミステリーボニータ)
「クジラの子らは砂上に歌う」製作委員会

 TVアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』は、原作が持つ強烈な引力を十二分に映像へと落とし込んだ快作だ。実際、ビジュアル・サウンド・人物描写、どこを切り取ってもアニメーションとしての妙味が詰まっているのだが、その根底には、作品全体の司令塔である監督・イシグロキョウヘイが原作のある作品と対峙するときに重要視する、演出家としての基本思想があった。インタビュー後編のテーマは、特に強いこだわりが反映されているという『クジラ』の音楽と、アニメ監督・イシグロキョウヘイのクリエイションを象徴する「世代観」について。再解釈と発想の飛躍を駆使しながら、鮮やかに『クジラ』の世界を映し出してみせた、その手腕に迫る。

どちらかというと映像以上に、音楽のほうに自分の意図をぶち込みたい

――『クジラの子らは砂上に歌う』は音楽がとても印象的な作品だと思います。堤博明さんが手掛けた劇伴も素晴らしくて、作品の中にある「生きていくんだ」っていう強い希望と、泥クジラの住民たちを取り囲むシャレにならないレベルの絶望、両面が表現されている音楽なのかな、と。メニュー表を拝見しましたけど、音楽に関しては監督がすごく細かく発注しているんですよね。

イシグロ:そうですね。毎度毎度そうなんですけど、自分がバンドをやっていたこともあって、音楽が好きで。原作の雰囲気から飛び越えすぎないように――実は、どちらかというと映像以上に、音楽のほうに自分の意図みたいなものをぶち込みたいんです。なので、劇伴全体もそうですし、梅田先生が原作で書かれている砂詞(すなことば)をもとに曲をつけたPV第一弾の合唱曲にしても、技術的な部分で突っ込んだオーダーをしてますね。それはもう完全に、僕の欲です。今回は、無国籍なんだけど多国籍というか、泥クジラの中で語り継がれてるような、たとえば何かお祭りをしてるような感じが出るといいなっていう要望を堤くんに直接伝えました。あとは、ガチンコでファンタジー作品なので、ある意味王道というか、逃げも隠れもせずにファンタジーな音楽をちゃんとやっていこう、という覚悟も含めて制作してもらいました。相当苦労してたみたいですけど(笑)。あとは、現代音楽にミュージック・コンクレートっていう、自然物とか、楽器ではない何か、たとえば砂を踏む音を録音してそれを音色として扱って曲にして成り立たせるやり方があるんですけど、今回はけっこうその手法が多く使われていて。砂を踏む音が各所にちりばめてられているんですけど、そういうところでも土着感みたいなものが出ていると思います。それってやっぱり、前のめりな姿勢じゃないとやれない部分だと思うんですね。堤くんも、わざわざ鳥取に行って録ったと言ってましたし(笑)。今はテクノロジーが進んでるので、レコーダーを持っていって気軽に録音できるじゃないですか。それをコンクレートとして扱ってサンプリングして各楽曲にちりばめていく、MIDI音源として扱って音階を割り当てていく、とか。わりと生楽器で構成してもらってはいるんですけど、テクノロジーもけっこう使っていて、それが今っぽくていいな、と思います。

――主題歌についても、イシグロさんの強い意向があったそうで。オープニング主題歌のRIRIKOさん『その未来(さき)へ』は、彼女が学生時代に書いたデモ曲、通称“ベートーベン”を監督が選んだ、と。

イシグロ:はい。もともとRIRIKOさんのデモ曲をいくつかいただいてたんですけど、その“ベートーベン”を最初に聴いたときはもっとロック調で、求めていた疾走感があって。『クジラ』は重たい作品ではあるので、オープニングは明るくいきたかったっていう部分にバッチリハマっていたんですよ。「歌詞は作品に合わせて完全に作り直す、でもベースはこの曲にしたい」っていうところで快く引き受けてくれたので、非常にありがたかったですね。

――RIRIKOさんにしても、エンディング主題歌であるrionosさんの『ハシタイロ』にしても、作品の芯をとらえた楽曲ですけど、「これで新人なのか、この人たち」って思いますよね(笑)。

イシグロ:(笑)そうなんですよね。“ベートーベン”は高校生のときに作った曲だって聞いて、音楽をやっていた身としてはちょっとヘコみました。「マジか、これ」って(笑)。曲を聴いたときに、「めちゃくちゃガムシャラだなあ」と思ったんです。言葉を変えると「生きたい、生きたい」っていう意志というか、「生き延びるぞ」みたいなパワーをすごく感じたんですよ。そこには若さが出ているのかもしれないですけど、その裏側には青春期の、自己を確立する前の鬱々しさだったりモヤモヤした気持ちも感じられて。そういうエッセンスが、“その未来へ”っていう歌詞になってアレンジも変わりましたけど、それは『クジラの子らは砂上に歌う』っていう作品の根底にある、生きるための判断っていうテーマにも沿って、結果的にはすごく作品に合った形にまとめてもらえたな、と思います。

――「神視点の歌詞をオーダーされた」という話を聞きましたけど、それを新人のデビュー曲に要求する監督もなかなかすごいな、と(笑)。

イシグロ:(笑)毎度毎度、オープンエンドの主題歌のコンセプトは、必ず僕から伝えるようにしてるんです。僕は、全部監督が糸を通さないと意味がないと思ってるんですよね。ただ僕が思ったとおりにやってもらうんじゃなくて、何かきっかけを与えればいいというか。結果的には、思っていたとおりにはならないことのほうが多いですけど、思ってる以上のものになることのほうが多い。なるべく作品に寄り添いながら、作った人の意志も貫く、という。僕は監督の立場で、でき上がったそれぞれのものに対してのクオリティに責任を負ってるので、完全にお任せでお願いした場合は、それに対するリアクションを取っちゃいけないと思うんです。逆に、僕がオーダーしていて、監督の立場からのお墨付きがあれば、どう暴れてもらってもいいはずなので、そういう意味での仕事のしやすさも含めて、ちゃんとコンセプトを考えて毎回伝えるようにしてます。神視点の作詞に関しても、僕が最初に原作から感じた客観性みたいなものを踏まえて「こう書いてほしい」っていうことを伝えて。逆に、エンディングのrionosさんに関しては、もっと狭く狭く、具体的にはリコスの視点で主観的にこの世界をとらえてほしいっていうオーダーをしました。“ハシタイロ”は僕も個人的に好きな曲で、聴いた瞬間「これはすごくいい」って思いました。

――『ハシタイロ』の最後で次回予告にかぶせる映像がめっちゃカッコいい! と思って感動しました。

イシグロ:僕も、わりと好きです。でも、あれは全然僕が考えたものではなくて、あおきえいさんの真似をしてるだけなんですね。長井(龍雪)さんも『あの花(あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。)』のエンディングの中に予告を入れていたし――僕はただバクってるだけです(笑)。アイキャッチにセリフをこぼすところもそうですけど、もう完全にパクって味を占めたように何度も何度もやってます(笑)。諸先輩方の影響は、多分に受けてますね。

発想の飛躍が重要。発想する、思いつくだけだと新しくならないし、飛躍させないと意味がない

――イシグロさんは、世代的にはあおきえいさんや長井さんのどれくらい下にあたるんですか?

イシグロ:長井さんは、僕の4つ上ですね。えいさんはもうちょっと上です。なんとなく感覚としては、長井さんと同じ世代には荒木哲郎さんや中村亮介さん、山本沙代さんだったり、すごい人たちがいて。マッドハウス出身で、今40~41歳になってる人たちはスーパーマンばっかりなので、ビックリします。だから僕ら80年代生まれとはやっぱり違う、上の世代の人たちっていう感じはしますね。

――アニメ監督の世代論ってすごく面白いですよね、それぞれの特色が明確に出るというか。

イシグロ:出ますね。観てきたものの違いが、絶対に出ます。僕は単純に、ディテールの部分のカッコよさを切り取ってパクっちゃうというか。僕らの世代って、ヒップホップが主流になったじゃないですか。編集なんですよね。パクることに対しての罪悪感はたぶん薄いと思います。でもそれは、誰かのものを引用してそのまま出すのではなく再解釈する、何をどう解釈するかを僕はすごく大事にしてるし、発想の飛躍が一番重要なんだと思っていて。発想する、思いつくだけだと新しくならないし、飛躍をさせないと意味がないんです。何かを切り取って、一回分解して全然別のベクトルから何かを持ってきたときに新しくなる、そういうものが生まれるはずなんですよね。何かをもう一個持ってきて再解釈する、再編集するのは、僕らの世代は得意なんだと思います。

――それって「これが俺のオリジナルなんだ」的な変なエゴがない、という話でもあるんでしょうね。

イシグロ:そうですね。上の世代はたぶん、個性に対してすごく執着があるんです。でも僕個人は、自分自身に対しての執着はあるんですけど、作ったものに対する個性にはあまり興味がなくて。でき上がった何かがどう解釈されてもよくて、自分が生み出した事実、それだけでいいというか。もっと下の世代になると、その感覚はさらに強いと思いますよ。僕は37歳ですけど、たとえば27歳の演出家は、なんとなく自分のアバターを作ることに対してのライフワーク感が僕らよりも進んでるはずで。たとえば、生まれたときからプレステがある世代にとっては、どこかの空間に自分のアバターとして実体感が強いキャラクターを生み出せる世界を、最初から体験してるじゃないですか。ミュージシャンを見ていても思いますけど、ジャケ写に自分以外の絵を載せたりしていますよね。あれは、僕らからするとちょっと違和感があるんです。上の世代からしたら、もっと考えられないと思います。Twitterのアイコンもそうですけど、自分の個性とは違うところに理想の自分を作る、しかもそっちが評価されることのほうが嬉しいっていう感覚は、世代が下になればなるほど強くなっていっていると思います。僕は作品に対しての個性にはそこまで興味がなくて、いい意味で距離がどんどん離れていってるというか。だから作品を観た誰かがどう解釈するか、ではなく、作った事実だったりそれを生み出したアバターのもとになってる自分のことに強く執着してるような気がします。もともと、自己顕示欲が強い人たちが集まってるような業界だし、SNSを見てても「自分を認めてほしい」って言ってる人も多いんですけど、根本にあるのは「自分が考え出したアバターを認めてほしい」っていう気持ちで――なんか不思議ですよね。

――ひとつはっきり言えるのは、「自分が考え出したアバターを認めてほしい」っていう考え方でこの『クジラ』を作ったら、絶対にうまくいかないっていうことですよね。

イシグロ:いかないですね(笑)。それは絶対無理です。

――客観視は必要だけどそれだけではダメ、逆に自分を出しすぎてもこの作品世界にはならない。だから、イシグロさんの世代、イシグロさんがやったことに、すごく意味があるなあ、と思いますけども。

イシグロ:ちょうどよかったのかもしれないですね(笑)。今回の作品に関しては、音楽もそうだと思います。堤くんの距離感はやっぱり絶妙で、寄り添ってはいるけど寄り添いすぎない。生楽器を中心にして構成してほしいとは伝えたんですけど、全部生楽器っていうわけではなく作られている、というところで、ちゃんとバランスも取れてるし、距離感も保てていると思います。

――『クジラの子らは砂上に歌う』は、監督のキャリアにとっても大きな意味を持つ作品だと思うんですけど、今後のご自身にとってどんな存在になっていくと思いますか。

イシグロ:この作品のお話をいただいた時点で、「原作ものを監督するというのはどういうことなのか」を総括するというか、集大成としてやっていこうと思っていて。原作をどう解釈するか、っていうことを、今までの経験も踏まえたところでやりたいな、と。原作が素晴らしい作品なので、話が面白いのは当たり前じゃないですか、それを解釈してアニメにする、主に映像面と、音楽もそうなんですけど、ちゃんとそれができるのかを自分の中でひとつのハードルとして設けていて、それを飛び越えられたことが自分の自信につながりました。今回改めて思ったのは、ゼロからイチを作る人はほんとにすごい、ということで。梅田先生は、どんどんアイディアがあふれてくるらしいんですけど、その感覚でいられるところをすごく尊敬するし、そういう人と触れ合って仕事ができたっていう部分で、『クジラ』を監督できた経験は大きいですね。“原作ものをアニメ化する”という答えが、自分の中で出た気がします。それもやっぱり解釈で、ちゃんと寄り添って作者の目線になる、でもそのままやるのが正しい解釈というわけではない。与えられた素材をいかに正しく変換しつつ、ちゃんと原作のニュアンスを残すことに集中するのが原作ものを監督する上で一番重要なことだと思いますし、その部分では自分の中で満足がいく出来になったので、本当によかったです。もちろんそれは自分ひとりの頑張りじゃできないことですけど、スタッフの頑張りも、一個人としての頑張りも、ちゃんとフィルムに定着できたのはよかったなって思います。

TVアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』公式サイトはこちら

取材・文=清水大輔

【前編】演出家として心惹かれた、『クジラ』の「容赦のなさ」とは――イシグロキョウヘイ監督インタビュー

イシグロキョウヘイ(いしぐろ・きょうへい)
1980年生まれ。アニメーション監督、演出家。サンライズに入社後、2009年にTVアニメ『FAIRY TAIL』で演出を手掛ける。2014年、『四月は君の嘘』で初監督を務める。他の監督作に、『ランス・アンド・マスクス』(2015年)、『Occultic;Nine -オカルティック・ナイン-』(2016年)。