『パラソルでパラシュート』で芸人を描いた一穂ミチさんとしずる村上さんが対談! 芸人から見た物語の魅力・リアリティとは?

文芸・カルチャー

公開日:2022/3/26

村上さんにとって、芸人になることというのは、何者かになりたい人の最後の蜘蛛の糸みたいだなって思ったんです(一穂)

一穂 村上さんが書かれたエッセイ『裸々』(ドワンゴ:発行、KADOKAWA:発売)、すごく面白かったです。しずるさんって若いうちに、パーンと世に出て、キングオブコントの決勝も何度も行っているという経歴を見るとエリートの方じゃないですか。

裸々
『裸々』(村上純/ドワンゴ:発行、KADOKAWA:発売)

村上 そういう風に見ていただけている方は多いかもしれないです。

一穂 でもこういう苦しみやもがきがあったんだなと。あと多分、芸人さん全般にそうなのかもしれないですけど、すごくご自分を客観的に描かれていますよね。その観察眼ってすごいなって思って。自分のことを俯瞰して見る眼差しって昔からありました? それとも芸人さんとしてやっていくなかで身についたものだと思いますか?

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村上 多分、もともとですね。冒頭に書いた、モテない自分をどうする? ということから始まっているので。モテない自分をちっちゃいコミュニティながら、クラスなり、学年なりで並べたとき、どういう風に主観的に動いたらいいんだろうということは、意識していました。今だから言語化していますけど、漠然とそういう気持ちはあったのだろうなと。

一穂 何者かになりたい人の最後の蜘蛛の糸みたいだなって思ったんです、村上さんにとって芸人になることというのは。スポーツでも勉強でもなく。

村上 そうですね。その蜘蛛の糸の位置がおかしい(笑)。多分、周りの人は、なんでそっちの蜘蛛の糸に行けるの? っていう風になると思うんですけど。

一穂 思います(笑)。少年マンガみたいな冒頭がすごく印象的で。そして書き方が舞台っぽいんですよね。たとえばキングオブコントで、“決勝ですよ”といわれた次の瞬間に、浜田さんが“優勝は東京03~!!”と目の前で叫んで、暗転したらもう場面が変わっている。普通なら決勝の舞台ではこういうことをして、ドキドキしながら結果を待っている場面を書くと思うんですけど、スパッと切り落として次の場面に行くのがやっぱり舞台の作り方だなと思ってすごく新鮮に拝読しました。

村上 それは僕自身、意図していないところでしたが、又吉(直樹)さんが、芸人を主人公にした『火花』を書かれたとき、全体の構成を漫才にしたとおっしゃっていたんです。もし僕が書いた本がコントになっていたのだったら、ちょっと又吉さんと仲良くさせてもらっている理由があるのかなって。ほんとにめちゃくちゃ影響、受けているんで。

一穂 まえがきにも書かれていましたけど、このコロナ禍も村上さんに大きな影響を与えたんですね。

村上 不謹慎な言い方になってしまうんですけど、コロナ禍は僕にとって不幸中の幸いというか、そうなっていなかったら、100%行動は変わっていなかったので。初めてちゃんと自分のことを見つめ直して、今、置かれている自分にとって次の一歩目は? どういう気持ちで、どういうふうに体重乗せていけばいいのか? ということを考える機会になったんです。それは、『パラソルでパラシュート』のなかの弓彦が信じた亨の思いにも通じている気がしたんですね、お前が芸人やっている動機ってなんやねん、というところの。その揺らぎみたいなところに、僕はすごく信頼感を抱いてしまって。だから読んで泣いちゃったんです。

作中のコンビというものの捉え方、芸人のなかでも“そういうことだよな”って思う人はたくさんいると思います(村上)

村上純

村上 “相方は他人のはじまり”って言葉が、作中に書かれていますけど、これは芸人じゃないとわからない言葉だなと思いました。

一穂 村上さんのご本を読んでいても、KAƵMAさんとコンビを結成したと思ったら、すぐ解散して、それでまたわりとすんなり元サヤに戻ったり、喧嘩をしたり。コンビって互いでしかわからない呼吸で生きてるんだなぁって改めて思いました。

村上 それをリアリティもって描かれているのがほんとすごいと思って。2人が並んだとき、ひとりとひとりじゃなくて、輪郭ができるという書き方をされているじゃないですか。めちゃくちゃすごいなと思って。芸人のコンビを輪郭と輪郭がはっきりするんだ、みたいな捉え方が。

一穂 たとえばコンビだったら、どっちが好き、とかではなくて、私自身、芸人さんって塊として好きなんです。しずるさんも“しずる”っていう存在じゃないですか。

村上 2人が舞台に立ったとき、輪郭になるという前提で、どういう風にコンビを見せたいとか、コンビとして個人はどうあるべきなのか、という蠢いたものがあるから、コンビって、家族でも兄弟でも恋人でもない、たとえようのないものなんですよね。それをこの小説は、これほど長いストーリーで語ったとしても、それは言い表せないことなんだよ、ということを言ってくれている気がして。芸人のなかでもこれを読んで、“そういうことだよな”って思う人はたくさんいると思います。

あらゆるものが小説では書かれているので、作家としての立ち位置みたいなものは意識しますね(一穂)

一穂 芸人さんってやっぱり自身の生き様と切り離せないじゃないですか。だから村上さんがエッセイを執筆されたり、やりたいことをいろいろやられていることは素晴らしいなと思って。KAƵMAさんはKAƵMAさんで今、波が来ていますよね。

村上 めちゃくちゃ来てます。先日、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)でも「しずる池田大好き芸人」という特集がありました。

一穂 実は、KAƵMAさんのあれ、(2019年に話題となった闇営業問題について、直撃インタビューを受けた際、動揺した様子で5分間、無言の状態でいたこと)、『アメトーーク!』を観るまで、私わからなかったんですよ。そうなんだ、あれ、壮大なボケだったんだ! って初めて知りました(笑)。

村上 一穂さんほど感度の高い人でも気づかないってことは、吉本の社員でもわかっていない人はいるでしょうね(笑)。芸人の生き様ということで言うと、この小説のなかでは、賞レースというわかりやすい事例を出してくださっていて。“賞レースで上目指せって言われたらわからへん”って言う弓彦が、お笑いをする人間の本来の目的ってなんなん? みたいなことを語るじゃないですか。それ、僕もけっこう言ってるんです。芸人らしいとか、芸人ならこうするっていう言葉が一番、矛盾していると思っていて。自分の芸人としての目的は能動的につくるしかないなって思っているんです。一穂さんは、作家として、自分はこうでありたい、ということはあるんですか?

一穂 そういうのはないですね。ただ、あらゆるものが小説では書かれているので、立ち位置みたいなものは意識しますね。

村上 お笑いには賞レースがありますけど、作家にも賞レースがあるわけじゃないですか。

一穂 そうですね、ただ小説の場合、エントリーして勝ち上がっていくわけではなくて、世に出たものを、“この小説、良かったからノミネートしといたわ”みたいなものなんですよね。そうなると、どうしていいかわからない、という感じはあるんです。最初からわかっていればこのあたり、もうちょっと頑張って書いたのにな、と思ったりするんですけど(笑)。結果、落選して、ここがよくなかったね、ということになると――。

村上 告白もしてない相手にフラれたみたいですよね(笑)。

一穂 ですね(笑)。本を出した時点で、ひとつの足跡を残した、という感があるんです。賞へのノミネートは“せっかくだからこの足形とっとくね”と言われたような感じですね。

村上 賞を獲っても獲らなくても、そのあとの歩き方は変えないってことですよね。

一穂 そうですね。

村上 作家性や作品性において、僕はそっちの方がすごく大事なことだと思います。

一穂 いや、もう、変えようと思っても変えられるほど器用でもないので(笑)。

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