“勝ち負けのない世界”で小さな幸せを育む。山崎ナオコーラのエッセイ『かわいい夫』

文芸・カルチャー

2016/5/3


『かわいい夫』(山崎ナオコーラ/夏葉社)

「鶏釜飯」を注文して「五目釜飯」が出てきても、「おいしい」と満足気に食べている夫。入浴中に「瓶の蓋を開けて」と頼まれても、嬉しそうに応じる夫。仕事のアイディアを書くノートの表紙に「デスノート」と書いている夫……。

作家・山崎ナオコーラのエッセイ集『かわいい夫』(夏葉社)に描かれる夫(36歳・書店員)の姿は、表紙のみつはしちかこのイラストに負けないくらいかわいらしい。読むほどに、いい人そうな雰囲気が伝わってくる。何だか、いろいろと抜けている部分があるのも分かってくる。だけど、そこがまたかわいい。

考えてみると、「かわいい」という感情は面白いものだ。

「かわいい」という言葉を辞書で引いて最初に出てくる意味は、「小さいもの、弱いものなどに心引かれる気持ちをいだくさま」。「小さい」「弱い」という特徴は欠点や未熟さにも思えるが、「かわいい」という気持ちに包まれると、そのようなマイナスな意味合いは消えてしまう。そしてプラス・マイナスの評価軸自体が消え飛んでしまう。残るのは、存在そのものを愛し・肯定する感情だ。

だから「かわいい」という言葉は、人が人生に向き合う姿勢を前向きにもしてくれる。作者は自分のことを「美人ではない」と認識する一方で、その顔を気に入っている……と本書で綴っている。その理由は「親が私を『かわいいね』と言いながら育ててくれたから」だという。

また、かわいい夫は作者にとって「勝ち負けのない世界を作ってくれる存在」でもある。彼女は書店員の夫よりも稼ぎがよ く、料理の手際のよさも上。本棚の組み立ての上手さでも、オセロやウノの実力でも、社会情勢の認識でも自分のほうが勝っているという。それでも結婚にはまったく後悔していないし、「町の本屋さん」で働く夫の仕事を尊敬しているそうだ。

そんな夫と過ごす中で、彼女は考え方が変わった部分もある。結婚後、雑誌やネットで評価されているレストランには行かなくなり、「偶然入った『町の洋食屋さん』の良さを、自分たちなりに発見して愛しむ方が楽しい、と気づいた」という。

本書に収録されたエッセイは、夫のこと、親のこと、自分の出産のこと、仕事のことなど、いずれも作者の身の回りの出来事が題材になっている。そして、そこで小さな幸せを育んでいくためにこそ、作者の視線は常に社会にも向いている。

今の社会では、仕事から結婚に至るまで、あらゆる場面で“勝ち組・負け組”“スペック”“コスパ”といった言葉が広く使われている。そのような社会が用意した基準に振り回されず、自分なりの幸せを見つけていきたい人に読んでほしい一冊だ。

文=古澤誠一郎