現代人の凝った気持ちをほぐしてくれる。1950年代、沖縄出身の詩人が書いた“貧乏”との付き合い方

文芸・カルチャー

公開日:2022/10/6

山之口貘全小説 沖縄から
山之口貘全小説 沖縄から』(山之口貘/河出書房新社)

 一億総貧乏ともいわれるようになった日本。「貧乏」と「貧困」の違いや「本当の幸せはお金ではない」など、貧乏に対する意見はさまざまだ。しかし、ここではそういった意見はとりあえず棚に上げ、私たちの「お金がなくて未来の見通しもなくて辛い」という気持ちをちょっとほぐしてくれる小説集を紹介したい。『山之口貘全小説 沖縄から』(山之口貘/河出書房新社)だ。書いたのは、詩人の山之口貘(やまのくちばく)氏。明治末の沖縄に生まれ、1963年まで生きた人だ。今年2022年は、沖縄返還から50年ということで、残り3カ月ほどとなった本年中に読むべき一冊ともいえよう。

 まずは、山之口貘をごく簡単に紹介。彼は沖縄で生まれ育ち、詩人として生きていこうと決意し、22歳で東京に居を移す。しかし、彼を待っていたのは、貧乏の果てに野宿せざるを得ない放浪生活だった。運よく住み込みの書籍問屋の仕事につくも、「暖房屋に変り、鍼灸屋に変り、隅田川のダルマ船に乗ったり、汲取屋になったり」するのだ。


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 このあたりから、壮年になって家族を得た生活を描いているのが、この小説集だ。21の短篇が収まっており、どの作品も一人称“僕”の視点、つまり著者本人の視点で話が進んでいく。それは貧乏話のオンパレードなのだが、どこかのんきな空気が漂い、プロレタリア文学のような問題提起や重さはない。

 仕事場に住み込んでいるときのエピソード「天国ビルの斎藤さん」「汲取屋になった詩人」「詩人便所を洗う」などは、読んでいて思わず笑ってしまうほどだ。お金がないことは人生へのダメージになり得ることは承知しているのだが、読んでいると、「お金がない」イコール不幸とも限らないのかもしれないと、どこか慰められるような、勇気づけられるような気持ちさえ湧き上がってくるのだ。

 このように思わず笑ってしまうのには、飄々とした文体の影響も大きいだろう。例えば、主人公が住み込んでいるビルの持ち主で会社の経営者、斎藤さんの台詞、「バクさんはコーヒーばかりのんでどうするんですか」だ。主人公バクさんは、常日頃から仕事中、喫茶店にコーヒーを飲みにいくのだが、斎藤さんはその回数が多すぎやしないかと責めているのだ。実は、ふたりは雇主と労働者でありながら、お互いに出身地が本土ではないという理由から密かに情を感じあっている。この背景を読み手に感じさせつつ、主人公の飄々とした態度を強調するような、「どうするんですか」の可笑しさと柔らかさは上手い!と思うのだ。

 本作の後半は、結婚して娘が生まれてからの話が続く。戦後、疎開先から東京に戻ってきて、貧乏なのに家を持ってしまって、貧乏なのに娘をいい学校に入れてしまう話など。詩では、アメリカ領となった故郷・沖縄を思うものが多く生まれているが、小説ではその色は濃くない。

 時は1950年代、もう高度経済成長が始まっている。世の中の景気の華やかさをよそに、沖縄のことや家族のことを気に掛けつつも、貧乏な詩人の毎日は続くのだ。

 貧乏は困ることであり、気持ちさえ変えればどうこうなるというような、変な信仰は駄目だ。この前提を絶対のものとして、いわせてもらおう。本作は、「生活にとらわれずに生活する」という矛盾に惹かれる一冊だと。そして、ユーモアのある優しい文章は、凝った気持ちをほぐしてくれるような笑いをもたらしてくれるのだ。

文=奥みんす

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