「駄」目な菓子だから駄菓子? そんな駄目さが日本人を虜にする!

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公開日:2017/12/31

『ボクたちの駄! 菓子』(初見健一/オークラ出版)

 ほとんどの日本人が子供のころ、夢中になった「駄菓子」。その語源は「ダメな菓子」にあるという。江戸時代、庶民は砂糖をたっぷりと使った「上菓子」を口にすることが許されず、水飴や果物で甘みをつけた「一文菓子」「雑菓子」を食べていた。明治から昭和初期にかけて、安物の菓子をまとめて「駄菓子」と呼ぶようになった。

 以上は『ボクたちの駄! 菓子』(初見健一/オークラ出版)に書かれている豆知識である。昭和のキッズカルチャーへの造詣に定評がある著者は1967年生まれで、駄菓子の最盛期に少年時代を過ごした。本書は著者の愛がつまった心躍る駄菓子カタログである。著者と同世代以上の読者はノスタルジックな気分に浸れるだろうし、若い読者は現代では少なくなった駄菓子のある風景に思いを馳せてほしい。また、コンビニやスーパーで今でも見かける駄菓子の意外な歴史にも驚かされるだろう。

 流通ルートから販売店まで完全に上菓子と区別された駄菓子は、戦後の日本で急速に広まっていく。「駄」菓子というだけあって、見るからに安っぽいパッケージや微妙な味わいの商品も少なくない。しかし、著者はそんな「ダメさ」にこそ駄菓子の魅力があると熱弁する。

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「ダメなお菓子」とはいうけれど、「駄菓子」には「駄菓子」しかないキッチュでワイルドでキュートでストレンジでビザールな魅力がたっぷり詰まっている。僕ら昭和っ子は、その「ダメさ」加減にこそ心底ワクワクして、胸をときめかせていたんだから。
「ダメなお菓子」で何が悪いっ!

 そんな前置きの後、写真つきで解説されていく駄菓子の数々に童心を揺さぶらずにはいられない。現代でも人気駄菓子の定番であるボンタンアメや都こんぶが戦前から製造されていたとは衝撃だったし、「10円で買えるアイス」というホームランバーの革命を知れるのも面白い。(販売当初の昭和30年代、アイスの相場は50円だった)

 現代の価値観では市場に出せなかったであろう商品が多いのも、駄菓子が「昭和」を感じさせる要因だ。タバコ型菓子の代表・シガレットチョコは、平成以降に売り出されたなら大人たちの猛反対を受けていたのではないか。また、80付大当ガムなどの「当たり付き商品」も店員の手間を考えれば企画が採用されにくかっただろう。事実、現在ではくじを抜いて売られている商品も珍しくない。個人商店と子供たちが交流しながら駄菓子を楽しんでいた時代だったからこそ、奇抜な仕掛けが可能だったのだ。

 時代ごとに駄菓子の特徴は変わっていく。70年代までの駄菓子はとにかくユニークで、「怪しげ」なまでの雰囲気が特徴的だ。コインチョコやステッキチョコなど、普通の菓子をパッケージで面白く見せているものも目立つ。チョコバットや野球版ガムからは、当時の少年たちのトレンドもうかがえる。

 一方、80年代以降の駄菓子にあるのは「メジャー感」。ショッピングセンターやチェーン店での販売を見越して、安定した味と大衆性を意識したのが伝わってくる。うまい棒やガリガリ君の台頭は象徴的だ。

 駄菓子だけでなく、東京都内に現存している駄菓子屋さん、問屋さんが紹介されている章にもワクワクする。230年(!)の歴史を誇る雑司が谷の上川口屋さんの風情は圧巻だ。個人的には、ゲーム台が所せましと置かれている足立区のコスモさんに少年時代を思い出してしまった。

 しかし、こうした個人経営の駄菓子屋さんの姿はだんだんと消え始め、駄菓子の将来を危ぶむ声もある。それでも著者の見通しは明るい。「独自の工夫とアイデア」で戦後を生き残ってきた駄菓子は、これからも日本の子供たちの日常にあり続けるだろう。本書を読み終えたとき、著者の声に心からうなずけるはずだ。

どんなに時代が変わっても「駄菓子」ならではの強さでたくましく生き残っていくんじゃないかと思う。今までだってそうだったんだから……。
駄菓子はしぶといゾ!

文=石塚就一