名もなきラストサムライたちが挑んだ、技術立国日本の巨大プロジェクトとは

社会

公開日:2018/6/28

『明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった!』(岡田 晃/集英社)

 ユネスコが定める「世界遺産」には、雄大な景観の「自然遺産」、歴史のロマンを感じる「文化遺産」などのカテゴリーがあり、日本では現在21の遺産が登録されている。中でも、複数の県に広くまたがって存在するという点で特徴的な文化遺産が、「明治日本の産業革命遺産」だ。

 十数年前からの活動が実って2015年に登録されたこの遺産は、幕末から明治にかけての史跡群であり、鹿児島、長崎などの九州各地や山口、静岡、岩手に存在する23の多彩な施設で構成されている。相互に人的・技術的な関連性を持っていることから、全体としてひとつのテーマで価値を有すると認められたものだ。

 明治期に製鉄、造船、石炭といった当時新しく生まれた近代産業を支え、ひいては現代の日本のモノづくりの原点になったともいえる巨大プロジェクト。そのエピソードの数々を、当時の貴重な写真とともに紹介したのが本書『明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった!』(岡田 晃/集英社)である。

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 著者の岡田氏は、これら施設を世界遺産に登録するための活動にも携わってきた経済評論家。この文化遺産について知ることが、日本経済の再生のヒントになり得るのでは?という経済の専門家ならではの視点が冴えわたる。

■歴史に秘められた、最後のサムライたちの物語

 当時、これらの施設がつくられた背景には、藩の政治的対立を超えて西洋の技術を吸収しようと努めた人々――侍のみならず、職人、農民たちまで含めた――の姿があった。

 日本史上まれにみる激動の時代に、近代化のため試行錯誤を繰り返した過程が本書では掘り下げられ、各施設に携わったさまざまな人や技術のつながりが明らかにされていく。

 たとえば製鉄に関しては、伊豆の代官、江川英龍(えがわ・ひでたつ)が、佐賀藩の協力を得て建設した韮山反射炉の成果が、薩摩藩の集成館反射炉、盛岡藩の橋野高炉へと引き継がれ、その後やがて官営八幡製鉄所へとつながる壮大な物語があったという。

 また造船の分野では、薩摩の五代友厚(NHKの朝ドラ「あさが来た」でディーン・フジオカが演じた人物)らが建設した小菅修船場が三菱長崎造船所へと発展し、造船の街・長崎が形作られていく経緯や、岩崎弥太郎に始まる三菱財閥のサクセスストーリーが描かれる。

 そして、長崎の沖合に浮かぶのが、有名な「軍艦島」こと端島であり、その炭鉱から産出される石炭は明治から昭和にかけて日本の産業界や経済を支えていた。その島での暮らしぶりについての記述が興味深いのはもちろんだが、石炭産業に関する記事では、三池炭鉱の責任者・團琢磨(だん・たくま)の、炭鉱の排水のために当時最新の英国製ポンプを導入する決断を下すまでのエピソードも非常に熱い。

■時を超えて、思いを受け継ぐもの

 本書のカバーには、官営八幡製鉄所第1高炉の前に並ぶ大勢の人々の写真が用いられている。当時最大の国家プロジェクトの完成を控えての記念写真で、中央には来賓として迎えた伊藤博文が写っているという。だが、それを囲んで並ぶ、写真では表情もわからぬ大勢の名もなき男たちこそが、本書の主役なのだ。

 幕末と言ってまず思い浮かぶ、西郷隆盛や坂本龍馬など超メジャー級の英雄たちは、本書には少ししか登場せず、あまり知られていない人物や、無名の人々についての記述が多い。信じる未来のためにひたむきな努力を続けた彼ら一人ひとりの手によって、日本は近代への道を歩み始めた。

 明治はもはや遠く、明治元年から数えて今年・平成30年で150年という時が過ぎた。だが、「明治日本の産業革命遺産」を構成する施設のうち、三菱長崎造船所のドックや巨大クレーン、官営八幡製鉄所の一部工場などは、驚くべきことに今も現役で稼働し続けている。それをつくった人々の思いは確かな形となって、今も私たちに受け継がれているのだ。本書は、もの言わぬ遺産からはわからない、秘められた彼らの熱い思いを教えてくれる。それは、違うかたちで困難な現代を生きる私たちをも勇気づけてくれるだろう。

文=齋藤詠月