「一緒に死のうかと思って」大好きなお婆ちゃんが少しずつ変わっていく……認知症になった祖母との暮らしを描いた『わたしのお婆ちゃん』

マンガ

更新日:2018/7/24

『わたしのお婆ちゃん 認知症の祖母との暮らし』(ニコ・ニコルソン/講談社)

もうね お母さんと一緒に死のうかと思って。

 実母から告げられた衝撃的な一言からはじまる『わたしのお婆ちゃん 認知症の祖母との暮らし』(ニコ・ニコルソン/講談社)。正直、読むには勇気がいった。ニコさんのマンガは、震災で流されたご実家を再建する実録コミックエッセイ『ナガサレール・イエタテール』を読んでいたし、ご祖母であられる通称「婆ル」(ちなみにご母堂は「母ル」)のことがどれほど好きで、離れていても大事に思っているか伝わっていたから。私自身が昨年末に祖母を亡くしたばかりの、ババコンだからでもあるのだが、なんとなく読まねばならぬ気がして読んだ。予想どおり涙が止まらなかったが、読んでよかった。おそらく本作は、介護に少しでも関わったことのある人なら共感するとともに、解消しきれない罪悪感をわずかでも癒してもらえるんじゃないかと思う。

 前述したとおり、宮城にあるニコさんのご実家は3.11に津波によって流された。一命をとりとめた母ルと婆ル。避難所生活のなかで元気を失っていった婆ルが、それでも強く願っていたのが「自分の家に帰ること」。そこでニコさんと母ルで力を尽くし、婆ルのために婆ルの希望をとりいれ家を建てた。ところが、だ。久しぶりに帰省したニコさんに母ルが告げたのが冒頭のセリフである。

 ニコさんは冗談だと思った。新築の家で母ルも婆ルも、ようやく幸せな日常をとりもどしたはずなのだから。実際、ニコさんの目にうつるのは昔のとおり、元気で働きもので、愛情たっぷりの婆ル。けれど少しずつ気づいていく。流されたはずの妹の家に行くと出かけたきり帰らない。いるはずのない“さっきまでいたみんな”はどこへ行ったのかと聞く。再建した自分の家を「人様のおうち」といい、「自分の家に帰りたい」と泣く。毎分毎秒、そうなわけじゃない。だけどときどき、スイッチが入る。そんな婆ルと毎日母ルは相対し、暮らしているのだと。

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 介護する側もされる側も、本当に望んでいるのは“元通りになること”だと思う。だけどそんなことは、無理だ。老いた身体は若返らないし、不確かになった記憶力も戻らない。現状を維持するだけでも大変なのに、そのたいていは悪化する。家族は大切な人が予期せぬ言動を催すことに、本人は自分で自分を制御しきれないことに戸惑う。どちらも孤独で、愛が深いほどに苦しみも増す。なんで、どうして、の繰り返しで時に追い詰められていく。そして何もしない、関係ない人ほど言うのだ。「もっと優しくしてあげればいいのに」「かわいそう」。

 ニコさんも言ってしまった。それが悪いわけではない。知らなければわからないのが介護だ。大事なのは、知ったあとにどうするか。東京で暮らすニコさんは、母ルほど当事者になりきれない自分にできることを懸命に探した。そして決めた、母ルと二人体制での在宅介護。ケースワーカーに心配される生活のなか、ニコさんが見つけたのは“変わらない”婆ルの姿だった。昔と同じように縫物をし、家族を案じて、ときに叱り、微笑みかけてくれる。以前のままではないけれど、ずっと変わらないものもある。大好きなお婆ちゃんが消えてなくなっちゃったわけじゃない。

 もちろん、介護はきれいごとでは済まされない。想像だにしない負の感情が自分のなかにもあふれ出る。だけど日常って、生活って、そういうものじゃないだろうか。愛があるから憎くもなるし、大笑いする日もあれば涙さえ出ないほど絶望する日もある。ニコさんはそのすべてを曝け出し、そして同じ思いをしている人たちに、間違っていないよと受け止めてくれたように思う。

 祖母の遺影を前に嗚咽し、そして思った。ニコさん、ありがとう。きっと身を削る思いだったろうに、この作品を描いてくれてありがとう。願わくはこの作品が、後悔や罪悪感を消せない人に、ひとりでも多く、届きますように。

文=立花もも

(c)ニコ・ニコルソン/講談社