ブッダ、プラトン…古今東西27人の哲学者を「歩く」観点から読み解く!【哲学入門】

生き方

2018/10/30

『歩行する哲学』(ロジェ=ポル・ドロワ:著、土居佳代子:訳/ポプラ社)

 緊張しすぎて手足が同時に出る、なんて表現があるが、人は基本的に「歩く」ことを意識しない。赤ちゃんが初めて歩き出すときも、とりたてて何かを考えて、というよりは、筋肉がそなわりさえすれば本能のまま手足を動かし、自然と歩行を身に着けているように見える。人間は、「歩く存在」なのだ。「思考する」のと同じように、それは動物のなかでもかなり特殊なことなのである。

 と、着目したのが『歩行する哲学』(ポプラ社)の著者ロジェ=ポル・ドロワ氏。言われてみれば、思考をリセットするために散歩する人は少なくないし、無心で歩いているうちにいいアイディアを思いつくということも多々ある。同書は、「歩くこと、話すこと、考えることは、すべて一つの巡りのなかにある」という仮説のもと、古今東西の哲学をひもといていく入門書だ。

■文字どおり、行ったり来たりをくりかえしていた、プロタゴラス

 知識の商人、といわれてもイメージがわきにくいが、「現在で言うところの、コーチングのコーチみたいなもの」と紹介されればわかりやすい、プロタゴラス。

 古代ギリシャの哲学者で、説得力のある語りで聴衆を惹きつけることに長けていた彼は、いつもしゃべりながら行ったり来たり歩きまわっていたという。そのうしろを常に群舞のようにぞろぞろついてまわる信奉者たちは、プロタゴラスが右に行けば右、左にいけば左へ移動する。

 つまり彼らの思考は常にループしていて前進することがない…とからかいの視線を向けていたのがソクラテス。歩く姿勢と考える姿勢は近似している、ちょっぴり皮肉な例である。

■囚人の解放に必要不可欠なのは歩くこと、と説いたプラトン

 歩くことと考えることを明確に結びつけたのが、西洋哲学の基礎を築いたプラトンだ。

 彼は囚人たちの解放のためには、無理に立たせてでも外界に触れさせることが必要だと説いた。閉ざされた場所に囚われた彼らは、歩く範囲も制限される。しだいに積極性を失って、動くこと=歩くことを怠るようになり、それが思考停止につながっていく。

 外界での苦難に立ち向かうため、みずから一歩を踏み出し続けることこそが、自立に必要不可欠なのだ。無知から知に向かって歩くこと、そしてその知をたずさえてかつての仲間のもとに戻り、無知の人々を解放へと導いていく。

 その連鎖こそが、行ったり来たりのループではない、生きるための真の哲学なのである。

■不動のまま歩き続ける、一見不可能な真理にたどりついたブッダ

 人生には常に極端な2つの世界が存在する。裕福な環境で常にやさしさに守られている人がいる一方で、貧困にあえぎ誰からも助けを得られない人もいる。この不条理に目を向けたのがブッダだ。

 彼はやさしい道を捨ててみずから苦悩にまみれた道を歩くことを選択したが、それで誰かが救われるわけではない。自分ばかりが道を、思考を、右往左往させていても意味がない。そう気づいた彼は、真の救いを求めるために一度歩くことをやめて瞑想に入った。

 その結果、「どちらの道も選ばない」という哲学を体得したのである。生きるため、知を得るために人は思考し続けなくてはならない。だが同時に、瞑想する精神もそなえていなくてはいけない。歩くことと、立ち止まること。一見相反する2つの事象を「中道を歩く」ことで可能にしたのがブッダなのである。

 歩く、と一言でまとめてみても、速度も道程も人それぞれ。歩き方がちがうように、古今東西の哲学者が体得した真理も少しずつ異なっている。前進することばかりがよいこととは限らないし、歩みが遅いからといって目的地にたどりつけないわけじゃない。一見難しそうに見える哲学も、「歩く」という私たちにもそなわっている能力を起点にひもといていくと身近に感じられる。そのうえで自分なりの歩き方=考え方、哲学を導き出せるかもしれない。

文=立花もも