女性差別と闘うときに「対話する義務はない」―自分を守り、家父長制を変えていく方法とは?

社会

2019/2/26

『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(イ・ミンギョン:著、すんみ:翻訳、小山内園子:翻訳/タバブックス)

「ジェンダーギャップ指数110位の日本では、女性が生きていくことには多くの苦痛がある」。

 こんなことを言うと決まって「男だって辛い」「被害妄想ではないか」「最近は女性専用車両とかあるし、女性の方が優遇されているのでは?」などの声があがる。確かに男性だって色々な責任を負わされて辛いのはわかる。でも今はそんな話をしているのではないのだが……。

 こんな女性差別についてのモヤモヤを味わったことがあるのは、私1人ではないはずだ。どうしたらうまく伝わるのかわからず、結局は黙ってしまう。しかし『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(イ・ミンギョン:著、すんみ:翻訳、小山内園子:翻訳/タバブックス)によれば、「答えるのが当然だと思ってしまっていることが、自分を苦しめる原因になる」「苦しまないためには、あなたが対話するかどうかを決めるべきで、ダメだと思ったら速攻話を打ち切ってもいい」そうだ。

 なぜいちいち答える必要はないのか。その理由は社会には女性差別が蔓延していて、差別から身を守るためには望まないやり取りを断ること、対応するなら効果的な物言いを知っていく必要があるからだと、著者のイ・ミンギョンさんは言う。

 同書は2016年に韓国・ソウル市内で起きた、女性刺殺事件がきっかけで生まれた。この事件の犯人が女性を憎んでいたことから「ミソジニー(女性嫌悪)殺人事件」と呼ばれ、事件が起きたカンナム駅周辺で当時、多くの女性が抗議行動をおこなっている。なぜなら韓国では、男性の優位性によって維持が可能な家父長制度が根付いていて、女性は現在に至るまで、不当な差別を受け続けているからだ。抗議は虐げられてきた者たちの、怒りの爆発だったのだ。

「社会には女性差別がある」という主張は男性からすれば、「おおげさ」「極端すぎるだろう」と思うかもしれない。しかし男性は差別を受ける当事者ではないから、女性が味わう苦痛を実感することができない。そして、

差別は、数値や信頼できる根拠によって立証しなければならない問題ではありません。もちろん最近は数値でも立証されてはいますが、差別の問題において最優先されるべきものは、差別を受けた側が感じた苦しみです。

差別を経験したことがない人に自分の経験をなかったことにされたら、声を上げることがむずかしくなってしまう。すると、世の中から差別をなくすことができなくなります。

 とイさんが語るように、女性が味わってきた経験はとても大事で、苦しさの重さは比較できるものではない。だからこそ自分の経験は気安く打ち明けてはダメで、「女性に対する差別がある」ということに合意が取れない相手とは、議論を続けるのは不可能だという。

 確かに往々にして人は「わかってもらいたい」から対話をしようと試みるものだが、女性差別に限らず差別問題に関して言えば、「ある」と認めている人と「ない」とスルーする人では、スタート地点自体が違う。だから会話を成立させることは、実は困難なのだ。なのに「言えばわかってもらえる」と思って言葉をぶつけてしまうと、結局は打ち明ける側だけが苦しくなり消耗してしまう。それならば確かに、無理に話をする必要はないことはわかる。

 しかし時には女性差別はないと言い張る相手や、ミソジニスト(女性嫌悪者)と対話せざるをえないこともあるだろう。同書は「対話する義務はない」ということを全ページの約2/3を割いて説明したのち、そういう場合に効果的な言い回しについても紹介している。

 その内容は「聞き返す」「話の腰を折る」「(相手に自分のダメなところを)認めさせる」といった、厳しいものばかりだ。言ってみれば取りつく島もなくさせるものだらけだが、それは男性が辛い思いをしているからといって女性への差別が相殺されるものではないこと、ミソジニストの意見に「男も大変なのはわかるよ」と共感の姿勢を見せてしまうと、話がすり替わってしまうからだとイさんは説明する。

男性の不満のもとになっているのは、男性への逆差別ではなく家父長制であり、こちら(女性)にそれを言うのは筋違いです。

 そして女性嫌悪と男性嫌悪は「どっちもどっち」ではなく、女性を嫌悪する男性は女性の命を奪うが、男性嫌悪によって男性は一体、どんな危害を与えられる恐れがあるのかを自分の頭で考えるべきとも言う。これらの指摘は一見厳しい。が、納得できるものばかりだ。

 韓国で書かれたものなので、日本とは事情が違うと思うかもしれない。しかしジェンダーギャップ指数は110位(日本)と115位(韓国)で大差はないし、家父長制が残っているところや、女性が差別経験を訴えると即座に「男だって辛いんだ」との声があがる点は共通している。

 また「この本はヒステリックなフェミニストが書いたものだろうから、一般社会にはフィットしない。それに差別をなくしたいならフェミニズムではなく、ヒューマニズムと言えばいいのに」とも思うかもしれない。しかしイさんは用語の問題をどうこう言う前に、「どうして自分はフェミニズムという用語に拒否感があるのか」を考えるべきではないかと指摘する。

もしかして「自分の意見が通りそうにないから」、「自分の発言に誰も耳を貸してくれなそうだから」「自分の居場所がなさそうだから」ではありませんか? そう、まさに女性たちは、毎日そんな思いを抱えて暮らしてきました。フェミニズムは、これまで疎外されていた女性たちの声に説得力を与える運動なのです。

平等が実現すれば、これ以上「女性」を強調しなくて済むので、今のような男性の不満もなくなることでしょう。でも、そんな日が来るのはまだまだ先のことです。フェミニズムという用語はしばらく有効でしょう。

 私も含め「いい人」と思われたがりな人間にはハードルが高く見えるが、それでも「まずはここに書いてあることを覚えてみよう」という気持ちにさせられるし、何より勇気をもらえる。

 男女がともに戦うべきは「家父長制」であって、それは男性が作り上げてきたもの。だから「男の敵は男」であって、決して女ではない。そして女性は相手に忖度したり「わかってもらおう」と必死になったりするのではなく、まずは自分を守ることから始める。そうすることで自分だけではなく周りの女性も守り、家父長制を変えることに繋がるかもしれないからだ。

文=玖保樹 鈴

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