広島カープ元捕手・達川光男の「広島野球」論。人を育てる広島野球の強さの秘密は「弱者の野球」!?

スポーツ・科学

2019/5/25

『広島力』(達川光男/講談社)

 達川光男といえば、1980年代における広島カープ黄金期の豪華投手陣を支えた実力派捕手。一方で、デッドボールを審判に主張するシーンが「珍プレー」として頻繁にメディアで取り上げられたり、打者を惑わす「ささやき戦術」、広島弁が滲み出るトークなどの影響で、ユニークなキャラクターとして印象に残っている人も多いかもしれない。

 ただ、ふだんの達川は、非常に正直で真面目という人物評が多く、さらに優勝を知る実力派捕手ということもあって、引退後は指導者として引く手あまた。昨年までヘッドコーチを務めたソフトバンクでは「甲斐キャノン」で一躍名が知れた捕手・甲斐拓也の成長にも一役買った。

 そんな達川の初となる著書が本書『広島力』(講談社)である。正直、これだけの選手キャリア、指導歴、人気、知名度を考えると、初の著書というのは意外だが、前書きによると著書刊行の依頼は数え切れないほどあったが、自分なりに思うことがあり断り続けてきたとのこと。それが還暦を過ぎ、あらためて自分の過去を振り返ると、自身の成功は生まれ故郷であり、選手人生を過ごした広島の野球と土地のおかげ、それが役立つのであればと出版オファーを引き受けたそうである。ゆえに本書はカープ時代もさることながら達川の母校である高校球界の名門・広島商時代のエピソードも多い。そう、達川は広島商と広島カープ、いずれでも日本一を経験した稀有な経歴の持ち主。「広島の野球」の体現者、伝達者として、これほどふさわしい人はいない。

 では、本書で展開された「広島の野球」の真髄とは何か? それは一種の「弱者の野球」である。もちろん、高校球界の名門である広島商、黄金時代を築いた当時のカープは「弱者」ではない。ただ、広島商はフィジカルに恵まれた選手たちが、その能力を奔放にグラウンドで発揮する野球ではなく、選手個人の能力は劣っても、練習で培った精神力と頭脳を駆使して勝利をつかむ野球が真髄。またカープも豊かな資金力をバックに有力選手をかき集めるような球団ではなく、限られた乏しい資金の中でチームの強化を図ってきた球団。つまり、いずれも「恵まれない環境の中でどう勝利をつかむか」を追求してきたチームである。

 その点で、達川が語る広島商やカープのエピソードは、野球以外の分野でも参考になる話も少なくない。たとえば、一見、猛練習だけが表面に出てきそうな広島商の精神野球だが、昔からある部訓に「合理的で能率的な練習に励むべし」という言葉があったのは、ある意味、趣があった。また、とかく貧乏球団というイメージで語られるかつてのカープだが、新人選手の獲得にあたり「高い給料は出せないが寮の食事は12球団一」という口説き文句を使っていたというエピソードも、資金の使いどころを見極める球団の考え方の一端がうかがえる。

 もちろん、達川自身の捕手や指導者として歩んだ道も詳細に触れられている。名投手・江夏豊に認められる捕手の条件や、自身のレギュラーの座を脅かそうとした後輩・山中潔からも学びを得るエピソードは、ユニークな「たっちゃん」ではなく、その本質である「真面目に正直に」プロのレギュラーとして少しずつステップアップしていった、一種の凄みがうかがえる。特に山中とのエピソードは、達川らしい軽妙な語り口、読みやすさも意識した文章のせいもあって、サラッとした書き口になっているのだが、プロで長くレギュラーを張る選手の条件を痛感させられた。

 本書でも触れられているが、達川は今、母校・広島商の指導にも携わっている。現在の高校球界で実績を残しているのは、手厚い学校のバックアップのもと、才能豊かな選手を集め、恵まれた環境のなかで強化を進める私立校がほとんど。名門・広島商も甲子園から遠ざかるなど低迷中である。そんななか、達川が本書で披露した「広島力」が、どのように発揮されるのか、少し楽しみにもなった1冊でもある。

文=田澤健一郎