人種差別発言をしてくる同級生とも親友になれる。大人の常識を軽く飛び越える子どもたちに落涙必至のノンフィクション!

文芸・カルチャー

2019/8/4

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ/新潮社)

 多様な価値観を受け入れようだとか、個性を認め合おうだとか、文字で、あるいは声で届いてくることが増えた。グローバル化のメリット、そして少子化と人口減が進む日本のおかれた状況からのその必要性は理解できるが、不安感は払拭できない。文化の違いや貧富の差などから、同質ではない者同士が理解し合うことは難しい。それを、例えば他国の移民問題が物語っている。

 イギリスに住む、中学生の息子と日本人の母親との日々を綴るノンフィクション『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ/新潮社)は、グローバル化が進む世界の中でイギリスに今なお顕在する格差・階級社会や人種差別をリアルに描いている。著者は、本書に登場する母親。息子はアイルランド人の父親と日本人の著者から生まれた。

 優等生の息子は、ブライトン市にある学校ランキング1位の公立カトリック小学校を卒業するが、中学校は同級生たちが進学するカトリック系ではなく、かつては学校ランキングの底辺にいた、元底辺中学校への進学を選択する。この学校は人種も貧富もさまざまであり、まさに世界の縮図のような状態。当然、格差や差別があり、日々、息子からのその報告を母親が受け止めては、問題を共に考えたり議論したりし、親子二人三脚で人間的に成長していくたくましい姿が、子育て世代を中心に共感を呼んでいる。

公立校と私立校とで分断される水泳競技会

 ストーリーの核心は、息子が机の上に開いたままにしていたノートの右上端に書かれていた一文。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー。

 アイルランド人と日本人の両親から生まれた息子は、人種的にイエローでホワイトである。ブルーは何を意味するのか。こんなことを書きたくなるような経験をしたのか。母親は、「胸の奥で何かがことりと音をたてて倒れたような気がした」思いを抱き、息子を今まで以上に注視するようになる。

 イギリスの教育現場を日本人が訪れたら、面食らうようだ。そこには、歴然たる階級社会の縮図を見ることができる。例えば、本書では中学校対抗水泳競技会の一幕がある。そこで、母親は違和感を覚える。母親から見てプールサイドの“こちら側”ばかりに生徒たちがいて、“向こう側”はスペースがたくさん空いている。“こちら側”が息子が所属する公立校で、“向こう側”が私立校のサイドなのだ。公立校の数は私立校よりも多いため、当然のごとくスペースのゆとりに差が出る。母親は日本人の感覚として、「私立校だろうが公立校だろうが学校は学校なんだから、アルファベット順にバランスよくプールサイドの両側に並べたらいいじゃないか」と思うが、現場では“それとは違う価値観というか、常識がこの場を支配している”空気を鋭く感じ取っている。

今は、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとグリーン」

 いくつかの経験を通して、息子と母親は、いわゆる“多様な価値観”についての本質を理解していく。物語の最後では、息子は入学まもなくノートの端に書いた「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー。」の一行を、母親の前で訂正する。

あれさ。いま考えると、ちょっと暗いよね。

レイシズムみたいなことも経験してちょっと陰気な気持ちになってたけど、もうそんなことないもん。

いまはどっちかっていうと、グリーン。

「未熟」「経験が足りない」という意味ももつグリーンを、自らのカラーだと告白する息子に、母親は息子の成長を目の当たりにする。

 本書は、雑誌での連載を書籍化したものだが、連載は本書刊行後も続いている。親子が今後どのような変化を見せるのか、ファンの期待は高まるばかりだ。

文=ルートつつみ