密漁船、工作船…海猿のボスが記した、日本を取り囲む海での重大事案がスゴイ!!

社会

更新日:2019/9/13

『波濤(はとう)を越えて 叩き上げ海保長官の重大事案ファイル』(佐藤雄二/文藝春秋)

 漫画、ドラマ化、映画化で大ヒットした『海猿』。海猿とは、海難事故等の現場で任務にあたる潜水士の中でも、特殊任務にあたる選りすぐりのエリートたちのこと。所属するのは、海上保安庁(以下、海保)だ。

 ちなみに、第五管区海上保安本部のサイトの「よくある質問と回答」によると、「実は海上保安庁内では『海猿』とは呼びません。救難業務に従事する潜水士のことは、単に『潜水士』と呼びます。」とのこと。

 ともあれ、『海猿』は海保の知名度アップに一役買った。それでもまだ、海保職員ってそもそも何をするの? 警察官? 自衛官? などと、?が並ぶ人も多いだろう。

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 そこでぜひともご一読をおススメしたいのが、『波濤(はとう)を越えて 叩き上げ海保長官の重大事案ファイル』(佐藤雄二/文藝春秋)だ。

 本書は、じつに多くの示唆に富む内容だ。第一に、自叙伝としての読み応えである。

●入学すれば国家公務員となり給与が支給される「大学校」

 経済的に余裕のない家庭で育ったの著者・佐藤雄二氏は、工業高校卒業後は就職することを期待されていた。しかし、佐藤氏の優秀さを知る高校の教師たちが、「大学に行かせてほしい」と両親を説得。思案した末に選んだ道が、給料が出る「大学校」の中でも、海保幹部養成を目的とする海上保安大学校への進学だった。

 こうして著者は、海保大卒業後の1977年より、三席通信士としてキャリアをスタートさせ、その後、様々な困難な現場を踏破して成長を重ねる。そして2013年、現場出身者(いわゆる制服組)として初めて、海保トップである海上保安庁長官に就任する。

 本書には、そうしたいきさつや、海保大時代の生活に関しても詳述されているので、著者と同じような苦境を抱える人には、大いに参考になるだろう。

 ちなみに、海上保安大学校へ入学すれば国家公務員となり給与が支給される。他にも、防衛大学校、防衛医科大学校、気象大学校などがある。こうした大学校の存在価値を、著者はこう記している。

海上保安大学校は、貧しくて大学に行けない私のような境遇の人間にも挑戦の機会を与えてくれた。最近、子どもの貧困や所得格差の問題がメディアで大きく取り上げられているが、給付制の大学校は、新たな人生を切り開く機会を与えてくれる素晴らしい国の制度だ。

 第二の読み応えは、約40年間にわたる著者の海保人生の間に起こった、重大事案の多様さだ。

 中国、台湾、ソ連、北朝鮮他、諸外国からやって来る、密漁船、不審船、工作船、薬物密輸船など、日本を取り囲む海洋とは、著者の言葉を借りるなら「犯罪の楽園」なのだという。

 こうした事案への対処の他にも、外国籍船内で起こった暴動の鎮圧や、海難事故のレスキュー、東日本大震災発生時の緊迫した出動の様子などが、本書には克明に刻まれている。

●海保で初の銃撃戦となった「九州南西海域工作船事件」

 また著者は、関西国際空港建設時にテロ対策を任務として編成された「海警隊」や、フランスからのプルトニウム輸送船を国際テロリスト等から警備するための「警乗隊」、その後に発足した特殊部隊の特殊警備隊(SST)という、3つの部隊の隊長(基地長)も歴任してきた。

 SST基地長に着任し早々に、調査しようとした海保と国籍不明船(後に北朝鮮の工作船と判明)との間で、初の銃撃戦となった「九州南西海域工作船事件」(2001年12月22日未明)が勃発した。

 本書では、こうした重大事件・事案の舞台裏で繰り広げられている、海保職員たちの陰の努力や、命の危険と隣り合わせの現場など、表には出てこないリアルを、いくつもの事例から知ることもできる。

 と同時に、困難かつ危険なミッションにも自ら立候補して飛び込んでいき、周囲の士気を鼓舞し、躊躇なく全責任を負おうとする著者の姿に、真のリーダー像を見出すのは、筆者だけではないだろう。

 そして最後に指摘しておきたいのは、問題提起書としての本書の価値である。

 著者によれば、近年、日本周辺の海洋状況は緊迫しているという。中国とは尖閣諸島周辺、韓国とは竹島、ロシアとは北方領土周辺海域での問題が根深く残っている他、海洋資源をめぐり、各国が発掘調査等に躍起になっている。

 一方で、少ない予算と人員のまま、海保職員は「これは自衛官が担うべき任務では」と思うような事案への対処にも追われているという。

 こうした中で重要なことは、国民がもっと「日本周辺の海洋の現状と海の平和の大切さ」を理解し、海の警察官たる海保の存在意義について認識を深めることだと、著者は記している。

 本書を読むと、なぜ武装した自衛隊ではなく、丸腰にも近い軽装備の海保が必要なのか、その理由がよくわかる。そして、形は違うが、誰の人生にも波濤は押し寄せる。その越え方を学びたい人にも本書は大いに役立つはずだ。

文=町田光