【直木賞受賞『少年と犬』】何かを求めて日本を縦断する一匹の犬…犬を愛する人に捧げたい感涙作

文芸・カルチャー

公開日:2020/7/15

『少年と犬』(馳星周/文藝春秋)

「人という愚かな種のために、神が遣わした贈り物」。まさに、犬とはそういう存在だ。従順で賢く、どんな人の心にも寄り添う。そんな温かな存在に、どれだけ多くの人が救われていることか。

 第163回直木賞候補作、馳星周氏の『少年と犬』(文藝春秋)は、犬を愛するすべての人に捧げたい感涙作。馳星周氏といえば、ノワール小説の旗手として知られるが、犬のために東京から軽井沢へ引っ越してしまうほどの愛犬家としても知られている。そんな馳氏が描いた作品だからこそ、この作品には犬の魅力がギュッと詰め込まれているのだ。犬は、どうしてこんなにも清らかな心をもっているのだろう。どうしてこんなにも人間のために尽くそうとしてくれるのだろう。この本を読むと、犬の賢さと気高さに、改めて心を奪われてしまう。

 物語の始まりは、2011年秋、仙台。震災で職を失った中垣和正は、若年性認知症の母とその母を介護する姉の生活を支えようと、犯罪まがいの仕事をしていた。そんなある日、和正は、コンビニエンスストアの駐車場で、ガリガリに痩せた野良犬と出会う。シェパードに和犬の血が混じっていると思われるこの犬は、首輪につけられたタグによれば、「多聞」という名前らしい。震災で飼い主を亡くしたのだろうか。多聞を飼うことにした直後、和正はさらにギャラのいい窃盗団の運転手役の仕事を依頼され、金のために引き受けることに。多聞を同行させると仕事はうまくいき、多聞は和正の「守り神」になった。だが、多聞はいつもなぜか南の方角に顔を向けている。南に何があるというのか。やがて多聞は南を目指して旅を始める。多聞は何を求め、どこに向かおうとしているのか。

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 多聞は、なんて素晴らしい犬なのだろう。しつけが行き届いているというのもあるが、それだけではない。言葉を発することはなくとも、その態度から、人間の心に寄り添うような優しさが感じられるのだ。多聞は、岩手から新潟、富山、滋賀、熊本と移動し、行く先々であらゆる人間と出会う。窃盗団の男。壊れかけた夫婦。体を売って男に貢ぐ女。余命わずかな猟師…。多聞には孤独を嗅ぎ分ける能力でも備わっているのだろうか。出会う人間たちは、心に深い傷を負い、悩み、苦しんでいる者ばかりだ。頭が良く誇り高い多聞の存在に比べて、人間たちはなんて愚かなのか。彼らは、多聞に救いの手を差し伸べたようでいて、実際には多聞に救われている。人間たちよりもよっぽど多聞の方が賢く、頼りがいのある存在に思える。

 この物語の背景として描かれるのは、東日本大震災だ。時間が経ち、記憶が薄れてきた今だからこそ、この作品を読む意味がある。なかなか癒えぬ震災の傷跡。浮き彫りになる人間たちの愚かさ。そんな中で、お腹を空かせ、体が傷だらけになっても、多聞は南を目指すのだ。その理由がわかった時、胸が締め付けられる思いがする。特に、クライマックスは感涙必至。心に深い傷を負う人々にこそ、この物語は染み渡るに違いない。犬の温かい毛並みに触れた時のように、心が優しい気持ちで満たされる作品。

文=アサトーミナミ