私は他人のトイレを掃除するメイド。DV男から逃れ、社会から見放されたシングルマザーの回想記

文芸・カルチャー

更新日:2020/7/23

メイドの手帖
『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』(ステファニー・ランド:著、村井理子:訳/双葉社)

「メイド」という職業は、私たち日本人にとってあまりなじみがない。フリルがあしらわれた制服に身を包む、にこやかな女性を思い浮かべる人も多いだろう。だが、アメリカ社会におけるメイドの実情を知ると、印象はガラッと変わる。『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』(ステファニー・ランド:著、村井理子:訳/双葉社)には肉体的・精神的苦痛を強いられながらも、メイドという職を選ばざるを得なかった女性の叫びが克明に記されている。

シングルマザーが直面した「メイド」への偏見

 作者のステファニーは28歳で妊娠したが、それを知って豹変したパートナーからDVを受け、シングルマザーに。娘と暮らしていくため、メイドになった。ハンバーガーの代金を払うことさえ難しく、低所得者に向けた政府の食料補助プログラム「フードスタンプ」などの支援に頼らないと食べるものにも困ってしまう…。それがステファニーにとっての「日常」だった。

 他人の家(もちろんバスルームやトイレを含む)を掃除しなければならないメイドという職は、私たちが思っている以上に過酷で屈辱的なもの。ガソリン代は支給されず、清掃の遅延も許されない。明日の暮らしを考えれば欠勤などできないため、ステファニーは1日分の摂取量を大幅に上回るイブプロフェンを飲み、体の痛みをごまかして働き続けた。ホームレスシェルターに戻りたくないという想いと、娘にとって安全で事足りる生活をさせてあげたいという願いが、ステファニーを支えていたのだ。

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 だが、生活は一向に楽にならない。

クラシック・クリーン社は私が家をきれいにする時給として二十五ドルを請求していたが、私に入ってくるのはたった九ドルだった。

 税金や経費を引くと、手元に残るのはわずか6ドル。窮状を変えるべく仕事を増やすと、政府からの補助が減らされ、逆に生活が苦しくなるため、身動きが取れなくなってしまった。

 そして、ステファニーを一番苦しめたのが低所得者へ向けられる、周囲からの心ない視線や言葉。国から援助を受けていることを理由に、低所得者を自分が思う“怠惰な生活保護受給者”だと考える人々の敵意を感じ、ステファニーは自分を恥じるようにもなってしまう。

私たちは、子どもを預ける安全な場所を必死に探す一方で、最低限の収入で生きることを要求され、生活の基本的ニーズのためにさまざまな時間帯で労働している。それなのに、どうしたわけか、誰も私たちが実際に働いている姿なんて見ていない。彼らが見ているのは、不可能に満ちた暮らしに潰され続ける人生を送ることで生まれた結果だけだ。どれだけ私がそうじゃないと証明したとしても、「貧困」という言葉は常に汚れた印象を伴った。

 だが、ステファニーは強かった。様々な事情を抱えるクライアントの家を清掃しながら自分の生き方を考え、娘への愛を原動力にして未来を変えようとしたのだ。「娘を幸せにしたい」という祈りは自身の人生を変えるきっかけとなり、「作家」という夢を叶えることもできた。

「他人のトイレを掃除しなくてもいい幸せ」は私たち日本人には、あまりピンとこないかもしれない。だが、ステファニーが体感した低所得者への偏見は日本にも蔓延っている。生活保護を受けたり、他の人がやりたがらない仕事をやらなければいけなかったりする人へ心ない言葉が向けられる今の社会は、あまりにも悲しい。

 生きていく上で、お金や地位や名誉が武器になることは、たしかに多いもの。けれど、それらは人を見下したり、蔑んだりしてもいい理由にはならない。明日も見えない暮らしの中で、なんとか立ち上がろうとしている人に、私たちはもっと温かい視線を向け、支援の手を伸ばすべきだ。

 本書に綴られているのは、日の目を見ることがなかったかもしれない叫び。全米ベストセラーとなり前大統領のバラク・オバマの心も動かしたステファニーの勇気ある告白は、2021年にNetflixで映像化されることも決定している。絶望の中でも幸せを探すことを諦めなかったひとりの母親の奮闘記は、あなたの目にどう映るだろうか。

文=古川諭香