MaaSって何? 東急社員による現在進行形の挑戦劇! 「訳がわからないこと」を理解してもらう難しさ

ビジネス

公開日:2020/9/15

MaaS戦記 伊豆に未来の町を創る
『MaaS戦記 伊豆に未来の町を創る』(森田創/講談社)

「新しい生活様式」という言葉が繰り返し報道され、テレワークやキャッシュレスが国を挙げて推奨されるようになる。1年前には想像しなかった事態を迎えた2020年。それに伴い、「MaaS」の注目度も高まりつつある。『MaaS戦記 伊豆に未来の町を創る』(森田創/講談社)の著者は、渋谷ヒカリエにある劇場・シアターオーブの立ち上げにかかわった東急の社員。

 長年広報として会社に滅私奉公し、東京五輪への一体感を高める戦略チームを新たに作るという、自らたたき台を作った新部署への異動に胸を膨らませていた筆者は、何も知らされぬまま伊豆半島に行けと命じられて、伊豆のMaaS「Izuko」を立ち上げることに……本書は、その奮闘(もしくは七転八倒?)を記したノンフィクションである。

2015年生まれの「MaaS」事業にいきなり投げ込まれた著者

「おい、マースってなんだ」
「は?」
「マースだよ」
「知らないんですか? 社長はとんでもない人に頼んでしまったんですね」
「もったいぶらずに教えろ」
とせまると、
「モビリティ・アズ・ア・サービス」
と言い残して、彼も野本の随行で姿を消してしまった。

「Mobility as a Service」の頭文字を取ったのが「MaaS」。現在、電車やバスなど、複数の交通手段を乗り継ぐ場合、ルートを検索しても、予約や運賃支払いを個別に行う必要がある。手元のスマートフォンやパソコンで、検索、予約、支払いまで一度に行えればより便利になり、渋滞や運行状況なども判断することで移動を効率化できる。それを可能にしようとするサービスが「MaaS」であり、交通体系や社会制度なども含まれる。2015年のフィンランド・ヘルシンキがトップバッターとしてサービスを開始。シェアリングサービスが発達し、電気自動車化も叫ばれている欧州での、公共交通の利用率を高める手段としての期待が背景にある。また、データを収集することで、少ない運転手や車両を効率的に稼働させる仕組みでもある。

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 著者は野本社長(当時)に業務を突如言いつけられ、後輩の秘書を捕まえて「マースってなんだ」と聞く。その程度の知識レベルから一大プロジェクトはスタートするのである。広報として必死に働き、ようやく自らのやりたい仕事ができると思っていたら、突然の方向転換。ショックを受けた著者の嫌がりぶりは克明に書かれており、部下とのファーストコンタクトの場面など、これでよく関係構築ができたものだなと首をひねった。実に50ページを過ぎるまで呻きは続く。

いきなりコペンハーゲンでプレゼン? 華やかさと手探りの道筋

 ようやく動き出したチームは、アプリの開発先を見にドイツへ飛び、さらにフィンランドへ視察旅行に発つ。その中でフィンランド政府の顧問を務める人物から、「伊豆半島は縦に60キロ以上もあり、そんな広範囲で地方型MaaSを行うのは類を見ない。9月の国際会議で話してみてはどうか」と、言われる。視察中に、なぜかコペンハーゲンでのプレゼンテーションが決まってしまうのである!

 帰国してから本格始動し、まずはプランを立て始める。伊豆半島は住民にマイカー保持者も多く、観光地としては公共交通が不便だという側面を持つ。そこで伊豆MaaSは「スムーズな移動環境を提供し、楽しい時間をプレゼントする」という方針を打ち出した。

 一定地域の電車とバスが乗り放題の「デジタルフリーパス」、観光施設に割引入場できる「デジタルパス」、アプリを使い目的地まで利用者と相乗りする「オンデマンド交通」の3種類の商品構成。バラバラの商品ではなく、それぞれを結びつけることで周遊を促進するねらいがあったそうだ。

 初の「観光型MaaS」とメディアに発表、数日後には件の国際会議でプレゼンテーション。以後、幾度となくマスコミにも取り上げられ、著者には講演のお呼びもかかる。広報以上の華やかさでは? と思われる新事業の実態はというと、泥臭く、粘り強い交渉と困難の連続だったようだ。

「訳がわからないことをやり始めた」を理解してもらう難しさ

 2018年に何があったか覚えておられるだろうか? Paypayがローンチしたのはこの年の10月、馴染みのないモノに眉に唾を塗った人もいるのではないだろうか。

 高齢化が進む伊豆では、観光地でも現金決済絶対主義。いくら自分たち主導といっても、人々の協力なしでは何もできない。東急はJRや伊豆急行、バス会社にクルーズ会社、静岡県庁から下田市役所まで、官民が入り交じった委員会を形成。人手不足や利用者の減少と常に戦っている地方では、自社の利益を損なうことに関してはみな敏感である。特に新たな交通を通す場合、既存の交通インフラに仁義を切らねばならないため、委員会内部でも幾度もぶつかったようだ。

 観光地としてのハードルを下げてインフラを整えようとしているのに、なぜ協力が得られないのか……。著者は何度も苦悩する。新しいことへの挑戦とは、言ってみれば「訳がわからないことをやろうとする」ことと同義である。既に立場ある、東急という立派な会社でも、地道なことの積み重ねしか仕事は進まないのか。大企業のプロジェクトを一気に身近に感じた。

困難は続くよどこまでも……正直者は語る

 なんとか根回しを終え、実際にプロジェクトが動き出してからも困難は絶えない。ハブとなるアプリ「Izuko」の開発、実証実験、テスト販売。著者やプロジェクトメンバーの苦悩・煩悶は凄まじく、一口に「アプリ開発」と言ってもこんなに大変なのかと、その臨場感にヒヤヒヤする。

 実験の失敗、予想とは違う結果。本書には正直に記されている。どう対処したのか、何がいけなかったのか? 著者はひとつひとつ検証しながら進めていく。

 Izukoは結果としてアプリ開発を断念し、ウェブを主戦場に切り替えることになる。その方針転換も包み隠さず書かれていて、ビジネスとは結局、新しいことをやってはいても、トライ&エラーの繰り返しなのだと感じた。

結論はまだない。うまくいっているわけでもない! でも、これからがある

 本書の興味深いところは、「まとめ」になっても結論がないことである。何しろ実証実験のフェーズ2が2020年3月に終了したばかり。しかも新型コロナウイルスによって観光業は大打撃を受け、次の段階に進みたいIzuko も足止めを食らっていた。

 ドラマのような「結末」はまだ迎えていない。問題も山積している。しかしキャッシュレスやテレワークが進み、IoTの活用もよりいっそう叫ばれている今、Izukoの取り組みはひとつ大きな指標となり得る、と著者は希望を語る。

 タイトル通り、戦い、未来を創ろうとする力強さは、我々にMaaSの知識以上のものを与えてくれる。

文=宇野なおみ