1カ月後に死ぬことがわかっているとしたら…2020年本屋大賞受賞の凪良ゆうが新作で問う“生きること”の意味

文芸・カルチャー

更新日:2020/10/23

滅びの前のシャングリラ
『滅びの前のシャングリラ』(凪良ゆう/中央公論新社)

 もし1カ月後、突然、地球に小惑星が衝突して人類が滅亡するとしたら、あなたは最後の日々をどう過ごしたいだろうか。

 いきなり仕事をやめて、やり残したことを全部やり、その日を万全に待つよりは、なるべく心を乱さないよう、いつもどおり過ごしたい。ただ、会いたい人には会いたいし、最後の瞬間は大切な人と一緒にいたい。でも、いちばん単純に見えるその願いが、きっといちばん叶えがたいのだろうと、『滅びの前のシャングリラ』(凪良ゆう/中央公論新社)を読んで、思う。絶望と混沌のさなかを、人は、きれいごとだけでは生きられない。

 冒頭、いじめられっ子の17歳、江那友樹の「クラスメイトを殺してしまった」という告白から物語は始まる。ノストラダムスの大予言よろしく、ただの都市伝説だと思っていた小惑星衝突が事実とわかり、人類は例外なく死に絶えるのだとわかって荒れ果てた世界で。強盗、殺人、レイプ、あらゆる犯罪が横行し、都会に近づけば近づくほどその暴力性は増していくなかで、無謀にも、東京ドームで行われるライブに行こうとする同級生・藤森雪絵の護衛を、頼まれもしないのに買ってでた。というよりはストーカーさながら、懐に包丁を仕込んで、彼女のあとをこっそりつけた。そして彼女の危機を救い、ともに東京へ向かう旅路で、2度目の恋に落ちてしまう。

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 友樹の“最期”はある意味でとてもわかりやすい。命がけになってはじめて、向こう見ずな行動にも出られた。「明日死ねたら楽なのに」と願っていたはずなのに、生々しい死を前にはじめて、生への渇望もわいてでた。守りたい人がいるから生きられるという、普遍的な人の本能。けれどそれを、文字にしてしまうととても美しいもののように聞こえてしまい、何かがちがう、と思う。

 これだけは、と願うものを守るためなら他者の命を奪うことも厭わない、というのは決して美談などではない。人はとことんまで自分のためにしか生きられないという、剥き出しのエゴだ。生きるために他者を蹴落とし、そのことに罪悪感を覚え、自分を蔑みながらも、生きることをやめられない。でもだから、どうしようもなく愚かで身勝手な自分だから、やっと見つけた守りたいものだけは大事にしたいと愛を注ぐ。そうした人間のもつどうしようもない矛盾が、本作には描かれているような気がした。

 本作の語り手となるのは友樹だけではない。ヤクザにすらなりきれないチンピラの目下信士。友樹の母親の静香。雪絵がライブに行こうとしていた、歌手のLoco。世界が終わりはじめる以前から、4人の世界は混沌と狂気にまみれていたし、死と隣接した絶望も何度となく味わってきた。けれどそれでも、ここに至るまで生き続けてきたのは、よすがとなる生きる希望に出会ったことがあるからだ。だから人類滅亡が迫った今も、生きていられる。最後まで。人はきれいごとだけでは生きられないけど、きれいごともなければ、生きられないのだ。

〈毎日自分たちの弱さや卑しさを恥じながら、それでも生きるしかない。〉〈他人から見て納得できる、できないは関係ない。生き方も、死に方も、それぞれの胸のうちだ。〉4人の生き様を経て綴られる、ラスト近辺のこの言葉が深く、重く、読み終わったあとにも響き続ける。

文=立花もも