60歳の大江千里は、なんとも魅力的! 旅のような生活から、実父の介護と別れ、愛犬の闘病も。エッセイ第3弾『マンハッタンに陽はまた昇る』

文芸・カルチャー

公開日:2021/4/10

マンハッタンに陽はまた昇る 60歳から始まる青春グラフィティ
『マンハッタンに陽はまた昇る 60歳から始まる青春グラフィティ』(大江千里/KADOKAWA)

 ジャズミュージシャン・大江千里氏によるエッセイ本の第3弾。メディアプラットフォーム「note」にアップしていた記事に加え、「ニューズウィーク 日本版」の連載コラムに加筆修正して構成されたものだという。

 47歳のときにジャズピアニストへの転向を決め、2008年1月に渡米し音楽学校に入学。以降のことはこれまでに上梓された2冊のエッセイに詳しいが、本作のページをめくるとプロローグに現れる「還暦」の文字に、あらためて驚いてしまう。80〜90年代にポップミュージシャンとして活動していた彼のイメージを持つ人はもちろん、近年の活動を知っている人も、だ。

 なぜなら、この本の文章があまりにもリズミカルで、ポップで、みずみずしいから。「60歳のジャズミュージシャン・大江千里」の感性の、なんと軽やかなことか!

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 描かれているのは、彼の日常生活を中心とした出来事だ。住んでいるのはニューヨーク、ブルックリン。ライブや曲作り、セッション、プロモーションといったミュージシャンとしての活動はもちろん、ツアーでの出来事、愛犬「ぴ」との日常……。それらがとても精緻に、テンポよく描かれる。

 この本の前半の彼の生活は、まるで“旅”だ。ツアーやプロモーションでいろいろな場所に行くのが彼の日常。アメリカや日本での数多の人との体験が細かな彼の心の動きとともに記されていて、とても上質でユーモアに溢れた紀行文のよう。デビュー前後の話や大学時代の思い出話も飛び出して、その“旅”は時空をも飛び越えてゆく。ときおり垣間見える、彼も含めたミュージシャンたちの生々しい素顔や苦悩、関係性などがまた興味深い。

 もちろん、描かれるのはポジティブな出来事だけではない。実父の介護の話や別れ、愛犬の闘病といった、生きていく上で、読者の私たちが遭遇するかもしれない状況も登場する。それでもLife goes on、続いていく彼の日々。ページをくる手が止まらず、どんどん読み進めてしまう。

 この本の収録エッセイは、おおよそ時系列でまとめられているのだろう。後半には「新型コロナウィルスの流行」という現実がニューヨークにもやってくる。私たちがニュース映像で見ていたあのニューヨークの状況を、彼はまさに渦中で過ごしていたというわけだ。その描写は生々しく、現実として重くのしかかる。予定されていた日本ツアーも中止となり、現実的な旅は難しくなった。なかにはワクチン接種の体験記もある。

 それでも、彼の文章は悲壮感にあふれたものにはならない。彼はこのニューノーマルな世界を “サバイブ”しながら、今この瞬間も音楽とともにある。なにせこの本のタイトルは「マンハッタンに陽は“また”昇る」なのだから。音楽も、生活も、決して諦めず、手放さない。その現実にホッとするし、うれしくなってしまう。

 彼がかつて47歳で新たなチャレンジをしたということに、背中を押されたような気分になった人もいたと思う。そして60歳の彼は、数多の経験を糧にしながら、感性に磨きをかけ様々な挑戦を続けている。いろいろと不安になりがちな昨今だからこそ、彼の文章に救われる人もいるのでは……そんなことを思わせる1冊だ。

文=川口有紀(フリート)

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