古代の日本は男女格差の小さい社会だった!? 日本史を彩る「女武者」

文芸・カルチャー

公開日:2021/7/1

女武者の日本史
『女武者の日本史』(長尾剛/朝日新聞出版)

 日本には「戦う女」がいた。

 武器を手に、戦場に立った女性もいれば、陰で男たちの戦いを支えた女性、信念のため困難な現実と戦う女性もいた。『女武者の日本史』(長尾剛/朝日新聞出版)は、古代から近代日本の歴史に燦然と現れた、戦う女――「女武者」「女軍(めいくさ)」について分かりやすく紹介している1冊である。

 本書によれば、古代において、日本では「戦士という立場」において男女の差はなかったという。将軍から末端にいたるまで、戦争の際は夫婦母子共に従軍し、女性は女軍として戦った。戦争の際だけではなく、女性でも部族の首長となったり、専業の役割、仕事があったりと、同時代の他国とは違い「男女格差の大きくなかった社会」と言えるそうだ。

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 日本だけに、そういった社会が成立していた背景には、「食糧の調達が比較的困難でなかったため」ではないかと書かれている。世界の大陸のほとんどは狩猟が主な食糧調達の手法だったため、体力や腕力のある男性が女性よりも多く食糧を確保することができ、結果として優位に立つようになった。しかし、日本は植物や海産物が豊富で、それらの食糧は女性でも採取可能だったため、格差がそれほど生じなかったのではないか。そうした伝統が女軍登場の基幹だったのではないかと推察されるという。

 そんな経緯で存在した戦う女である「女武者」「女軍」のエピソードを、本書から少しご紹介しよう。

(1)薩末比売(さつまのひめ)

『続日本紀』に登場する女性。

 九州の隼人の軍を率いていた首長であり、巫女(シャーマン)であった彼女は、隼人族の先頭に立ち、敵対していた朝廷と勇敢に戦ったと考えられる。一国(一族)を率いて戦う女性、カッコイイ。古代の壮大なロマンを感じるのは私だけだろうか。

(2)巴御前(ともえごぜん)

 平安時代末期、源平合戦で源氏方の将、源義仲(みなもとのよしなか)の愛人だったという巴は、美人であり、豪壮無双の女武者だったと伝えられている。

 こんな伝説が残っている。ある時ちょっとした諍いがあり、巴は無礼を働いた義仲を馬ごと投げ飛ばし、義仲は数十枚もの田圃を越えて飛んで行ったという。

 この時代は古代と違い、「戦争は男の仕事」という認識が強かったものの、彼女のように実際に戦場に立ち、伝説的な逸話が語り継がれるほど勇猛な女性がいたのは興味深い。

(3)寿桂尼(じゅけいに)

 本書では、「戦場以外で戦う強い女」=「女軍の魂」を持つ人物にも触れられている。

 寿桂尼は戦国時代、女ボスとして今川家を支え続けた。彼女は今川氏親の正室であったが、病床にあった夫に代わり、今川家の政務を取り仕切っていた。夫の死後も、4代にわたり今川家のトップ・アドバイザーとして君臨し続けたという。

 その他、幕末には名スナイパーとして戦った山本八重(やまもと・やえ)や、明治期に入り、どの階級の女性にもしっかりとした教育を受けさせようと、世間の理解を得るために戦った教育者、下田歌子(しもだ・うたこ)など、実に幅広い時代から、30名以上の女武者が紹介されている。

 また、本書は所々小説風の読み物として彼女たちのエピソードが書かれており、より臨場感をもって女武者たちの生き様を感じられるようになっている。専門的過ぎる内容ではないので、あまり日本史に詳しくない方でも楽しく読めるはずだ。

文=雨野裾

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