ドラマも好調! 『ミステリと言う勿れ』が抵抗する「“おじさん”が真実を独占する社会」

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更新日:2022/1/31

“おじさん”とは誰のことか

 さて、さらに興味深いのは、整くんが現代においてこうした「(唯一の)真実」をおもに独占しているのが、“おじさん”であると示唆していることです。

 …というより、いっそう正確に言うならば整くんは、真実を独占し、自分たちの考え方とは異なる視点を認めず、そのことによって権力を得ている人たちのことを、“おじさん”と呼んでいるように見えます。中年男性=悪ということではなく、真実を独占的に領有し、それに無自覚な人を“おじさん”と呼んでいる、ということです。

 たとえば第1話(原作コミックス episode1)で整くんは、「僕は偏見の塊で、だいぶ無茶なこと言いますが」としたうえで、「おじさんたちって 特に権力サイドにいる人たちって 徒党を組んで悪事を働くんですよ」という考えを提示します。そして、若い女性の巡査である風呂光聖子に、「でも、そこに女の人が一人混ざってると おじさんたちはやりにくいんですよ」と伝えます。そして、「おじさんたちを見張る位置」が風呂光さんの役割だとします。

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 この一連のセリフは、「唯一の真実」を共有し、それ以外の視点を排除する“おじさん”たちの危うさ、さらには“おじさん”たちが「ほかの真実」を排除して成り立つがゆえに暴走してしまいがちな構造を指摘していると言えそうです(だからこそ、「ほかの真実」をもたらす風呂光さんの役割が重要になるのです)。

 紙幅の関係で詳細は割愛しますが、episode1でカギとなる人物・薮鑑造という刑事の行動も、この意味で“おじさん”的と言えそうです。

「自分は他人の真実を奪っていないか」を自問し続ける重要性

 イギリスの現代美術家であるグレイソン・ペリーは、自著『男らしさの終焉』(小磯洋光:訳/フィルムアート社)のなかで「デフォルトマン」という概念を提唱しています。デフォルトマンとは「白人」「ミドルクラス」「ヘテロセクシュアル」である男性のことで、社会のなかで文字通り、「デフォルト」(初期設定、標準の設定)の立場を得ています。

 彼らは、社会のデフォルトであるがゆえ権力を得やすく、その人生はコンピューターゲームを「イージー」モードで遊ぶような条件を有している、とされます。そして、彼らは(意識的にか無意識的にか)さらに彼らを基準としたルールを打ち立てることで、「普通」の位置を独占し、さらにデフォルトマンの繁栄を強化しているとされます。

 そして、デフォルトマンは、デフォルトでない人たちにとっての世界の見え方を無自覚に排除してしまいがちです。「デフォルトマンは、自分の感情的でバイアスのかかった意見を、『理性的』で考え抜かれていて『誰よりも冷静』なものとして広めてきた」。ここまでの原稿で用いた言葉で言えば、デフォルトマンは真実を独占してきたと言い換えられそうです。

 整くんはいわば、デフォルトマンがそうではない人々の「真実」を奪い取ってしまうことに抗っているように見えるのです。

 現実においては、ある場面で「真実を他者に独占されている」と感じている人が、別の場面では他者の真実を奪ってしまっていることもあるかもしれませんが、ともあれ『ミステリと言う勿れ』は、「自分は他人から真実を奪われていないか」「自分は他人の真実を奪っていないか」を自問し続けることが重要だとあらためて感じさせてくれます。

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『ミステリと言う勿れ』というタイトルの意味

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