なぜ司馬遼太郎作品は、「昭和のビジネスパーソン」に愛読されたのか?

文芸・カルチャー

公開日:2022/4/6

時間学の構築IV現代社会と時間
『時間学の構築IV現代社会と時間』(山口大学時間学研究所監修、時間学の構築編集委員会編集/恒星社厚生閣)

 最近も『燃えよ剣』が映画化され、『坂の上の雲』『竜馬がゆく』『国盗り物語』などの代表作を持ち、「国民的作家」として君臨した司馬遼太郎は、年輩の財界人にも愛読者が多い。

 しかし、商売に直接的に応用できるわけではない司馬の娯楽歴史小説は、いったいどうして(特に高度経済成長期以降の70~80年代にかけて)ビジネスパーソンに広く支持されたのか。

 もちろん、たとえば司馬の前には吉川英治の『宮本武蔵』などが大衆に自己啓発書的に読まれていたことは甲賀三郎らの指摘があるし、(かつての)大衆文学では啓蒙的な要素がロマンチシズムや読み物としてのおもしろさと並んで重要だと千葉亀雄は論じていた。 時代と共振した大衆文学がそういうものだとして、では昭和の後半に司馬遼太郎を読んだ人たちは、司馬の書く小説のどんなところに目をひらかれたのか。

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 そういう疑問に真正面から応えているのが、山口大学時間学研究所監修、時間学の構築編集委員会編集『時間学の構築IV現代社会と時間』(恒星社厚生閣)に収録された福間良明「司馬遼太郎ブームとビジネス教養主義 ポスト高度成長期における「歴史」と「誤読」」だ。

 司馬の歴史小説では戦国期や幕末・維新期が扱われることが多く、そこでは既成の価値観が転覆し、新たな認識や社会構想の模索が描かれる。そこには司馬自身の戦争体験、従軍経験から来るエリートや官僚機構への違和感があり、自由と合理を重視する姿勢が肯定的に書き込まれていた。

 欧米のキャッチアップをしていればよかった高度経済成長期が終わり、官僚制の弊害を打ち破るという名目で、イギリスなどで流行し、日本にも新自由主義が持ち込まれはじめた時代背景と、司馬の思想が合致していたと福間は指摘する。

 しかもそれは、当時、制度疲労を見せていた欧米への追従ではなく、日本の作家が描く歴史(「古き良き時代の日本人像」)を参照し、日本独自の道を探るための指針として読まれたのだ、と。そうして1979年刊の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と司馬の作品とを並べる。

 なるほど、令和に思い描く「昭和のサラリーマン」というと「上司に逆らわずにへこへこしている」「自分の頭で考えずに言われたことをやっている」的なイメージがあるが、実際にはお手本に従っていればいい時代は終わっていて、自分たちで方向性を模索しないといけないと思っていたのか、という驚きがこの指摘にはある。

 しかし福間の指摘がさらに興味深いのは、少なくない当時の愛読者が司馬作品に「古き良き時代の日本人像」を読み込んでいたが、かなりの程度それは誤読だった、という点だ。司馬は近世以降の日本の体制に批判的だったのであり、そこを誤読されたのは不本意だったはずだ、と。指摘されている。

 けれどもさらに「誤読」は続く。

 1996年に司馬が亡くなると、戦後民主主義的な歴史観は「自虐史観」だと批判して「自由主義史観」に基づく「新しい歴史教科書をつくる会」が、司馬史観――この言葉は80年代にはほとんど用いられず、90年代に急激に普及した――をたびたび「日本人の誇り」を喚起するものとして参照した。司馬は、近代日本が帝国主義勢力の仲間入りを果たしたことを「日本はアジアの国々にとっておそるべき暴力装置になった」と否定的に記していた。

 歴史学者が表立って司馬の明治期の歴史描写を実証研究の立場から批判するようになるのは、自由主義史観の台頭以降だという。だがこれが逆に「学問的に言及する価値のある歴史小説」として司馬遼太郎の「教養」的な重要性を高めることにつながった、と福間は結論づける。

 筆者も、「司馬遼太郎の作品はなぜ娯楽大衆小説なのに、それなりの地位の人物が読んでいることを公言しても恥ずかしくない枠」に入っているんだろう、と疑問に思っていたが、これを読んでかなり腑に落ちた。司馬遼太郎愛読者も、なんとなく興味があるという人も、あるいは苦手意識がある人にも、一読をおすすめしたい。

文=飯田一史

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