「出版エージェント」とは? アメリカの出版業界が舞台の映画『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』に見る、エージェントの仕事とあり方

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公開日:2022/5/13

 2022年5月6日より公開の、90年代のアメリカの出版業界を舞台に作家を夢見るジョアンナの自分探しを描いた映画『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』。この作品は、サリンジャーの代理人をつとめる老舗出版エージェンシーで働いた女性による自叙伝『サリンジャーと過ごした日々』(ジョアンナ・ラコフ:著、井上里:訳/柏書房)がもとになっている。

サリンジャーと過ごした日々
サリンジャーと過ごした日々』(ジョアンナ・ラコフ:著、井上里:訳/柏書房)

 日本ではまだ数少ない「文芸エージェント」である私が、その仕事内容を明らかにしながら、映画と原作について解説する。

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 ベテランエージェントである上司・マーガレットの新米アシスタントになったジョアンナ。日々の仕事は、世界中から届くサリンジャー宛の熱烈なファンレターに素っ気ない定型文を送ることだ。しかし、彼らの想いに応えたくなったジョアンナは、個人的な返事を書き始めてしまう。そんなある日、偶然サリンジャーからの電話を受けて――。偉大な老作家と彼の読者たちと接する中で、自分も「何者か」になろうと葛藤するジョアンナは、自分を見つめなおしていく。

マイ・ニューヨーク・ダイアリー

マイ・ニューヨーク・ダイアリー
9232-2437 Québec Inc – Parallel Films (Salinger) Dac © 2020 All rights reserved.

 この映画は、のちにジョアンナが綴った自叙伝『サリンジャーと過ごした日々』における数々の実話がもとになっている。サリンジャーの才能を見出した人物が1929年に創業した出版エージェンシー「ハロルド・オーバー・アソシエイツ」は、クリスティやフォークナー、フィッツジェラルドなど錚々たる作家と契約しており、本が生まれる現場がいきいきと描かれている。しかし、こうした著者のエージェント会社は、まだ日本ではあまり知られていない存在だ。

 欧米では、作家に文芸エージェント(Literary Agent)がいるのは、出版業界の一般的な商習慣である。俳優やタレント、ミュージシャンが芸能事務所に所属するように、作家やライターはエージェント会社と契約し、エージェントを通じて出版社と仕事をする。海外で活躍する日本の作家も、海外ではエージェント会社と契約していることが多い。そうした著者のエージェント会社はたくさんあるが、ノンフィクションや文芸などの専門分野、作家へのアドバイスから権利の交渉などの得意分野など、各社の特長も規模の大小も様々である。

 日本では作家は受賞歴で判断される傾向にあるが、アメリカではどのようなエージェント会社と契約しているかが、その作家の人生を左右する。出版社は実績のあるエージェントの目利き力を信頼しており、日本のような新人賞ではなくエージェント経由で出版が決まる。デビュー後も同じ出版社から本を出し続けることが多いので、エージェントがマーケティングを踏まえた作家プロデュースを行っていく。

 作家の創意や人間関係の機微を大切にする日本の出版業界で、作家と出版社をつなぐ役割として、著者エージェントが現れたのは、この20年ほどではないかと思う。

 その仕事内容について詳しく説明すると、才能ある新人や若手作家を発掘し、企画や原稿を適切な出版社に売り込む。採用されたら、作家と編集者との仲介役となって、本が完成して出版されるまで陰になり日向になりサポートする。

 エージェントが出版社の編集者と大きく違うのは、作家の才能を見込んだら一作では終わらず、将来を見据えて何作も(できればずっと)一緒に仕事をするところだ。だから、デビュー以降も、「次はエッセイを書いてみましょう」「短編のひとつを加筆して長編で売り出しましょう」といった方向性のアドバイス、どのように改稿したら出版社に採用されるかといった執筆の提案を行い、作家を育成する。本の売れ行きを良くするにはどうしたらいいのか一緒に知恵を絞ることもある。執筆という孤独な作業と向き合い続ける作家の代わりに、出版社やメディア、取材先との交渉事や事務作業を担い、作家の出版活動を二人三脚で進めていくのである。

 日米の歴史や環境の違いはあっても、この映画や原作には文芸エージェントの日常や仕事の苦楽が丁寧に描かれている。作品を理解する能力を認められたジョアンナは、マーガレットから「合いそうな雑誌を選んで、編集部に送ってみなさい」と原稿を任される。そして、見事、はじめての売り込みを成功させたとき、マーガレットは喜び、他のスタッフも拍手を送る。

 このようにエージェントは、作家の原稿を誰よりも先に読み、あらゆる手段で編集者を探して売り込みをする。その結果、作品が採用されたり、世に出た作品が評価されたりしたときは、まるで自分のことのように嬉しいのだ。

 もちろんいいことばかりではない。自分は作品の面白さを信じているのに、何十社紹介しても採用されないこともある。原作によると、サリンジャーのエージェントも『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の前身とも呼ぶべき一篇の作品を編集者に認めさせるまで、何度も何度も彼の短編小説を「ザ・ニューヨーカー」に送り続けたそうだ。そんな逸話を思い出すたび私も奮起するのだが、16年この仕事をしていても、辛辣なお断りの返事や手厳しい批評にはへこむこともある。作家にどのように伝えようかと1日中考えこんでしまう。

 文学とビジネスに折り合いをつけるのは難しい。文学が好きだからといって出版業界に飛び込んでも、夢を見ているだけでは「本を作る」仕事は務まらない。採用面接でフローベールの『感情教育』を読み終えたところだというジョアンナに、マーガレットはきっぱりと言う。

「出版業界で働くなら、存命の作家のものを読まないとね」

 すでに評価の定まっている作家や自分の趣味に合った作品だけを扱っていても駄目。作家の代わりにビジネスや交渉事を担う文芸エージェントは、どうしたら作品を商業的に成立させられるか、作家を長く活躍させられるかを考えなければならない。これは今の日本でも同じだ。不況と言われる出版業界で、自分の信念を捨てずに成果をあげていくのは至難の業で、本当にスリリングな仕事である。

 日本ではエージェントはまだ知られていない存在だと書いたが、インターネットにおける作品の発表の方法、読者とのつながり方が多様化している今、これからは従来の形にとらわれない作家とメディアをつなぐ様々なエージェントが登場していくだろうと私は予測している。

 映画のラストでは、初めての仕事を成功させて将来を期待されながら、やはり作家を目指すために、ジョアンナは出版エージェンシーを辞めることを決意する。文芸エージェントという仕事を通じて自分を見つめなおしたからこそ、表現することや執筆という孤独な作業に向き合う強さと自信を持つことができたのだろう。マーガレットは笑顔で送り出すが、私としては「辞めちゃうのか……」と少し寂しくもあった。なぜなら、文芸エージェントは、作家になることと同じくらい面白い仕事だと思っているから。

文=栂井理恵

プロフィール
栂井理恵 株式会社アップルシード・エージェンシー所属。文芸を中心とした書籍の営業代行を行う作家のエージェントとして活動中。
ツイッター:@rtogai

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